『錯乱のニューヨーク』の表紙

錯乱のニューヨーク レム・コールハース / 1978

都市を描くゴーストライター。

コールハースの原点にして伝説的な著作である。脚本家の経験のあるコールハースは、マンハッタンのゴーストライターの役を引き受ける。主人公は錯乱したマンハッタンそのもの。彼は無意識に犯されて錯乱状態である。錯乱状態に置かれた彼は無秩序で混沌としているように見えるが、実はそうではなく、なんらかの見えざる理論にしたがっている。フロイトが夢が産出される理論を明らかにしたように、無秩序なマンハッタンという都市が産出される理論を描けるに違いない。その理論とはなにか? コールハースが発見したのは、マンハッタンが無限に過密化してゆくというイデオロギー、すなわちマンハッタニズムである。

マンハッタニズムと過密の文化。

マンハッタンの建築とは、過密の活用のためのパラダイムなのだ」と謳われる(p11)。マンハッタンはマンハッタニズムの産物であり、マンハッタニズムは過密に向かって加速し続けてゆく基盤そのものである。マンハッタンは、過密への信頼をもとに成立していて、過密を加速させるという軸を一度たりとも失うことはなかった。過密の文化に浸りながら、過密を加速させるために凡ゆる手段を用いるマンハッタン。加速してゆくマンハッタンの成長過程が巧みな言葉で描かれる劇は圧巻である。コニーアイランド、マンハッタングリッド、エレベータ、建築的ロボトミー、ゾーニング法…。過密に向けて走り出したマンハッタンは暴走した自動機械となり、ダリやコルビュジエという天才すら笑い飛ばす。精神や理性などの代物は役に立たない。

建築の擬人化と建築の欲動。

コールハースは建築を擬人化する。建築を擬人化したとき、建築は欲動を抱えはじめる。建築は建築家によって創られるものではなく、建築それ自体で自発的に成長するものとなり、建築家は建築に利用されるという逆転が発生する。渋谷に次々と建つ超高層を見ると分かりやすいが、もはや制御できないほど都市は暴走して、建築家はなす術なく敗北せざるを得ない。この時、建築家にできることはなにかを考え直さなくてはならない。最後に、コールハースのマンハッタンの分析を設計に援用することで、突然変異したような建築を次々と産出していることにも注目したい。建築と欲動の結婚には目が離せない。

ニューヨークのスカイライン
ニューヨークのスカイライン ©WABC radio建築が擬人化され、建物は自らの意志で踊り出し、建築家は建物に呑み込まれる。訳者のあとがきには示唆的な文章がある。「大衆という今世紀に出現した最大のスターが摩天楼というコスチュームをまとって繰り広げる欲望の劇」と(p543)
note

エレベーター

マンハッタンでは一八七〇年代から、エレベーターがグランド・フロアより上のすべての水平面を開放して、大いなる救世主となる(p136)

レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』

コールハースはエレベーターに着目する。1853年のニューヨーク万博において、E・G・オーティスは安全装置付きエレベーターを発明した。エレベーターは超高層と出会うことで、あらゆる階層が等価に扱われ、階数は無効になる。エレベーターは、断絶されて並べられた無関係な階層を結び付けると同時に、それらの階層が一列に並ぶことを要求する立役者である。エレベーターの発明によって、各階は独立した自由な平面を獲得する。各階に現われる唯一の制約は、エレベータが出入りする孔だけである。こうした分析はコールハースの『ボルドーの住宅』に明確に表現される。

ボルドーの住宅 @youtube

建築的ロボトミー

この建築的ロボトミーは外部と内部の建築を分離する。かくして、聳え立つモノリスとしての建物は、外部の世界に対して、常に内部でせわしなく行なわれている変化の苦しみを覆い隠してしまう。つまり日常生活を覆い隠すのである。(p168)

レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』

コールハースは、摩天楼の一つの特徴として建築的ロボトミーを挙げている。ロボトミー手術とは、脳の前頭葉の白質を切除する外科手術であり、精神障害の症状を緩和するために施術されたもので、重篤な副作用から現在では禁忌となっている。コールハースはこのロボトミー手術の比喩を建築にあてはめる。この概念の新しい点は、西洋建築において、内部と外部の間になんらかの関係性が成立するべきだという人間主義的な前提があったにもかかわらず、その約束事を無視したことにある。

正常な思考で考えると、内部に光を入れるためにここに窓を開けようとか、内部から外の環境が美しく見えるように開口部を工夫するというように、内部と外部の関係性を考えざるを得ないのだが、その関係性を断絶するのは倫理的に狂っているという意味もこめられている。これは戦後日本の閉鎖的な住宅にも同様に見られる現象であるし、カジノやラブホテル、監獄や精神病等、あるいはカラオケなどにも適応できるだろう。補足するならば、1920年の禁酒法の制定が建築的ロボトミー手術を後押ししたとも考えられる。建築的ロボトミーの思想はコールハースの建築にも応用されてゆく。

シアトル中央図書館
シアトル中央図書館 ©Maciek Lulko
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