昭和館の外観写真

昭和館 菊竹清訓 九段の建築

設計者は菊竹清訓。菊竹は『スカイハウス』『出雲大社庁の舎』『東光園』『江戸東京博物館』『島根県立美術館』『九州国立博物館』などの挑戦的な作品で知られる建築家で、内井昭蔵、長谷川逸子、伊東豊雄、内藤廣などの名だたる建築家を排出したことでも知られている。昭和館は、国民が経験した戦中・戦後の国民生活上の労苦を後世代に伝えるのを目的とした国立博物館であり、チタンの折板パネルに覆われた美しい外観の建築で、1998年に竣工している。

解説

昭和館の建築概要平和追求の建築のコンセプト

この建築は構想から7年という長い期間を経て完成したもので、当初は地上10階建てのS字形の彫刻的な建物を想定していたが、地上7階建ての現在の案へと変更されて、1999年に竣工した。日本武道館や皇居に近いという難しい敷地の性格ゆえに、完成までに相当の苦労があったようで、文献を読んでいても言葉の歯切れの悪さが目立つのだが、上品な建築で美しい佇まいをしている点で魅力的である。

3つの基本コンセプト

松里征男「昭和館」(一部改変)
『新建築 1999年5月号』所収

まず、菊竹清訓事務所で『昭和館』を担当した松里征男の言葉を引いてみると、『昭和館』は上記の3つの基本コンセプトから成立していることが分かる。しかしながら、あまりに簡潔すぎて不明確なので自分なりに解釈してみたい。

①平和追求へのメッセージ

平和追求へのメッセージでは、有機的な形態が平和と結びつけられた。この理由は推測するしかないのだが、丹下健三の「広島平和記念資料館」などの象徴的なモダニズム建築が、果たして平和追求のメッセージとなるのかという懐疑があったに違いない。そうした象徴的なもの、あるいは権威的なものこそが平和を脅かすのではないかと考えた結果、その代替案として有機的なものが見出されたのだろう。実際にこれに生命を感じるかは別としても、モダニズム建築とは少し異質な、黄金虫のような有機性を感じるのは確かで、抱きしめたくなるような可愛らしさがある。

②後世に伝える耐久保存建築のプロトタイプ

竣工した時は綺麗なのだが、次第に汚れて駄目になってしまう建築は好ましくないという問題に対して、一つの回答がなされている。まず、外壁にはチタンパネルが採用されている。チタン材は、表面に酸化被膜をつくることで知られ、メンテナンスフリーの材料として優れている。またそれだけではなく、外壁パネルが組み替え可能になっていて、もし一部が駄目になってしまったら、その部分だけ取り替えられる計画となっている。ここにあるのは、建築の新陳代謝という考え方なのだが、実際に取り替えられるかは別として、取り替え可能な「かた」を提示しているということが重要である。

③エコ・テクノロジーの環境建築への試み

エコ・テクノロジーという言葉は、地球環境に負荷をかけないという意味のエコロジー、そして科学技術を意味するテクノロジーを組み合わせた造語だと考えられる。エコロジーという言葉には、環境保護の観点以外にも生態学という意味もあるため、そのニュアンスもこめられているのかもしれない。ところで、エコ・テクノロジーの環境建築のために、自然を感じる機械装置を提案するとはどういうことか。詳細は分からないのだが、建物西側に「トップライト機構装置」というガラス張りの奇妙な装置があり、光を制御するエコ・テクノロジーの化身だと考えられる。

トップライト機構装置
トップライト機構装置 @Architecture Museum新建築をみると「トップライト機構装置」とだけ書かれている。ブラインドがかけられ、ポスターが貼られているのだが、ブラインドが内側にあるということは、そこから側面から光が入るようになっているということだろう。内部の緑の檸檬のようなものが開くのだろうか?

3つの具体的提案

3つのコンセプトを見たところで、このコンセプトを達成するためになされた具体的提案は、①周辺環境への参加、②無理のない防災的な平面計画、③敷地の高低差を利用した多様なアクセス、が挙げられている。こらの具体的提案とコンセプトがいかに絡み合うのかは難しいのだが、一つひとつ見てみよう。

①周辺環境への参加、上品な外壁パネル

外壁はチタンパネルに覆われてほとんど窓がない。これは、展示品を保存する観点から考えられたものである。金属の外観をそのまま使うと、その外観は厭らしく反射しがちであるが、アルミナブラストという加工によって光沢を抑えた柔らかい印象となり、周辺環境を邪魔しない外観デザインとなっている。また、折板形状のパネルの使用により上品な襞が付けられ、流れるような襞が足元に落ちてゆく風合いは美しい。

②無理のない防災的な平面計画、2階の広場の使用

この建築は、2階にまとまって解放された広場があること特徴的である。人々を2階にひきこむために、幾つかの階段やスロープが用意されていて、建物の周囲を回遊できるようになっている。有機的な動線に沿って回遊していると、日本武道館や田安門が見えたり、九段会館が見えたり、はたまた九段下を歩き回る人々の姿を見下ろしたり、楽しめる仕掛けとなっている。また、各コアに非常用電源が設置されたり、階段下に防火水槽が用意されたり、2階の広場を軸として巧妙にまとめられた防災計画となっている。

③敷地の高低差を利用した多様なアクセス、出会いの場所

2階の広場は、4箇所のうねるような柱で囲まれている。柱の内側は、ブロンズの仕上げで暖かい印象を与え、大きな手で包まれているような印象を受けるのは、ブロンズ板の目地が斜めに流れているからだろう。また、天井はアルミパネルとアルミルーバーを格子状に組んだもので、斜めの角度が回遊性を演出している。さらに、床は御影石が貼られているのだが、握手をモチーフとした模様が刻まれている。握手模様は、伏見康治の『数理のつみ草』という著作を参考に制作されたという。この2階の広場は、数多くの仕上げの工夫、そして1階からの流れるような動線計画によって、出会いの場所として解放されていることが見どころである。

2階の広場
2階の広場 @Architecture Museum2階の広場は暗いのだが、光がまわりこんで入ってくるために、柔らかい印象である。奥へ奥へと導かれる不思議な空間である。
感想

昭和館を訪れた感想コガネムシのような建築

この建築を訪れて感じた印象は、黄金虫コガネムシのようだという印象である。象徴的というよりも、柔らかい聖性を持ち、太陽のように光り輝くのではなく、懐中電灯のように微かな光を反射して、奥行きのある深い象徴性を持っている。コガネムシの美しさはどこに宿るのか? そう考えて、コガネムシについて調べてみると、コガネムシの体表の輝きは、はねの表層にコレステリック液晶が形成されているからだとする研究を見つける。

コレステリック液晶とは、棒状分子が螺旋状にねじれて積層されたようなイメージで、螺旋の周期によって特定の波長が強められ、円偏光の選択反射によって一方のみを反射する。難しいことは置いといて、ある方向性を持つ層を螺旋状に積層させたとき、驚くほどの多様な外観を見せると簡略化するならば、『昭和館』のコガネムシらしさの由来が明らかになる。つまり、コレステリック液晶のように、幾つかの方向性を持つ層が螺旋状に積層されている建築なのである。

『昭和館』のコガネムシは、様々な方向性の螺旋状の積層によって見出される。上から下の方向へ流れるチタンパネルの線、床の御影石の斜めの線、2階の広場の柱の内側のブロンズパネルの線、2階の広場の斜めにズラされたアルミパネル天井の線。これらが螺旋状に重層することによって、コガネムシのはねのような生命の躍動感を感じさせる。この建築は、外観がコガネムシに近いだけではなく、微視的な観点からもコガネムシなのである。生命の尊さを感じるのは、コレステリック液晶にもにた螺旋状の重層にこそあって、平和追求のメッセージは、昆虫のような奥行きのある可愛らしさに込められたのかもしれない。

黄金虫のような建築― 美しい衣服を纏った女性のように

半蔵門の方から千鳥ヶ淵を散歩していると、不思議な風合いをした建物が見えてくる。上品な羽衣を纏った女性のようであり、優しい表情を持つのだが、その裏腹、階数がわからない不気味さも兼ね備えていて、謎に満ちた存在感を放っている。この建築をいつも黄金虫こがねむしのようだと思う。黄金虫という言葉は、金蚉かなぶんように厭らしい言葉とは違って、気品に満ち溢れ、人々に想像力をかき立てる。そういえば、『黄金虫』というポーの小説では、黄金虫が髑髏どくろと結びつけられていたが、どことなく死の匂いも感じさせる黄金虫は、一段と輝きを持つ絶妙な主題であった。小説のなかに登場する黄金虫は、黄金を探すきっかけにこそなるが、決して黄金そのものではないし、むしろ黄金とはなんら関係はなく、ただ黄金虫という一つのシニフィアンを鍵にして、物語が流れるように展開してゆくだけである。九段下にそびえるこの建築も、黄金虫のように、平和を探すきっかけを与えてくれるのだが、平和という黄金そのものを提示するわけではない。

二階にあがるための道は幾つも用意されているが、裏側のくねったスロープから登ってみると、優しく角のない四本の柱に抱きかかえられて、ふわりと浮かんだ二階の広場に到達する。少しばかり暗く、柱や床にまわりこんだ光が照らす空間は穏やかである。柱に包まれている安心感を覚えるのだが、じっと留まることができず、広場のうえを回遊してしまう。落ち着かないわけではないのに、留まるわけにもいかないという不思議な雰囲気である。素晴らしく象徴的な建築であれば、止まって呼吸を忘れてしまうだろうが、この建築では呼吸はそのまま、大きな腕に包まれるという優しさがある。周りの風景はとてもよく、九段会館、日本武道館、満開の桜、これらが自身の身体と調和している。

二階広場を時計まわりに通り抜けると、西側にガラスに囲われた奇妙な円錐形のトップライト機構装置がある。この機械の効果は未知数だが、金蚉かなぶんの標本のように悪趣味で、檸檬をしぼるスクイーザーみたく不気味である。光を絞りこむ装置だろうか、なぜ緑と黄色の色をしているのだろうか。道路に向けられた大階段を降りて、建物をぐるりとまわりこんで一階のロビーへ入り、展示内容を確認してみると、「時代をまとう女性たち」という特別企画展が行われているというから、上階に登って展示を見にいくことにした。その時代を生きた人々の洋服が展示されていて、女性服のうつり変わりを眺めながら、洋服は時代を写す鏡なのだと再認識する。ボードレールなど知らないが、衣服をまとった時に女性は輝いて見えるし、衣服を脱ぎ捨てた時にも女性は輝いて見えることは明らかで、女性が謎に満ちた両義的な存在なのは自明である、と寝癖だらけの髪の毛を触りながら強がってみせる。

他の展示もさらりと見てまわり、色々と考えることも面倒になり、帰ってだらりと寝ることにした。平和のことなど知らないけれど、今この手のなかにおさまっている生温い世界が、一粒の角砂糖が溶けこんだ一杯のコーヒーのような甘い世界が、ただ永遠に続けばよい。

季山時代
2023.04.04

写真

昭和館の建築写真

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牛ヶ淵に面した昭和館の外観
牛ヶ淵に面した昭和館の外観 @Architecture Museum
道路から見た昭和館の外観
道路から見た昭和館の外観 @Architecture Museum
九段下の駅と建物
九段下の駅と建物 @Architecture Museum
スカートのような入口
スカートのような入口 @Architecture Museum
正面の大階段
正面の大階段 @Architecture Museum
湾曲した床
湾曲した床 @Architecture Museum
美しい襞の柱の脚部
美しい襞の柱の脚部 @Architecture Museum
一階から道路を見る
一階から道路を見る @Architecture Museum
裏側の階段とスロープ
裏側の階段とスロープ @Architecture Museum
スロープから見る風景
スロープから見る風景 @Architecture Museum
回遊をうながす床
回遊をうながす床 @Architecture Museum
一階を貫通する車路
一階を貫通する車路 @Architecture Museum
柱に包まれた二階広場
柱に包まれた二階広場 @Architecture Museum
ずるずると奥に誘導される動線
ずるずると奥に誘導される動線 @Architecture Museum
床の握手の模様
床の握手の模様 @Architecture Museum
トップライト機構装置
トップライト機構装置 @Architecture Museum
チタンパネルの外観
チタンパネルの外観 @Architecture Museum
スロープと階段
スロープと階段 @Architecture Museum
建築の柱の脚部
柱の脚部 @Architecture Museum
附記