神奈川工科大学KAIT工房 石上純也 厚木の建築
設計者は石上純也。石上は、『神奈川工科大学KAIT工房』のほかに、『神奈川工科大学KAIT広場』『House&Restaurant』、『ファイバースブルク・ビジター・センター』、『水の美術館』など、アート性の高い建築をつくることで知られた世界的な建築家である。今回紹介する『神奈川工科大学KAIT工房』は、ものづくりの楽しさを体験できる場所として、神奈川工科大学内に2008年に設計された建築である。約2,000㎡という広大で落ち着いた空間に、305本の細い柱がランダムに配置された平面を持っている。このランダムに配置された多数の柱の群れが、幾つもの居心地のよい場所を生み出す点が特徴である。より細かく追いかけてゆこう。
神奈川工科大学KAIT工房の建築概要無数の細い柱が織りなす自由な空間
自然のなかにいるような寛容な空間。
建物の構成は、約2000㎡のワンルームの平屋でファサードは全面ガラス貼り。耐震壁やブレースは一切ない。ほとんどが異なるプロポーションの断面と角度を持った、305本の華奢な柱によって構造を成立させている。同時に、その柱が場所ごとに緩やかな空間の個性を生みだしている。
石上純也『ちいさな図版のまとまりから建築について考えたこと』(強調筆者)
305本の柱が生み出す森のような空間
本建築の特徴はなんといっても、その乱立する華奢な柱にある。約2000㎡のワンルームの平面に対して、異なる断面、異なる角度を持つ柱が、散りばめられている。その空間は、まるで森のようであり、星座のようである。森のなかの樹木において、一本一本の樹木は異なる断面と角度を持っているが、それらが緩やかに集合することで、ひとつの森を形成している。星座のなかの星において、一つ一つの星は異なる大きさと輝きを持っているが、それらが緩やかに集合することで、ひとつの星座を形成している。樹木と森、星と星座、こうした自然のなかに見られる部分と全体の関係は、部分によって全体が規定されるのではなく、全体によって部分が規定されるのでもなく、部分と全体が相互作用する寛容さを持っている。この自然のような寛容さが、この建築の空間的な魅力である。配布されたパンフレットを見ると、「森の中でのものづくり」がコンセプトであると書かれているが、なるほど白い森のようである。
明確な境界を持たない固有な場所
305本の華奢な柱の群れは、場所ごとに緩やかな空間の個性を生みだしている。柱の密度が濃いところ、柱の密度が薄いところ。平たい柱の面側が見えて閉じた印象を与えるところ、小口側が見えて開いた印象を与えるところ。そうして生まれる不均質な空間に対して、木工加工場、作業場、エントランスなどの固有な場所達が明確な境界を持たないままグラデーショナルに広がってゆく。要するに、ひと繋がりでありながら途切れているような、揺らぎを持った不均質な空間なのである。この不均質さが心地よい。 また、柱が驚くほど細く、垂直に伸びていることも重要である。なぜなら、柱が細いがゆえに、家具やひとが際立って感じられるからである。だから、家具やひとのわずかな変化が場所に影響を与えて、場所の特性が緩やかに変化してゆく。たとえば、ピンク色の服の人が多くいるならば、どこかご機嫌な場所が現われる。まるで、森を撫でゆく風が木々を揺らすかのように、人が通り抜けてゆく。こうした、刻一刻と変化する万華鏡のような場所が現われるのは魅力的である。
細い柱をランダムに並べるための構造と施工。
細い柱を成立させる構造
ところで、こうした細い柱によって天井を支えることは、繊細な構造計算のうえに成り立っていることを忘れてはならない。というのは、日本は地震大国であり、地震が来た時に耐えられる構造にする必要があるからである。想像どおり、これらの細い柱は何らかの工夫なしにはポキリと折れてしまう。では、細い柱はどのように実現されているのだろうか?
見た目にはあまりわからないかもしれないが、柱の種類は、大きく分けると、鉛直力を受ける「鉛直柱」と水平力を負担する「水平柱」の2種類がある。できるだけ、柱を華奢なものにしたかったので、ひとつの柱で、両方の力を負担してしまうよりは、そのほうが有効だった(p29)。
石上純也『ちいさな図版のまとまりから建築について考えたこと』(強調筆者)
305本の柱のなかで、42本が鉛直力を負担する「鉛直柱」、263本が水平力を負担する「水平柱」である。言い換えると、263本の柱は天井を支えている訳ではなく、地震時の横揺れなどの水平力を負担するだけである。この力の分担によって、極度に細い柱が実現されている。ただ、二種類の柱には構造上の差異があるものの、「鉛直柱」と「水平柱」は同じような外観としてデザインされ、見かけでは判断できないようになっている。したがって、一見すると異常に細い柱が伸びるばかりで、どういう構造になっているのかが分からない。この構造が分からないということが、建築に浮遊するような軽快さと崇高さを与えている。
細い柱の施工方法
こうした構造上の要求は、柱のつくり方にも現われてくる。「鉛直柱」は、基礎と溶接されていて、梁とピン接合になっている。なぜなら、「鉛直柱」に水平力がかかると簡単に座屈してしまうからである。なるほど、「鉛直柱」には水平力がかからないようにしたい。 他方で、「水平柱」は、なんと驚くべきことに、屋根から吊られているのである。なぜなら、「水平柱」に圧縮力がかかって座屈しては困るからである。屋根から吊られた柱というのはなかなかイメージしづらいのだが、施工方法をみると理解できる。
「水平柱」は圧縮力がかからないように屋根から吊る。問題となるなのは、屋根に積雪があるとき、屋根がたわんで「水平柱」に圧縮力がかかってしまうことである。だから、はじめに、屋根のうえに積雪荷重のぶんのおもりを積んでおく。その後、屋根に吊られた「水平柱」を固定してからおもりを取り外す。すると、水平柱はおもりの分だけ引っ張られることになる。その結果、積雪をしてもたわまない「水平柱」が完成する。要するに、「水平柱」はあらかじめ引っ張られているため、たとえ積雪しても圧縮力がかからないのである。いずれにせよ、「鉛直柱」と「水平柱」の差異をなくし、細い柱を実現するために、とても面倒な方法が取られているのであり、それが不思議な空間を生み出している。ぜひ訪れたい建築である。
神奈川工科大学KAIT工房とゴシック森のような空間とネオ・ゴシック建築
KAIT工房の無数に立ち並ぶ柱をみていると、ゴシック建築の匂いが漂ってくる。当然、尖頭アーチやステンドグラスがある訳でもなく、フライングバットレスすらない。しかしながら、ゴシックを単なる建築様式としてではなく、人間のなんらかの内的な芸術意欲として考えたとき、KAIT工房にはヴォリンガーの言うような「ゴシックの形式意思」なるものが宿っているように思えてならない。その無数の柱の群れには、現代建築が忘れていた超越的なものへの執着のようなものが感じられてくる。ここでは、KAIT工房とゴシックを結び付けることで、どのような新しい価値を見出せるのか、簡単に考えてみたい。
日本の現代建築における基本的な問題意識
住むことと建てることの分離の問題
現代建築の問題意識
まず、KAIT工房とゴシックの関係性を考えるまえに、日本の現代建築の一般的な問題意識を簡単に整理しておく。この問題意識は、近代建築の機能主義への反省からはじめられたもので、いまや説明する必要もないほど現代の建築家に内在化されている。端的に述べるなら、建築家が建築を使うひとの自由を奪ってはならず、なんらかの思想を押し付けてはならないという問題意識である。とりわけ日本の現代建築において、篠原一男や多木浩二が積極的にこの問題を取りあげたことによって、その影響下にある伊東豊雄、そして妹島和世や石上純也はこの問題を正統に受け継いだと言える。ここに潜んでいるのは建築における他者論である。ここでは、KAIT工房を語るうえで前提となる知識を簡単に説明しておく。
建てることと住まうことの分離
日本の建築界において、こうした問題を議論の俎上に載せたのは、『生きられた家』という著書のなかで多木浩二が放った次の一言であった。「この俗なる家と建築家の作品のあいだには埋めがたい裂け目がある
」。換言すれば、現代において、建築をつくるひとと建築を使うひとのあいだには、埋められないほどには大きな裂け目があるということだ。ハイデッガーの的に言い換えるならば、現代において、建てることと住まうことは決定的に分離しているということであり、こうした分離を設計の前提として自覚とするならば、建築家は、建築を使うひとに対してどのような建築をつくれるのかが問われた。 こうした多木の問題提起は、当たり前に感じられるかもしれない。建築をつくるひとと、建築を使うひとは異なるのは当然だ、と。しかしながら、この問いは、建築を使うひとの主体性を建築家に自覚させた点で決定的であった。
建築を使う他者の発見
建築には使うひとがいること。それだけではなく、建築を使うひとは一人の生きた主体であること。だから、建築家が建築を使うひとにいかなる想定をしても、建築を使うひとはその通りに動かない。これが、建てることと住むことの分離を自覚すべきだとする多木の提言の意味である。これが重要なのは、建築を使うひとが一人の生きた主体であるという発見が、建築を使う一人の主体は、建築家がコントロールすることのできない生きた他者の発見だったからである。 たとえば、建築家が、「こういうふうに使って欲しい」と願っても、建築を使うひとは建築家が望むような使い方をしない。なぜなら、建築を使うひとは生きているから。こうして、偏狭な建築論のなかに、生きた他者という視点が導入された。建築をつくるひとと建築を使うひとの断絶の自覚とは、このような想定不可能な生きた他者を自覚することにほかならない。この未知なる他者に対して、建築家がいかに向き合うべきだろうか?
近代建築が見落としてきた他者
ところで、建築を使う生きた他者というのは、近代建築が見落としてきたものである。確かに、近代建築は建築を使うひとを想定してきた。しかしながら、その建築を使うひとは、一人の生きた主体としてではなく、建築家の想定どおりにしか動かない駒であった。大胆にいうならば、近代建築は、建築を使うひとを、ある統計的な人間として扱ってきたのであり、生きた主体として扱うことはなかった。このことは、近代建築が機能と場所を結び付けてしまったことに起因する。機能と場所を結び付けてしまうと、生きた主体は殺されてしまうのであり、近代建築は、この暴力を告発されることで崩壊した。なぜKAIT工房が柱の群れをつくらなければならなかったのかを知るためにも、近代建築の流れを簡単に整理しておこう。
機能主義と均質空間の呪縛から逃れて
機能主義的な考え方
近代建築において、建築と機能が密接に結びついていた。ここはAをする場所、ここはBをする場所、というふうに場所を壁で囲い込むことによって、そこで何をするかを建築家が明確に定めていたのである。「住宅は住むための機械である」というコルビュジエの言葉が分かりやすいが、建築を部品のように扱い、それを機能的に組み合わせるのが機能主義的な考え方である。こうした機能主義的な考え方は、建築家が建築を使うひとの行動を規定してしまうという問題がある。それでは、建築を使うひとの主体性が奪われてしまう。なぜなら、建築を使うひとは、建築家によって定められた機能以外のことをする自由を奪われてしまうから。しかも、Aをする場所とBをする場所が壁で囲い込まれているがゆえに、場所同士のつながりが生まれない。とりわけ、機能主義的な考え方は建築よりも近代都市計画に応用され、ジェイン・ジェイコブズの告発によって、1960年頃にその問題点が明るみに出た。
均質空間的な考え方
こうした機能主義の不寛容さに対して、ミース・ファン・デル・ローエは完全に機能のない場所を構想する。いわゆる均質空間と呼ばれるもので、機能を排除して床だけを用意すればよいと考えたのである。機能に対して完全に無視を決め込むという均質空間的な考え方は、建築を使うひとに自由を与えはしたものの、場所の多様な質を奪い取ってしまった。ここは、Aをしてもよい場所であり、Bをしてもよい場所であり、だからこそ何も置いてはならない。いわば、均質空間は、あらゆる機能がなく、何をしてもよい場所であるがゆえに、いかなる機能をおいてはならず、何もしてはならない場所なのである。こうした均質空間的な考え方では、否定神学的な仕方において、建築を使うひとの行動を規定してしまうのが問題である。そこには柱の一つも置いてはならず、場所の多様性が生まれることもない。
建築家の押し付けがましさ
機能主義的な考え方はある特定の機能以外を排除し、均質空間的な考え方はある特定の機能を排除するという点で、両者はともに不寛容であった。両者は機能に囚われすぎていたのである。こうした機能への執着の背景には、「こう使って欲しい」あるいは「こう使わないで欲しい」という、建築家の押し付けがましさがあった。建築家の押し付けがましさを解決することこそ、現代建築家が背負い込んだ問題の一つなのである。なぜなら、こうした押し付けがましさこそが、建築を使うひとの主体性を奪い取ってしまう当のものだから。このような近代建築の反省があったから、近代建築以降、機能主義的な考え方や均質空間的な考え方の呪縛から逃れることが重要視されてゆく。1960年代に、ロラン・バルトが「読者の誕生は、作者の死によってあがなわれなければならない」と述べたのと期を同じくして、この問題はヴェンチューリや磯崎新らのポストモダニストに引き継がれる。彼らは、建築家の押し付けがましさの刃をみずからへ向け、建築家の死の問題を素直に受け止めた。この問題が、現象学や記号論的ポストモダニズムへと向かってゆくのは、西洋的な眼において正統な展開であった。
日本現代建築における他者論の展開
建築における他者論へ
機能主義的な考え方や均質空間的な考え方の呪縛から逃れること。建築家の押し付けがましさをなくすこと。この問題を、篠原一男と多木浩二の影響のもとで生きた他者の問題へと接続したのが伊東豊雄であり、それに続く妹島和代と石上純也の日本の建築家の流れである。ここに日本の現代建築の独自性が開花する。彼らは、建築家の死の問題を受け継いでいるものの、その問題を建築家の存在基盤の問いに向けるのではなく、建築を使うひとの生の問題へと軽やかに変換してしまったのだ。西洋のポストモダニズムが建築家の自我論であるならば、日本の現代建築は他者論である。磯崎らが歩んだのが建築家の死に向かうタナトスであるならば、伊東らは建築を使うひとの生のエロスに向かう。建築家が押し付けがましさをなくすためにみずからを殺さなくてはならないという西洋的な路線ではなく、だからこそ、一人の生きた他者と向き合わなくてはならないという日本的な路線への変更。それは、磯崎が建築家の死の側面をすべて引き受け、篠原・多木が建築を使うひとの生の側面を押し出したことで可能になった。
日本の現代建築は他者論を先取りしていた
建築家が、一人の生きた他者と向き合うこと。当然、建築を使う他者を建築家の想定内の枠組みで捉えてはいけない。なぜなら、他者は汲み尽くせないものだから。いわば生きた他者というのは、従来の建築論の語法では扱えない代物なのである。建築家が建築を使うひとの自由を奪ってはならず、なんらかの思想を押し付けてはならないという問題意識が、日本の現代建築において、自我論ではなく他者論へと接続されたことは革命であった。思想的に言えば、ハイデッガーの哲学が解釈学的な要素を残していて、その告げ知らせるという性格がナチズム加担に結びつき、その後、他者論が開花した流れにちかい。しかしながら、現象学はレヴィナスが出てくるまで他者を本質的に捉えきれていなかった。フッサールの間主観性や、サルトルの対他存在は、他者を自我に汲み尽くせるものに還元してしまった。レヴィナスの現象学がようやく捉えた汲み尽くせない他者という問題を、日本の現代建築は先取りしていた。いわば、建築するとは別の仕方で。
現代日本建築の他者論の展開
日本の現代建築様式論
こうした汲み尽くせない他者に対して、篠原の抽象的な表現を基底としながら、伊東はバロック的な方法で、妹島はルネサンス的な方法で、そして石上はゴシック的な方法で立ち向かっている。伊東の建築はバロック的な「演劇の美学」をもってして、妹島の建築はルネサンス的な「構成の美学」をもってして、石上の建築はゴシック的な「崇高の美学」をもってして、建築を使うひとの生に向き合う。当然、建築家の死は前提である。ただ、彼らは建築家の死という面倒な問題を深掘りすることはせず、その先にある建築を使うひとの生に焦点をあてる。問題となるのは、建築を使う《まったくの他者》と関わりながら、建築が成立するかを問うことである。
建築様式は逆転する
ここにおいて、篠原・多木を起点にしながら、伊東のバロック、妹島のルネサンス、石上のゴシックと時代を追うごとに様式の流れが逆転して流れてゆくのが興味深い。次に来るのはロマネスクだろうか…? 日本において様式が逆転してゆく理由は推測にするならば、西洋の建築はキリスト教が他者を抑圧あるいは馴化してきた歴史を持っているが、西洋からキリスト教的な前提がない日本に建築が輸入されたとき、西洋が抑圧あるいは馴化してきた他者が噴出してきているからだと思われる。 これは、また別の記事で書きたい。さて、ここまで日本の現代建築の前提を簡単に確認してきた。ここまで理解したうえでKAIT工房とゴシックを結びつける試みへと進んでゆこう。一体、KAIT工房は何がすごいのか…?
KAIT工房を産み出す原動力としてのゴシックの型式意思
溶解する機能主義
KAIT工房は、自然のような寛容さを持っている。この建築は、建築を使うひとに自由を与えている。つまり、森のなかで居心地のよい場所を見つけるように、柱のなかに居心地のよい場所を見つけることが出来る。そこに建築家の押し付けがましさは感じられない。かといって、計画がない訳ではない。この建築は建築家によって計画されている。だから、機能主義を無視している訳ではなく、ある程度は機能的である。備え付けられた手洗い場もあるし、備え付けられた空調機もある。ただし、そうした機能的な平面に対して、はっきりとした境界が与えられる訳ではなく、機能主義的な平面がグラデーショナルに溶けている。石上はこう表現する。「計画をしながら、その意図を見えなくすることが、この計画の意図である
」(『自由な建築』p187)。いわば、機能主義的な考え方が溶解しているのが見てとれる。
溶解する均質空間
他方で、柱がランダムな粗密を持って配置されることで、大きい場所や小さい場所が生まれている。多様な大きさと角度を持った柱が点在することによって、一つ一つの場所に個性が生みだされている点で、均質空間が見捨ててしまった場所の多様性が担保されている。KAIT工房の初期の提案は、グリット状の均質な柱であったと言われているが、それに対して細やかな場所性が付加されている。石上はこう語る。「建築は、かつて近代化を目指していた頃はどんな場所でもどんな条件下でも成り立つ空間をつくることに価値があったかもしれない。しかし、今は『どこで何をするか』ということに価値を与え、場所をつくっていく役割が求められていると思う
」(『PLOT08:石上純也』p27)。いわば、均質空間的な考え方が溶解しているのが見てとれる。
溶解の原動力としてのゴシックの型式意思
KAIT工房は、機能主義的な考え方や均質空間的な考え方を溶解させることによって、両者の呪縛から逃れることに成功している。機能主義的な考え方の問題である場所同士のつながりのなさが解決され、均質空間的な考え方の問題である場所の多様性のなさも解決されている。しかしながら、KAIT工房は一体どのように近代建築の呪縛から逃れ、他者論へと向かったのだろうか? 機能主義的な考え方や均質空間的な考え方を溶解させた原動力はどこにあるのだろうか?
こうした原動力として、ヴォリンガーの述べるような「ゴシックの型式意思」を見出したい。ヴォリンガーは、リーグルの「芸術意欲」の概念に影響を受けながら、「ゴシックの型式意思」なるものを考える。すなわち、ゴシック様式の芸術作品を生み出している原動力を分析するのである。ヴォリンガーの思想からはじめて、KAIT工房がゴシックたる所以を明らかにし、そこに他者が巻き込まれてゆくのを見てゆこう。KAIT工房では、機能主義的な考え方や均質空間的な考え方も、ゴシックの型式意思へと巻き込まれて溶解してゆき、建築家の押し付けがましさが溶けてゆくのが明らかになるだろう。
ゴシックの線と中世の崇高な病的昂奮
ヴォリンガーにおける有機的な線とゴシックの線
ヴォリンガーは、初期の北方装飾の線の分析からはじめ、ゴシックの線の特徴を説明してゆくのだが、ゴシック的な線は有機的な線と対比されて説明される。ヴォリンガーは鉛筆を持って紙のうえに線を引くことを例として挙げる。「美しい円い曲線を引くとき、われわれはしらずしらずのうちに内部感情を注ぎながら自分の手の関節の運動に追随してゆく。われわれはある種の幸福感を覚えながら、その線があたかも手首の自発的な活動から発生して来るように感じている
」(p61)。要するに、有機的な線というのは、手首の動きに連動して生まれる有機的な美を持っている。これは、幸福感や自由を与える線である。なぜなら、その線の成立過程を内的に体験することができるからである。これに比べて、ゴシックの線はまったく別のものだと説明される。少し長いが、美しい記述なので引用する。
われわれが強い内的な興奮に満たされて、しかもその興奮は紙の上に現わすより他ゆるされていないとすれば、書きなぐられた線はまったく違った結果を呈するであろう。手首の意思などは全然問題にされない。鉛筆が乱暴に激しく紙の上を走ってゆく。美しい円い有機的な調和を保った曲線の代わりに、強烈な表現熱に浮かされた、硬直した角ばった、絶えず中断される、ぎざぎざの線が出来上がることであろう。自発的に線を創り上げてゆくのは手首ではなくて、手首に対してみずからの運動を命令的に強制するわれわれの激しい表現意志である(p61)。
ウィルヘルム・ヴォリンガー『ゴシック美術形式論』
(強調筆者)
ゴシックの線は、有機的な線と対比されるが、それは単なる抽象的な死んだ線ではない。ゴシックの線は無機質で抽象的でありながら、書きなぐられたかのような生命の表現の力が宿っている。ゴシックの線は、有機的な美などの言葉で語れるようなものではなく、現実を線という表現に落としこまなくてはならないという強迫観念にかられたときに現われてくる、崇高な病的昂奮の書き付けである。ゴシックの線は、自然的なものや有機的なものとは完全に別物で、人工的で、無機的である。ゴシック線は、美しく有機的な曲線を描こうとする手首から遠く離れて、熱に浮かされ、線としての固有性を持ちながら走り出す。その線にあるのは、表現の美というよりも、表現の力である。「一方有機的にきっちりと定まった線は、表現の美を含み、他方ゴシックの線には、表現の力が宿されていることも明かである。そしてこの表現の美と、表現の力との相違は、やがてそのまま古典芸術、ならびにゴシック芸術という二つの様式現象がもつ特徴全体の上に移されてゆく
」(p65)。
崇高な病的昂奮
だからといって、そうした線は、現実や外界の対象を無視した結果ではない。むしろ、有機的な関係性を築きあげることのできない、混乱した生のままの現実や外界の対象があり、それを無機質な線に置き換えようとするのだが、その置き換えが安定した解決へと結びつかないために、切迫した不安が押し寄せ、思春期の少年のような行き場を失った昂奮のなかで、非感覚的な、あるいは超感覚的な解決をめざして、無機質な線を描き続ける続ける欲望に身を任せることしかできない。そうした不安から生じるのがゴシックの線である。カオスをコスモスとして解決できないゆえの昂奮が、線のなかに表現されている。「こういう崇高な病的昂奮こそ、何よりもいちじるしくゴシック現象の特色を示すものなのである
」(p92)。
鋭い現実把握
迫り来る現実性
ゴシックの線を描くひとにとって、現実性は無視されているわけではなく、むしろ、現実性が迫ってきていることは着目に値する。「現実性の印象は、線に還元されることによってわれわれに強い感銘を与えるものであって、その個々の線は、単に輪郭を示す機能などをはるかに超越しているところの、個々の線の総和的な表現価値を蔵している
」(p76)。ゴシックにおいて、生のままの現実は、ルネサンスの透視図法のようなヴェールを仲介せずして、直接的に迫って来る。この迫り来る現実性を、敏感に感じ取り、線として捕まえようとする。その結果、現実性は線のなかに融合する。たとえば、動物装飾では、動物という生命が線のなかに捉えられている。線は単なる動物の輪郭などではないのである。
鋭い現実補足
こうした訳で、ゴシックは鋭い直接的な現実補足を片側面として持っている。「こうしてすべてのゴシック芸術がもつ特殊な二重作用、したがってまたその両面的な効果、に到達する。すなわち一つの面では、もっとも鋭い直接的な現実補足であり、他の面では、いかなる対象にも服従せずに、ただ自分自身の固有表現だけで活動している超現実的な、空想的な線の遊動がそれである
」(p80)。後述するが、この鋭い現実把握は、アンリ・フォションがヴァン・エイクの精密画に中世を見てとった箇所に繋がるし、なにより石上が有機的な秩序を介さずして、生のままの現実を鋭く把握する点と繋がっている。
幾何学性脱却と材料性棄却
線はもはや、有機的なものや幾何学などに縛られることはなく、鋭い直接的な現実補足による切迫した不安から、崇高な病的昂奮に包まれて超感覚的なものへ向かうしかない。こうした、「線の完全な幾何学性脱却の形態」(p64)の精神表現がゴシック的であり、ゴシック建築においては「石という材料から完全に材料性棄却の行なわれた形態」(p64)を示している。つまり、ゴシック建築は、現実補足による不安を昂奮のもとに石に押し付けるのであり、石の否定に向かう。ゴシック建築は、内的な興奮を石に押し付ける他ゆるされていないときに現われる、いわば、書きなぐられた石なのである。非有機的な無機物である線や石が生きていること、すなわち非有機的生がゴシックの一つの主題であるのは、ヴォリンガーを読むドゥルーズが展開させた思想である。ドゥルーズ的にいえば、ゴシックの抽象的な線は平滑空間を描き、条里空間に対立する。この文脈における条理空間とは、機能主義的な空間や均質空間だろう。
無機質で抽象的な柱と非有機的な生
ゴシックの線とKAIT工房の柱
ここまで、ヴォリンガーの考えるゴシックを簡単に見てきたが、ヴォリンガーのゴシックを参考にしながら、ゴシックとKAIT工房の親和性を分析してゆこう。まず着目したいのは、KAIT工房の一本一本の柱が非有機的生を帯びていることである。つまり、KAIT工房の柱は無機質で抽象的でありながら、書きなぐられたかのような生命の表現の力が宿っている。KAIT工房では、あらゆるものが平面図の点へと還元され、それが空間にたちのぼり、無機質な抽象的な柱として現われてくる。だからと言って、それは単に死んでいる柱ではなく、無機物ながらに生きている柱に感じられる。一体、KAIT工房の非有機的な生の匂いはどこからやって来るのか? その鍵は設計のプロセスのなかの探求作業にある。ここでは、ゴシック的透明性なるものを主題に考えてみたい。
無機質な抽象的な柱への還元主義
自由に空間を発見しながら そのつど、機能を与えていく。建築が完成したそのあとは 常に建築家の意図を超えて 多様な魅力があらわれる。 そうだとしたら、計画しているそのときから、そのことにもっと意識を向けて。建築を考えてもいいのだと思う(p194)。
石上純也『自由な建築』
KAIT工房のスタディの方法は以上の思想のもとに行なわれている。つまり、日本の現代建築の問題意識そのままに、建築を使うひとの生を計画に取り入れることである。しかも、汲み尽くせない他者として。しかしながら、建築を使うひとの生は、そのまま建築に取り入れられる訳ではない。そうではなくて、一度、建築を使うひとの生を抽象的な無機質な柱へと還元しなくてはならない。それだけが、この建築の絶対に譲れない事項として共有されている。だから、実質的に可能なことは、柱のデザインを考えることだけであり、それ以外にできることなど一つもない。無機質で抽象的な柱への還元主義という、とてつもない不自由が強制されているのであり、その強制によって、あらゆる建築を使うひとの生は柱へに取りこまれてゆく。一本一本の柱の配置や角度を決めてゆく作業において、個々の柱に生命が流入してゆくのは、その一本の柱にあらゆるものを表現しなくてはならない不自由からである。
対話の道具としての柱
あらゆる生は、柱の上に現わすより他ゆるされていない。そこで、あらゆるものが、一度、無機質な抽象的な柱へと還元される。いわば、書きなぐられた柱として、手の痕跡が残される。触覚的で手垢の付いた一本の柱が生まれる。この第一の作業において、一本一本の柱が非有機的生を帯びてくる。そのうえで、平面図や模型を何度も往復しながら、繰り返し、柱の位置や角度が修正されてゆく。これが第二の作業である。当然、石上だけではなく、スタッフ総動員で柱が調整されてゆく。このとき、柱は対話の道具となる。この第二の探求作業において、柱の群れなかに複数の生命が仕舞い込まれてゆく。 設計過程において、他者の生なるものが入り込んでくる訳だ。しかも、柱の数が305本もあり、1本の柱を調整すると、他の柱との関係性が崩れ、その他の柱も調整しなければならない。確固たる主体などすぐに柱の群れに融解する。この果てしない作業のなかで、柱の群れに生命が満ち溢れてゆき、柱に運動と速度が仕舞い込まれてゆく。こうした柱を介した終わりなき対話によって、柱の群れに、無機質で抽象的ながら生命が宿った生きた全体が浮上する。
二つの探求作業の果てに
一本の柱を細かく検討すること、複数の柱の群れを細かく検討すること。一本の柱を検討する作業は身体的であり、複数の柱の群れを検討する作業は言語的である。身振りと言葉、あるいは手と顔の二つの層が互いに交錯する。設計プロセスのなかの、これらの二つの作業は、一度で終わるものではなく何度も何度も反復されるもので終わりなく続いてゆく。この終わりなさは、検討というよりも、探求というべきものである。このような決して建築家が押し付けをせず、地上での終わりなき探求を続ける姿勢がゴシック的に感じられるのである。解決できない種々の矛盾があるが、どこか解決できる点があるのかもしれないと願いながら、満ちてくる不安や昂奮を、一本の柱に、あるいは柱の群れに書き付けてゆく終わりなき探求作業。その探求作業に、機能主義的な考え方も均質空間的な考え方も、建築をつくるひとも建築を使うひと、自我や他者、構造ですらも巻き込まれて溶けてゆく。いわば、あらゆるものが建築の婢となる。しかしながら、一体、この探求を可能にする基盤はなにか? それは、ゴシック的透明性である。どういうことか…?
ゴシック的透明性と鋭い現実性の把握
ゴシック的透明性
まず、柱のスタディの過程において、一本の柱のまわりに異常なほどの綿密な現実性が差し迫ってくることが重要である。石上純也のKAIT工房の平面図のスケッチ(『ちいさな図版のまとまりから建築について考えたこと』p24-25)には、人や椅子や机や植物、そしてパソコンからマグカップまで、あらゆるものが等価に描かれているものがあり、その精密さはヴァン・エイクの油絵に類似している。アンリ・フォションは『ゴシック(下)』のなかでヴァン・エイクの絵画と中世の繋がりを指摘しながら、こう語ったことがある。「彼は透明性という新しい次元を作り出し、そして何物にとってもはや制限されなくて、すみずみまで視覚がとらえうるひとつの世界のなかに、厳密な分析によって人間と物体の姿を定着させる
」(p312-強調筆者)。ここにおける透明性とは何か? それは、あらゆる現実性がくすみなく再現される表現形式の次元である。この透明性こそ、ゴシック建築に共通するものではないだろうか? たとえば、パノフスキーもスコラ学との関連でこう語っている。
しかしながら、明瞭化の習慣が最大の勝利を収めたのは建築においてであった。盛期スコラ学が〈マニフェスタティオ〉(顕示)という原理によって治められていたのと同様に、盛期ゴシック建築は─すでにスゲリウスによって認められていたように─「透明性の原理」とでもよびうるようなものによって支配された(p194)。
パノフスキー『ゴシック建築とスコラ学』
(強調筆者)
油絵の発見とゴシック的透明性
あらゆる現実性が、あるひとつの表現形式に還元され顕示されること。これをゴシック的透明性と呼ぶことにしよう。それは、物理的な実の透明性や、現象学的な虚の透明性とは異なり、現実性が落とし込まれる表現形式の透明性なのである。たとえば油絵では、あらゆる現実性や生命は、油絵具という無機物として顕示される。フォションによれば、油絵以前の絵画は金によるハイライトを用いていた。しかしながら、金という素材は画面のくすみでしかない。なぜなら、いくら金が豊かな光を表現しようとも、画面を邪魔する別素材にしかなり得ず、表現方法の透明性を阻害してしまうから。油絵の発見は、絵画におけるゴシック的透明性の発見であり、それによってあらゆるものがひとつの表現形式として顕示される。「油絵具の使用は、いわば、空間を『無限化』し、そのなかに存在している肉体においてすらも空間がもつ透明質な純粋性を感じさせる手段なのである
」(『ゴシック(下)』p324)。
スコラ学の体系とゴシック的透明性
たとえばゴシック建築では、あらゆる現実性や生命は、石という無機物として顕示される。そこにくすみはない。ゴシック建築では、あらゆるものが石として顕示されなくてはならない。それだけではなく、ゴシック建築において、なにかが隠されているという印象は決してなく、すべてが体系のなかで明瞭に示されている。パノフスキーは、ゴシック建築とスコラ学の体系的文節化を、明瞭性という観点から類比する。「部(parts)、区分(distinctions)、問題(questions)、項(articles)という慣例的な道具立てが彼にとっては理性の自己分析と自己説明であったのと同様に、小柱とリブと控え壁とトレーサリーとピナクルとクロケットという具足揃いは、彼にとっては建築の自己分析と自己説明であった
」(『ゴシック建築とスコラ学』p74)。いわば、ゴシック建築とスコラ学に不明瞭なところはなく、すべてが一つの全体の体系のなかに落とし込まれている点で、くすみのない透明性を持っている。
KAIT工房とゴシック的透明性
たとえばKAIT工房では、柱は柱、梁は梁、トップライトはトップライトと明瞭に文節されている。これはパノフスキー的な明瞭性の顕示だと言えよう。とりわけ平面に限っていえば、そこには柱しかなく、それ以上のくすみはない。その結果、あらゆる現実性や生命は、柱という平面図の点として顕示される以外なくなる。明瞭な文節によって、平面に対して他の素材や要素が混じってくることは決してない。たとえば、梁は梁として平面計画に関わってこない。こうして、あらゆる「住まうこと」が平面の柱に顕示されるという透明性の次元が生まれてくる。ところで、ゴシック的透明性という新しい次元はあらゆるものを明瞭に顕示する。だからといって、神秘的なものや聖なるものが失われている訳ではない。むしろ、こうした顕示を徹底するほど、むしろ神秘的なものが現象してくる。ゴシック的な透明性という表現方法が担保されると、神秘的なものが浮かび上がってくるとは、一体どういうことか?
(《※補足》注意すべきは、ヴィオレ・ル・デュクの言うように力学的構造が明瞭なのではなく、表現形式が明瞭だということ。だから、構造は表現形式に取り込まれる。KAIT工房でも、構造は水平柱と垂直柱は分離されているが、どちらがどちらの力を負担しているかが示されている訳ではない。そうではなくて、平面のくすみのなさが優先される。つまり、ゴシック的透明性があらゆるものに優先される。)
ゴシック的透明性と神秘的なもの
ヴァン・エイクの絵画と神秘的なもの
ヴァン・エイクの絵画の分析に戻ろう。現実性を油絵具の群れのなかに顕示しよう決意とするとき、現実性は隅々に至るまで迫ってくる。このゴシック的透明性において隅々まで見えるものは、通常は省略されてしかるべき現実性である。というのは、「かりにわれわれがそのような眼で現実を見るとしたら、眩暈をおこすことであろう
」(『ゴシック』p324)から。しかしながら、ヴァン・エイクは現実性を省略することなく異常なまで精密に、一枚の作品へと現実を映し出してしまう。それは、写実主義などの受け身の観察者などではなく、異常に能動的に冴え渡った能動的な眼であり、何かしら超越的なものへ向かう探求である。透明性が担保されたがゆえに、どこまでも無限の探求が可能になった。その探求作業の果てに、ヴァン・エイクは、現実のなかに神秘的なものを見る。フォションは言う。
もっと広くいうならば、ヴァン・エイクにとってはどんな現実も神秘的なのであり、彼はまるで初めて見るものに対するような態度で対象に接し、まるで詩人的な忍耐の力をかりて、謎への答を対象から探り出し、対象に「魔法をかけ」対象の写し絵に声泣き第二の生を授けようとするかのように、その対象を研究するのである。彼にとっては、全てが唯一独自なものであり、この語本来の意味で特異なものである。相互に取り換えのきくものは何一つないこの世界では、付随的な飾りや無生物でさえも、人の顔と同じような特徴ある顔立ちを獲得するにいたる。(p61)。
アンリ・フォション『ゴシック』
(強調筆者)
異常に鋭い現実性の把握。油絵具の群れにせよ、ゴシックの石にせよ、柱の群れにせよ、現実性を新しい透明性の次元へと再現しようとするとき、その透明ゆえに細部がはっきりと見えてきてしまう。そこで、本来なら省略されるべき、細部を徹底して把握しようとする探求が生まれる。こうした探求作業によって、対象は神秘的なほど生きられてくる。たとえ、無生物でさえも、人の顔と同じような特徴ある顔立ちを獲得してくるほどにまで。こうした現実を注意深く探求する態度は、ゴシック的透明性が担保したものであり、中世の精神習慣となっている。チェスタトンは、スコラ哲学を大成したトマスの功績をこうまとめる。「要約すれば、ものの実在生、ものの可変性、ものの多様性、そしてものの属性である他の同類のあらゆるものは、実在生の起点を見失うことなしに、この中世の哲学さによって注意深く探求された
」(『聖トマス・アクィナス』p226)。そう、主なる神と再び結ばれるために芝生から始め、探求の先に、知られざるままの神に結ばれるのである。
探求の先にある神秘的なもの
KAIT工房も同様である。あらゆるものを、平面の柱で顕示するというゴシック的透明性が担保された結果、鋭く現実性が把握され、神秘的なものが浮かびあがってくるまでに細部を探求することが可能になる。ヴァン・エイク、トマス・アクィナス、そして石上純也…。ゴシック的透明性を持つ平面の表現を選択することによって、一本一本の柱まわりの現実性が鋭く把握されてゆき、一本一本の柱が神秘的と言えるほどまでに生きてくる。その神秘的なものは、現実からかけ離れたものでは決してない。あくまで地上に留まりながら、現実性を凝視し、無限に探求した果てにある神秘的ななにかである。たかが抽象的で無機質な柱。されど現実性を鋭く把握して、その現実性を柱にうつし込もうと探求したとき、神秘的なまでに生きた一本の柱が生まれる。これが柱が非有機的な生を帯びる秘訣ではないか。
KAIT工房の探求の果て
KAIT工房のスタディの過程のスケッチを見ると、驚くほどの書き込みが一本の柱へと紐づけられてゆくのが分かる。その現実把握の鋭さは異常である。よく考えると、たとえスケッチのうえにせよ、机のうえのマグカップの位置と一本の柱と関係づけるなど、どう考えても狂気の沙汰である。一体、机の上のマグカップの位置と一本の柱の計画がどう関係するというのか? しかしながら、そこまで考えて初めて、KAIT工房の柱は一本一本が特異なものとして生きてくる。というのは、マグカップの位置は、一度、柱に還元しなければならないからである。このようにして、一本の柱と机が、一本の柱とマグカップが、一本の柱と植木鉢が、一本の柱とあらゆるものが密接に紐づけられてゆく。まるで、柱は宇宙を映す鏡のようであり、細密に描かれた凸面鏡のごとく…。ゴシック的透明性が担保される場所において、鋭い現実性の把握とその探求が繰り返されると、一本の柱のなかに生命が巻き込まれ、神秘的なものが浮かび上がってくる。
ゴシック的透明性と終わりなき対話
ゴシック的透明性が担保する対話の場所
ここまで、KAIT工房は柱還元主義であるがゆえに、その一本の柱には生命が宿っていること、ゴシック的透明性における鋭い現実性の把握によって、神秘的なものが浮上することを確認してきた。ところで、あらゆるものを顕示するというゴシック的透明性が、建築家と他者との対話を成立させることも可能にしたことを強調しておきたい。次に問題になるのは、一本一本の柱の非有機的生ではなく、柱の群れの有機的生である。KAITの計画に関するあらゆる意見は、平面図における点群というエクリチュールとして書きこまれて顕示される。ここに一切のくすみはない。そこでは、建築をつくるひとの意見も、建築を使うひとの意見も、その立場とは無関係に一切が等価に扱われて顕示されている。顕示というのは、ある種の状態の仮固定と言い換えることができる。要するに、油絵具の固さが問題なのである。ぼやけた水彩絵の具では顕示は不可能なのだから。顕示は固い素材で行われ、時間を固定する可能性を示唆している。油絵は、その固さゆえに、何度も重ねて描くことを可能にする。表現形式の固さゆえに、芸術のなかに時間が流入する。
パノフスキー的なゴシックの和合
KAIT工房のスタディにおいて、柱の群れは幾度となく仮固定され、何度も何度も調整されてゆく。顕示されたものを受け入れて、またそれに対して調整を繰り返し、少しずつよい状態にして顕示する。顕示されたものは、誰に対しても開かれている。すなわち、ゴシック的透明性は、柱を介した終わりなき対話を繰り広げることを可能にしているのだ。その結果、バフチンが述べたようなポリフォニックな対話の場所が生まれてくる。柱は永遠に調整され、そのスタディの過程であらゆる意見が巻き込まれてゆく。矛盾した意見も、何度も何度も繰り返し柱の位置に落とし込まれ和解してゆく。この柱の群れの位置を決める探求にもスコラ哲学の匂いを感じることができる。ここで、パノフスキーがスコラ学の原理を、第一原理を〈マニフェスタティオ〉(顕示)としたうえで、第二原理を〈コンコルダンティア〉(和合)と指摘したことが思い出される。
学問府の教育の形式や、既述の公開の〈自由討論〉の儀式や、とりわけスコラ学の著作そのものにおける議論の進め方を決定したのは、見かけは和解できないように見えるものを和解させるという、そしてアリストテレスの論理学の同化を通して芸術と言えるほどに完成された、この技術であった(p199)。
パノフスキー『ゴシック建築とスコラ学』
こうした和合を繰り返すなかで、柱の大きさや位置や角度がなんとなく決まってくる。「柱はこの位置がいいと思われる」。「しかしこれとは反対に、柱はこの位置がいいと思われる」。「では、柱をこの位置にしなければならない」…。こうした対話が305本すべてにおいて行われる。当然、1本の柱の位置が変わるなら、その他の柱の位置も変えなくてはならない。この無限に続く終わりなき対話が繰り返されることによって、他者の意見が無限に取り込まれ続ける。終わりなき対話の果て、柱の位置は曖昧なまま仮固定され、未完成なままに完成するのである。こうした探求プロセスによって、一本一本の柱が生きているだけでなく、305本の柱が全体として非有機的な生の匂いを帯び、生ける全体となる。そうした生きた全体もまた神秘的なものであることは言うまでもない。
ではゴシックの大聖堂はその本質において無時間的、時間的いずれの美学を体現しているのだろうか。いうまでもなく時間の美学である。ゴシックの大聖堂は何百年という時の流れを表しており、しかも完成に至っていない。時の流れは停止していないのだ (p266)。
酒井健『ゴシックとは何か:大聖堂の精神史』
(強調筆者)
探求し続ける場所
ゴシック的透明性と探求への意思
ゴシック的透明性の場において、間主観性の世界が切り開かれるのは鮮やかである。一本一本の柱が生きられ、305本の柱の群れも全体として生きられる。このKAIT工房という器官なき身体は、ゴシック機械と結ばれながら、建築家と他者に接続、あるいは脱接続を繰り返すのである。このような意味において、KAIT工房は建築を使うひとの生を輝かせるという問題に対して、ゴシック的方法で応答しているのである。柱一本一本に対するミクロな探求、そして柱の群れに対するマクロな探求、その現実性から決して離脱しない二つの層の探求作業から神秘的なものが浮上する。あるいは、崇高というべきかもしれない。KAIT工房の場合、地上における「生の崇高さ」が生まれている。崇高についてはまたKAIT広場の解説で書きたいが、ともかく、この探求の場所を担保するのが、ゴシック的透明性なのである。ゴシック的透明性という基盤と探求への意思が結びついたとき、新しい何かが生まれる。
ゴシック的な探求
ここで、ヴォリンガーの言葉を思い出そう。「こういう崇高な病的昂奮こそ、何よりもいちじるしくゴシック現象の特色を示すものなのである
」(p92)。この崇高な病的昂奮が、一本一本の柱、そして柱の群れを探求し続ける運動へと昇華され、建築のなかに仕舞い込まれてゆく。建築家も建築を使うひとも、その探求作業へと巻き込まれる。なんらかの超越的な解決があるかもしれない、あるいは完璧な柱の配置があるかもしれないと願って…。でも、その解決の一点が訪れることはない。それは天空にある。だから、地上にて探求運動を続けることしかできない。この探求を無機質で抽象的な柱として書き付けようとするとき、新しい表現が生まれ、建築を使う他者が尊重される。そもそも、ルネサンスにおいて個人の建築家が成立したとすれば、石上はゴシック的な探求の方法を持って、建築家成立以前へと向かっているのである。
ゴシックにおける森の思想の開花
大聖堂と森のイメージ
ゴシック建築は聖なる森に喩えられることが多いが、KAIT工房も森をつくることをコンセプトとしている点で、両者とも森のイメージと親和性が高い。最後に、一体、なぜ森なのかを簡単に考えて終わりにしたい。酒井健は『ゴシックとは何か』という著書のなかで、聖母マリア信仰と大聖堂の建立は、じつは民衆の地母神崇拝と森への畏怖をキリスト教に馴化させる戦略であったのではないかと分析している。「教会側は、キリスト教化を進めるとき、いつもこの手をとる。異郷の上にぴったりキリスト教信仰を重ね合わせ、異教の信仰形態を見えなくするのだ
」(p44)。なるほど、ゴシックの背景に農民の自然への信仰があり、そのうえにキリスト教が覆い被さっているという指摘は興味深い。それゆえ、大聖堂では、キリスト教的な世界観のうえに、農民の森へのイメージが滲み出してきているのだ。もう少し詳しくみよう。
森の思想が建築に現われる
ゴシック建築の生まれた背景
中世において、シトー会修道院の大開墾運動によって、森林が次々と伐採され、農地として拡大された結果、食料が安定して人口が増加する。人口が増え、労働力に余剰が生じると、居場所を失った人々は農地を捨てて都市へ移り込む。彼らは、森から都市へ出てきた故郷喪失者である。根無し草である彼らは、都市のなかに精神的拠り所としての森を求める。これが、正典の外にある聖母マリア信仰と結びつく。父権的・超自然的な正典は、自然との結びつきが弱く、森への信仰を持つ農民たちと相性が悪かったから。こうして、大聖堂のなかに森のイメージが忍びこんでくる。聖堂の内部は、失われた聖なる森のイメージで作られていて、異教徒だった農民の信仰心を呼び起こすのに役立ったのである。重要なのは、大聖堂が、根無し草となった故郷喪失者の不安の放出先になったことである。
農村には、地縁、血縁両方の暑い人間関係があった。同じ土地を共同で耕すという大地に根ざした共生感、同じ血で結ばれているという肉体からの一体感、そうした親密なつながりが農村にはあった。都市にはそれがない。まわりに住まう人間は他人ばかりである。職種の違う、風習も異なる、さらには氏素姓の分からない者たちばかりである(p37)。
酒井健『ゴシックとは何か:大聖堂の精神史』
強調筆者
故郷喪失者の拠り所
こうして、都市に移り住んだものの不安が蔓延し、この故郷喪失の不安のなかに大聖堂が花開くのであり、このとき、森のイメージがその不安の発散先になったのである。さて、現代において、住むことと建てることが分離して、あらゆるひとが故郷喪失者となっていることを思い出そう。当然、これは中世における、農民の都市への移動とは異なるのだが、精神構造としては同じではないだろうか? 現代の都市には多種多様な人々が集まっている。まるでゴシックにおける都市のように。彼らは生まれたときから故郷喪失者であり、みずからが根無し草であるという不安を抱え続けている。伊東豊雄や妹島和世の時代には、まだその故郷喪失の不安が大きな主題には上がってこなかった。ただ、石上純也の時代において故郷喪失の不安がついに爆発する。こうした不安が溢れかえるとき、漠然とした森のイメージが立ち昇る。こうして、無機質で抽象的な建築のなかに、抑圧されていた森への自然信仰が湧き上がってくる。日本人が農耕民族であったからか、あるいは人間の集合的無意識の奥底には森的なものがあるのか、その由来は保留しておきたい。
ネオ・ゴシック
故郷喪失の不安という主題
こんなふうにKAIT工房を考えてみてはどうだろう。モダニズムの反省によって、父権的な建築家の立場が失われたことを前提にしながら、現代において故郷喪失の不安がもはや歯止めが効かないほど溢れかえり、森の信仰が再来している。再来したというよりも、むしろ湧き上がってきたという方が正確かもしれない。建築を使うひとの故郷喪失の不安は、もはや無視できないほど大きくなっている。だからといって、特権的な建築家が否定され、天空からのイデア的なものは否定されている。唯一残されているのは、地上からのイデア的なものへの探求である。プラトンではなくアリストテレス的な神学へ。そうした超越的な解決を目指して、地上からの探求をし続けることすることで、故郷喪失は不安を紛らわす訳である。ゴシック的透明性がその探求の場所を担保し、探求は終わりなく続けられる。
森に対する畏怖
KAIT工房には、柱・梁などの基本的な要素しかなく、とりわけ新しい創作が行われているわけではない。それはモダニズムの言語の延長線にある。しかしながら、モダニズムの言語のなかに、故郷喪失の不安を背景にしながら、森への信仰が湧き上がってくるのがみて取れる。それは森の形態的な模倣ではなく、森に対する畏怖である。モダニズム的建築言語に、森への信仰のような畏怖が、なんらかの解決をめざして、不安とともに流入した。その結果、森のような場所が事後的に生じてくる。ここには、探求の先にある、神秘的なもの、あるいは聖なるものが宿っている。
ネオ・ゴシック
もしゴシックが、不安のなかに生まれてくる自然信仰の現われで、そうした不安にある種の解決を与えることを狙った運動であるとするならば、現代においてネオ・ゴシックが本格化してゆくのも時間の問題だろう。不安は解決されないかもしれない。ただ、超越的な解決へ向かって、故郷喪失の不安からの探求が続けられるのだ。われわれは、ガウディという鬼才以後、ネオ・ゴシックを切り開いた現代建築として、石上純也のKAIT工房を建築史に刻んでみたいのである。ネオ・ゴシックという様式は、いま始まった。故郷喪失の不安はどこへ向かうのか…?
神奈川工科大学KAIT工房を訪れた感想その飛行機はいつ飛んだのか
この建築を訪れて印象的だったのは、天井にぶら下がった巨大な飛行機が、見事に柱をかけて浮かんでいることだった。ものの見事に、柱を避けている。この飛行機があらかじめ計画されていたのか、それとも後からつくられたのか、これがどうしても分からない。飛行機を避けるように柱を配置しておくなど馬鹿げているし、かといって、柱に合わせて飛行機が計画されたなどというのも馬鹿げている。卵が先か鶏が先か。この分からなさは、この建築において、住まうことと建てることが曖昧に溶け合っていることの証明である。見事、としか言えない。最後に訪れた感触を言葉にして添えておこう。
KAIT工房とKAIT広場― 青年期の興奮した激情
東京から絶妙に遠い本厚木駅に駅にたどり着いてから、バスに乗って大学のキャンパスへと向かっていると、バスから見える景色があまりに平凡すぎて、何処までも運ばれてしまうのではないかと不安になる。ようやく大学の前に到着し、正門で手続きを終わらせてから進むと、あのKAIT工房が見えてくる。裏側にはKAIT広場。白く巨大で薄っぺらい。
まずKAIT工房に入り見学の注意説明を受ける。説明してくれる男性職員は、観光客の案内をするように流暢に話し、周りには、ロシア人、フランス人、中国人など多様な人が見学に来ている。まるで世界遺産である。KAIT工房の職員は、観光客の受付に慣れているのである。パンフレットには日本語と英語の両方がある。
KAIT工房に入ると、あまりに多くの柱の群れに驚くと同時に、設備機器、洗面器、工作機械、時計、机、椅子など、あらゆるものが等価に散らばっていることに気が付く。まるで誰かの家を訪れたかのようである。かといって、そうした生活世界は無秩序ではなく、生活世界が柱と共存していることで、不思議な秩序感をともなっている。天井高が高いから、生活世界と建築がいい感じのバランス感のままに溶け合っている。
ところで、KAIT広場にも訪れたのだが、こうした生活感をKAIT広場には感じることができなかったのが悲しい。KAIT工房は住宅の延長のような温かみがあるが、KAIT広場は美術館のアートのような冷たさであった。KAIT広場は崇高であるが、住まうことが立ち現れず、息が詰まりそうだったのである。要は、生きられていなかった。だから、KAIT工房の方が好きである。
ヴォリンガーは『ゴシック美術形式論』において、東方人とゴシック人の精神を、こう比較する。「こうして東方人のもつ無表現な抽象的な線と、ゴシック人のもつ表現の昂進された抽象的な線との差異は、まさしくもっとも深刻な世界洞察から起こる究極的な二元対立と、未発展の認識段階にある一時的な二元対立との差異である。白髪の老年期の崇高な静寂主義と、青年期の興奮した激情との差異である
」(∗1)。
なるほど、この比較ほどKAIT広場とKAIT工房の差異を正確に表現したものはないように思える。両者とも、内界と外界が融合していないという二元対立を持っている。ただ、東方人はそれを認識作用を持って捉えている。KAIT広場は圧倒的自然という外界を認識作用によって理解している《白髪の老年期の崇高な静寂主義》である。他方で、KAIT工房は、まだ圧倒的自然という森のようなイメージの外界を、認識でうまく捉えきれていない。その結果、どうしようもない不安に駆られ、《青年期の興奮した激情》が感じられる。
僕は、ゴシック的な若さが残ったKAIT工房の方が好きである。この激情こそが他者を巻き込んでゆくのだから。
季山時代
2025.01.28
(∗1) ヴォリンガー『ゴシック美術形式論』
ヴォリンガーの『抽象と感情移入』に続く主著。久しぶりに読むと、これほど石上の建築と親和性が高い本もないと思えるほどである。多分、石上を語るうえで重要になる次のテーマは「崇高」である。バーグ、カント、リオタールからバーネット・ニューマン論を書きたい。
神奈川工科大学KAIT工房の建築写真
写真を撮りました。サイトへのリンクを貼っていただければ、常識の範囲内に限って、無許可にて使用して構いません。なお、この写真を使用することで発生したいかなる損害に対しても、一切の責任を負いかねますので、あらかじめご了承ください。










