『実存・空間・建築』の表紙

実存・空間・建築 クリスチャン・ノルベルグ=シュルツ / 1971

実存的空間から建築を考える。

現象学的視点

そこで、建築的空間は環境に関するシェマあるいはイメージが人間の普遍的定位、つまり「世界内存在」の必要な部分をなすものだという考えを、私は「実存的空間」の理論を基礎にして、その上に展開しようと思う。(p10)

クリスチャン・ノルベルグ=シュルツ『実存・空間・建築』

ノルベルグ=シュルツが1971年に出版した著作である。シュルツは、ノルウェーの建築家であるが、独自の建築評論や建築研究で世界的に知られている。この著作は、人間と空間が無関係に存在するものではないことを明示して、人間と空間の関係性を明らかにすることを目指している。ハイデッガー、バシュラール、ボルノウといった現象学の文脈を参照したシュルツは、研究の前提として実存的空間という概念を導入する。

シェマ

実存的空間とは「比較的安定した知覚的シェマの体系(p40)のことである。シェマとは、人間が持っている安定したイメージである。人間は、知覚した空間をそのままに体験するのではなく、なんらかの安定したイメージに照らし合わせて体験している。このイメージこそがシェマと呼ばれるもので、実存的空間を基礎づけるものである。だから、実際に直接的に知覚される空間と、実存的空間と照らし合わせながら理解される空間は異なるものであり、後者の方が人間にとって豊潤な意味を持つ。

人間と空間が関わり合う仕方を明らかにする。

空間に定位する仕方

実存的空間の研究は、人間が空間に定位する仕方を明らかにする研究だと考えると分かりやすい。人間を取り巻く空間はいつも複雑で情報量が多すぎるから、人間は空間の解像度を落とすことによって空間を理解しながら、自分事として捉えるという過程を経ている。空間を自分事として捉えること、すなわち空間に定位することを達成するためには、自身が置かれている直接的な状況と、実存的空間を照らし合わせることが必要になる。

抽象的な側面

このような、定位のために必要な物差しが実存的空間なのだが、実存的空間は抽象的な側面と具体的な側面から構成されている。一方の抽象的な側面とは、位相幾何学的な種類のもので、中心と場所、方向と通路、区域と領域に分類される。「場所、通路、領域は定位の基本的シェマ、つまり、実存的空間の構成要素である」(p59)。要するに、こうした位相幾何学的な要素と照らし合わせながら、人間は空間を体験しているということ。私の知見を踏まえて整理すると、下記のような位相幾何学的な空間シェマが実存的空間の基礎となっている。

空間図式
空間図式 @Architecture Museum人間は、こうした位相幾何学的な空間を生きてるなかで構成してゆき、今度は、構成された位相幾何学的な空間を現実の状況に当てはめることで空間に定位する。たとえば、目印のない森の中で迷子であることを考えてみる。彼は、空間を見失い不安に押し潰されそうである。このとき、森のなかから一軒の家の明かりを見つけたとする。その途端、森は一瞬にして構造化される。位相幾何学的な空間と現実の空間が照らし合わされて、森は自分事の空間として定位されたのである。空間図式の存在は、場所細胞という脳科学的な研究と照らし合わせることで、より明らかになるだろう。詳細はこちらを参考。

具体的な側面

他方の具体的側面とは、より具体的な環境の性質との関わりであり、地理的段階、景観的段階、都市的段階、住居、器物、と5段階の分類がなされている。要するに、人間が器物に関わる仕方と、人間が住居に関わる仕方は性質が異なるように、5つの段階は異なる性質を持つということ。「シェマというものは、段階を移るごとに変わるということを、ここで指摘しておくべきだろう」(p68)。これは、抽象的な側面である位相幾何学的要素だけでは捉えきれない部分である。いずれにせよ、人間は、自身の置かれている状況と、抽象と具象の両側面を包含した実存的空間を照らし合わせることによって、空間に定位している。

建築的空間を実存的空間から考える。

建築的空間とは、実存的空間の「具体化」であると定義してよい(p97)

クリスチャン・ノルベルグ=シュルツ『実存・空間・建築』

実存的空間を分析して、空間が人間の関わり合う仕方明らかにしたシュルツは、実存的空間を具体化したもの、あるいは実存的空間を表現したものが建築的空間であると議論を進めてゆく。もし、建築的空間が実存的空間の具体化ならば、実際の建築の事例を通して、建築的空間がいかに実存的空間を具体化しているかを記述しなければならない。そこでシュルツは、数多くの具体的な都市や建築の事例を縦横無尽に挙げながら、実存的空間がいかに表現されているのか分析するのだが、その豊潤な分析は本書の見所である。いずれにせよ、人間と空間の関わり合いを分析する方法を提示した点で重要であり、一度は読まれたい著作である。

note

実存的空間と他者の関係性

理想的には、実存的空間と建築的空間との間には構造的な同型の関係がなければならないが、実際には、これが完全に達成されるということはない。建築的空間は、個人にとっては所与の「既製品」であり、他人の創造物であり、したがって他人の実存的空間である。(p98)

クリスチャン・ノルベルグ=シュルツ『実存・空間・建築』

上記の引用において、シュルツは建築的空間を他人の創造物であり、他人の実存的空間とまで言い切っている。要するに、ある個人の実存的空間が具体化したものとして建築的空間が設定されているため、建築的空間は他人に建てられた対象として扱われていて、この対象に人間がいかに定位するかが問題とされている。しかしながら、事態はそこまで単純だろうか? シュルツが「個人的シェマ」(p99)と述べるように、実存的空間の概念そのものが、個人という主体を前提として考え過ぎている印象を受ける

シュルツは、ピアジェを積極的に引用しているのだが、ピアジェにける幼児の自己中心性という概念は、ラカンに「ピアジェ的誤謬」だと一蹴されたことを想い出すとよい。個人的なシェマあるいは、個人的な実存的空間のなかに、どれほどの他者の影響が入っているかを再考しなくてはならない。すなわち、実存的空間は、個人と環境の相互関係にとどまるものではなく、他者との関係に大きく左右される。だからといって、建築が身体に関わる以上、シュルツのピアジェ的側面を完全に捨象することも許されないだろう。この際、メルロ=ポンティが手引きになるに違いない。

シュルツが、ハイデッガーやフッサールの文脈に依拠しながら論理を進めて、他者というものを重要視しなかったと考えるならば、ハイデッガーやフッサールを批判的に検討しながら他者論を展開したレヴィナスを参照しながら、シュルツの建築論を再構築する必要があるだろう。そうすると、シュルツが「人間が『対象』に向かって定位するのが基本的なこと」だという前提に立ったことも怪しく見えはじめる(p13)果たして、人間が対象に定位する態度は前提としてもよいのだろうか?

自分が置かれている状況を、実存的空間との照らし合わせて定位するためには、対象のなかに定位したいと思わせるだけの「なにか」が潜んでいる必要がある。そう考えはじめると、他者と欲望の問題が浮かび上がるに違いない。実存的空間に他者と欲望を考える思索が待たれている。いずれにせよ、1971年という早い時点において、空間と人間の関係性を建築と絡めながら論じたシュルツは慧眼であった。ぜひ、読まなくてはならない一冊である。

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