日本浮世絵博物館の外観写真

日本浮世絵博物館 篠原一男 松本の建築

設計者は篠原一男。篠原は『白の家』『未完の家』『谷川さんの住宅』『上原通りの住宅』などの数多くの素晴らしい住宅作品を手がけ、『日本浮世絵博物館』『東京工業大学百年記念館』『熊本北警察署』などの作品でも知られる世界の第一線で活躍した建築家である。『日本浮世絵博物館』は、浮世絵を収集・保管・整理・研究・公開・展示している場所であり、幾何学の組み合わせによる大胆なファサードが特徴的な建築で、1982年に竣工している。より詳しく見てゆこう。

解説

日本浮世絵博物館の建築概要コンクリートの壁の幾何学的な図案

直方体とコンクリート壁による建築の構成

まず、8m×8m×27mの直方体のコンクリートの箱が用意され、収蔵室が上階、展示室が下階に割り当てられている。直方体の箱は、展示品を日光から守るという機能のために閉鎖的なものである。直方体の箱に対して8m離れた場所に、構造体としても機能するコンクリートの壁が立てられている。この壁は、8m角の正方形が6つ組み合わさったもので、ちょうど真ん中のところで折れ曲げられている。直方体の箱とコンクリートの壁の単純明快な構成なのだが、箱と壁に挟まれた空間は開放的な空間で居心地がよい。1982年に竣工した段階では、西側のボリュームは確認できないため、後に増築されたものだと考えられる。

日本浮世絵博物館の建築の構成
日本浮世絵博物館の大まかな構成 @Architecture Museum1982年の段階で発表されたものを参考に作成。閉ざされたコンクリートの箱、そして図案という装飾が付けられた壁、両者によって建築は構成されている。壁は、3:4:5の直角三角形の一つの角度で折り曲げらている。壁には幾何学的な「図案」が描かれている。

幾何学的な図案、離散的な形の集合

正方形の4つの隅と、辺の4つの中点の中から任意に2点を選んで、これらが両端になっている直線、または円弧を組み合わせて、「図案」は構成されている。また、互いに隣接して配置される「図案」は離散的、あるいは独立的になるような条件を与えた。直線も円弧も描かれていない正方形そのものも、上のふたつの条件を充足する場合には採用された。これらはコンクリート面か、ガラス面かの単一の材料で仕上げられている。

篠原一男「日本浮世絵博物館」(強調筆者)
『新建築』1982年10月号所収

この建築で特徴的なのは、コンクリート壁の幾何学的な図案だろう。折り曲げられた壁の正面は6つの正方形から構成され、正方形に対して各々に幾何学的な装飾が描かれている。それらの「図案」は、各々が離散して見えるように設計され、各々が独立性を主張しているのだが、正方形の端部あるいは中点を選択しなければならないという制約によって、厭らしい乱雑さを帯びることはなく、一つのシステムを形成しているようにも見える。「図案」は、正方形という枠組みに囚われているという点において、統制されながらも離散している。こうした統制と離散の相補関係の表現こそが篠原の狙った表現であり、「離散性は統制との相補的な関係によって表現しうる」と篠原は述べている(建築文化1982年10月号)

エントランスへのアプローチ
エントランスへのアプローチ @Architecture Museum正方形が立ち並んでいるように見える。幾何学的な図版「図案」は装飾的な役割を持っている。鋭利な三角形の端部などの表現などが美しい。夜になると、コンクリート壁とガラス面の割合が反転して、それに伴い、図と地の関係が反転する。

日本浮世絵博物館の離散性アナーキーの活性が発生する確率

建築でアナーキーを表現するために

『日本浮世絵博物館』は1982年に竣工したのだが、この建築が設計された1980年頃の篠原の主題は「アナーキー」というものだった。緩やかに統制されながらも独立した姿を見せる6つの立面の離散性が、軽快なアナーキーの表現だと述べられている。とはいえ、アナーキーとはなんだろうか? 1981年の『建築へ』という文章のなかで、「東京アナーキー」という言葉を携えて東京という都市を分析した篠原は、東京は決して美しい街ではなく、通りを無計画に構成する建物たちによって無秩序に混乱しているのだが、その混乱ゆえに活気と自由に満ちていることを評価していた。

東京のいくつかの繁華街の活性は、どの建物も、どの看板も、自分がもっともスマートで美しいという確信と、それゆえに目立ちたいという意欲にあふれて立ち並んでいるところから発生している。(中略)。その時代の、物質と感性の両面の、もっとも進んだ建築技術を動員して設計され、そして、他のどれよりも端正で美しいと確信にみちた建物が、通りを無計画的に埋めたとき、アナーキィの活性が生まれる確率が大きい

篠原一男『建築へ』(強調筆者)
『新建築』1981年9月号所収

乱暴にまとめるならば、人々が活気に満ちながら自由に生きている様子をアナーキーと表現したのだろう。この建築の立面の図案は完全にアナーキーな図形ではなく、正方形の端部あるいは中点を使用しなければならないという制約によって緩やかに統制されている。ただし、正方形という枠組みのなかで、各々の図案は端正で美しいと確信にみちているし、離散しながらも集合して空間を埋め尽くしている。その結果、建築の内部が無機質な空間になることなく、建築を訪れた人々による日常的な活気が発生することが意図されたのだろう。

当然、アナーキーは建築として表現されるものではなく、建築が表現された後に現われる確率的なものであるからコントロールすることはできない。ただし、アナーキーの活性が生まれる確率を大きくするような建築を設計すること、もっと言えば、人が生きるための場所を視野に入れた設計を考えることは可能である。こうした問題に応える建築表現として、離散的な図案が並べたのだろう。各々の図案を持ったコンクリート壁は、独特な色彩で塗り分けられ、十字型の梁で無造作に接合される。完全なアナーキーとまではいかないまでも、緩やかな統制のなかで「日常的な活気」が発生するのを待っている。ぜひ訪れたい建築である。

補足だが、篠原は、1993年に現在の形とは異なる増築案を提案している。実現はされずに終わったのだが、その増築案もなかなか挑戦的なので、機会があれば調べてみると面白いだろう。

感想

日本浮世絵博物館を訪れた感想歌川国貞の美しい光と影のように

この建築を訪れて感じたのは、浮世絵のようだということである。幾何学によって構成された北斎の浮世絵のように、バラバラなものが幾何学によって統制され、集合して一枚の美しい風景を描くことに成功している。しかしながら、こうした分かりやすい平面的な構図の関係ということではなく、むしろ、コンクリートの壁の図案が太陽の光を受けて、内部の床や壁に影を落とす様相が浮世絵のようだと思う。斜めに区切る線という発想で思い浮かぶのは、歌川国貞の『月の陰忍逢う夜』という一連の作品である。この作品のなかでは、光が当たる場所と当たらない場所の境界に、鋭い黒のぼかし線が引かれるという独特な表現がとられていた。

月の陰忍逢ふ夜・行灯
月の陰忍逢ふ夜・行灯 @国立国会図書館デジタルコレクション 1833年頃に歌川国貞によって描かれたもの。女性の髪をみると、位の高い遊女であることが分かる。画面奥には蚊帳が吊ってあることから、奥に男がいるのかもしれない。行灯の光のラインが印象的な作品である。
月の陰忍逢ふ夜・湯上り
月の陰忍逢ふ夜・湯上り @国立国会図書館デジタルコレクション 1833年頃に歌川国貞によって描かれたもの。湯上りの女性が独特の光の線によって切り取られている。この画像では消えてしまっているのだが、図録で確認すると開口下部にも赤いぼかし線が描かれている。写実とは異なる光の線の表現が素晴らしく、日本浮世絵博物館の光と影の印象と重なり合う。
日本浮世絵博物館の光と影
日本浮世絵博物館の光と影 @Architecture Museumコンクリート壁の図案が美しいのはもとより、図案が太陽の光を切り取り影をつくる様相が歌川国貞の光の表現を彷彿とさせる。光に照らされた部分は彩度が度が高く、影の部分は彩度が低い。何気ない日常が、美しく鮮明に凍結させているのが分かる。

歌川国貞の『月の陰忍逢う夜』を図録で見たとき、その斬新な表現に驚いたことを思い出す。光が当たるところは彩度が高く、光が当たらないところは彩度が低いというだけなのだが、黒いぼかし線が絵画そのものを一刀したかのような表現は独特で、女性の何気なく美しい一瞬を凍結させて、絵画に劇的な印象を与えている。1819年頃の『星の霜当世風俗・行燈』では、行灯という人工的な光をいかに描写するのかという関心が見られ、1822年頃の『江戸の夜』では、提灯の鋭い明かりが野良犬を照らし出していたがが、いずれにせよ黒のぼかし線が描かれてはいないから、黒いぼかし線による斬新な描写は1833年頃に完成したのだろう。

重要なことは、『月の陰忍逢ふ夜・行灯』にせよ、『月の陰忍逢ふ夜・湯上り』にせよ、行灯や窓から漏れる光が女性の顔を照らし出し、何気ない日常の一場面が鮮明に、そして美しく切り取られていることである。この時、取り繕うことなく日常を生きる、ありのままの女性が浮かびあがる。行灯や提灯から射しこむ人工的な明かり、あるいは開口という人間がつくった室内に射しこむ明かりは、直線的な光線として表現されて、生き生きとした光に満ちた場所と彩度を失って黒く沈む場所、この二つに空間を分割して、美しく愛しき日常の一瞬を切り取る効果がある。この建築の内部に落ちる光と影も、美しい日常の一瞬を切り取ることに成功している。最後に訪れた感触を言葉にして添えておこう。

地面に無造作に転がる立体― 表面と立体の往復運動

上高地線にの大庭駅に降りると穏やかな風景が広がっている。晴れやかな空を上に抱えて、日本浮世絵博物館に向かってのんびり歩いてゆくと、水平に伸びる地面のうえに、立方体の箱が転がっているのが見える。ファサードのハーフミラーが周囲の空を反射して青く染まっている。立方体は六個あるように感じるのだが、数えてみると五個しかないから不思議である。二次元の表面としては六個の正方形があり、三次元の立体としては五個の立方体がある。この不思議な現象は、実際は二次元のファサードの表面に過ぎないにもかかわらず、三次元の立方体だと脳が錯覚することによって生じるのだろう。

正方形だが立方体であり、立方体だが正方形である。表面と立体を往復する錯覚現象は建築家によって巧妙に仕掛けられたものである。というのは、この建築のファサードのコンクリート壁は「辺長比三対四対五の直角三角形」の角度で折り曲げられているからである。三辺の長さを整数であらわすことができる最小のピタゴラス三角形は、紀元前のエジプトでも知られているほどの長い歴史を持つ象徴的なものであり、直角を導くことができるという点で重宝されてきた。すなわち、直角というのは初めから前提とされるものではなく、三と四と五という数字から事後的に導かなくてはならないものだった。デカルトの座標が蔓延してから、直角はあたかも前提のような顔をしているのだが、実のところ、直角は後から導かれる一つの現象にすぎない。

表面のファサードは、最小のピタゴラス三角形の角度を利用していたことによって、正面から見ると直角の印象を与える。要するに、直角に折り曲がっていると脳が錯覚してしまうのである。興味深いのは、実際に直角に折り曲げられているものよりも、より強く直角を感じることである。ギリシア神殿において、錯視が用いられることで水平と垂直が整えられたことを思い出すが、美しいものは人間の頭のなかで完成するものである。さて、ファサードが直角に折り曲げられていると錯覚した結果、折り目を構成する二つの正方形が立方体を構成することに気がつく。直角が現象して、続いて立方体が現象する。現象した立方体は、幾何学的に離散された図案によって、左に二つの立方体、右に二つの立方体を携えて、合計五個の立方体を現象させる。こうして、二次元としての表面に六個の正方形、三次元として五個の立方体が浮かびあがる。

表面と立体の個数が異なるということ、両者のずれこそが、正面ファサードに奥行きを与えている。建築においてもっとも深いもの、それは皮膚である、とでも言えるかもしれないが、それは建築家の巧妙なセンスありきである。表面は立体を構成していると同時に、立体を解体しているのだが、最小のピタゴラス三角形の角度の効果あってこそなのだから。表面と立体の往復運動は、単純な建築に驚くべき多様さを演出することに成功している。地面に立体が転がっているように見えたが、それが表面だったとは悪い冗談である。

こんなことを考えながら建築の内部に入ってゆくと、高い天井の空間が広がっていて、ファサードの幾何学的な図案が床に美しい影を落としていた。赤や緑の浅い色彩で塗られた方立が床に影を落としたとき、方立から色彩が奪われることが意外に思えて驚いた。そういえば、影には色も素材もない。ファサードは、十字型の梁によって無造作かつ暴力的に接合されたからか、構造体には見えず、ただそこに独立して存在しているように感じて不思議である。すこぶる単純な構成なわりに、考えることが多い建築だと感心した。

季山時代
2022.12.10

写真

日本浮世絵博物館の建築写真

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日本浮世絵博物館の外観
日本浮世絵博物館の外観 @Architecture Museum
コンクリート壁の図案
コンクリート壁の図案 @Architecture Museum
エントランスへのアプローチ
エントランスへのアプローチ @Architecture Museum
ハーフミラーに反射する鉄塔
ハーフミラーに反射する鉄塔 @Architecture Museum
日本浮世絵博物館の入口
日本浮世絵博物館の入口 @Architecture Museum
ロビー空間と螺旋階段
ロビー空間と螺旋階段 @Architecture Museum
十字型にクロスする梁
十字型にクロスする梁 @Architecture Museum
ガラスのなかの正方形の窓
ガラスのなかの正方形の窓 @Architecture Museum
閉じた箱に射しこむ光
閉じた箱に射しこむ光 @Architecture Museum
床に美しい光が落ちる
床に美しい光が落ちる @Architecture Museum
ストローチェア
ストローチェア @Architecture Museum
コンクリートと円窓
コンクリートと円窓 @Architecture Museum
無造作な接合部
無造作な接合部 @Architecture Museum
正方形の外壁
正方形の外壁 @Architecture Museum
丸窓と鉄塔
丸窓と鉄塔 @Architecture Museum
増築部分?
増築部分? @Architecture Museum
日本浮世絵博物館の全景
日本浮世絵博物館の全景 @Architecture Museum
展示室内部
展示室内部 @Architecture Museum
附記