岡本太郎記念館の外観写真

岡本太郎記念館 坂倉準三 南青山の建築

設計者は坂倉準三。坂倉は、コルビュジエに師事したという経歴を持ち、『パリ万国博覧会日本館』『東京日仏学院』『神奈川県立近代美術館』『岡本太郎記念館』『佐賀県体育館』『岐阜市民会館』『新宿駅西口広場』などの作品で知られる建築家である。『岡本太郎記念館』は、1954年に竣工した岡本太郎の住まいであり、現在は坂倉準三の手による旧館をそのままに展示棟が新築され、ミュージアムとして使用されている。

解説

岡本太郎記念館の建築概要凸レンズを並べたようなユニークな屋根

岡本太郎の住宅として

岡本太郎が42年間住み続けアトリエとして利用して、様々な作品を生み出した場所を手掛けたのが坂倉準三である。1920年代終わりから30年代にかけてパリに渡っていた岡本は、ル・コルビュジエのもとで働いていた坂倉とパリで知り合ったという。調べた限りでは、岡本のリクエストは二つある。「気取りは全然いらない。ただ広い空間があればいい」という内容と、「原稿執筆と絵画の制作に同時に取り組めること」という内容である。その両者をかなえるべく設計されたのが、コンクリートブロックで保存されている旧館の方である。

岡本太郎邸のサロン
岡本太郎邸の1階サロン @Architecture Museum剥き出しのコンクリートが特徴的であり、庭とそのまま一繋がりになっているのも印象的である。『手の椅子』をはじめとして、岡本の作品が所狭しと並んでいる。

建築の平面構成

建築そのものは、6.37m×7.4mの平面が2つ並べられ、それぞれにユニークな形の屋根が載っている。片方の平面は、2層吹き抜けの広々としたアトリエであり、側面には階段が計画されて2階に登れるようになっている。もう片方の平面は、1階に玄関ホールやサロンが、2階に寝室や水廻りがコンパクトにまとめられ、美しい螺旋階段で結ばれている。アトリエ部分については、気取らないただ広い空間が用意されているのが分かり、本が並んだ中二階と階段で結ばれることによって絵画制作と原稿執筆が同時に行なえるという岡本のリクエストが実現されている。

岡本太郎記念館のアトリエ
岡本太郎のアトリエ @Architecture Museumなかには入れなかったが、岡本の息遣いが感じられる空間である、よく見ると、左側にコンクリートブロックの壁がアトリエ側に飛び出しているのが分かるが、この部分が空間にリズムを与えている。

ユニークな屋根形状と村田豊

この建築は、コンクリートブロックの組積造の壁に、2階の床と屋根を木造で設計するという混構造であるが、なんといっても特徴的なのは凸レンズを並べたようなユニークな形状の屋根である。この屋根は、応力外皮構造と呼ばれるもので、外皮が構造を支えることで大きなスパンを飛ばすことが可能になり、柱のない伸びやかな空間が実現可能になる。また、屋根と天井が一繋がりであることを形状から見て取れ、屋根裏がそのまま天井となっている印象を受ける。この「屋根裏、即、天井」の形状は、気取らずに鮮やかな空間を提供する。

建築の屋根構造への関心は、当時坂倉事務所に所属して『岡本太郎邸』の現場を担当した村田豊という人物に由来する。村田は空気膜構造の第一人者として名を馳せることになる人物で、坂倉事務所を卒業した後にコルビュジエに指師したことでも知られている。坂倉事務所においては、1950年の『加納邸』や1952年の『寺田邸』や1954年の『岡本邸』を手掛けているが、いずれも構造的工夫が盛りこまれているから、当時から構造への関心があったことがうかがえる。村田は、師匠である坂倉を「サカ」と呼び捨てにするほど対等な立場であり、現場では互いの意見を衝突をさせることが日常で、岡本は二人の口論を微笑みながら眺めていたという。

岡本太郎記念館のアトリエ
壁と屋根の接合部分 @Architecture Museumコンクリートブロックの上に、そのまま屋根が載せられているような単純さが見て取れる凸レンズのような屋根のなかには、木材の束が並んでいる。
感想

岡本太郎記念館を訪れた感想美しい屋根と眼の関係

この建築を訪れて感じたのは、なにより生きられた家という印象であり、岡本太郎の息遣いがありありと感じられる。気取りは全然なく、ただ雨風を防ぐための屋根が載せられているだけで、構造が一瞬にして把握できる素朴さがよい。コルビュジエはドミノシステムのスケッチで梁を隠蔽したが、その構造的側面を拾い上げて屋根そのものを膨らましたという点が、この住宅の居心地のよさをつくり出しているようにも思う。なぜなら、構造の力の流れが明快で自然に感じられるからである。

コルビュジエのドミノシステムでは、水平スラブの構造が不自然なために、建築家の恣意的な匂いを消しきれない。要するに、構造が気取って見える。一方で『岡本邸』では、屋根が構造として凸状の膨らみを持ち、力の流れがより自然である。力の流れが自然であるがゆえに、屋根に意識が向かないほど馴染んでいて、気取りはまったく感じられない。それでいて、屋根は一つのキャラクターを持ち、自体で存在する独立性を主張して、「屋根=構造=表現」となっている。

以前、『TOS'S表参道』などの伊東豊雄の建築が「ファサード=構造=表現」だと解説を載せたが、建築を構成する要素に構造を負担させることで一つのキャラクターを演出する設計手法は、コルビュジエに影響を受けた建築家がコルビュジエから逃れるための方法の一つなのかもしれない。また、こうした「屋根=構造=表現」という考え方が発展して、村田豊の『万博博覧会・富士グループパビリオン』などの膜屋根の思想に繋がってゆくのも感慨深い。

こうして設計された空間を岡本は大変気に入って42年にわたって住み続けた。ただ構造を可視化した単純なシェルターであるからこそ美しく自然な表現となっていて、この素朴で気取らない空間が岡本太郎の創造の背中を押したのは間違いないだろう。新築された建築もかなりよく設計されていて、あたかも昔からそこにあったかのような印象を受ける。この建築にはまだ見習うことがたくさんある、是非とも訪れたい。最後に感触としての言葉を添えておこう。

眼球のない屋根が自分自身を見つめている

青山に岡本太郎の過ごした家があり、それが坂倉準三に設計されたというから見ないわけにはいかないと足を運ぶと、奇妙なオブジェが塀から顔を覗かせていて、覗かれたという事実に一瞬だけ時が止まった気がした。この住宅には独特な雰囲気が漂っていて、「なにか」が住んでいると直観していた。なにかは分からない。ただ、彫刻や絵画ではない、目に見えない「なにか」の気配がある。生命の匂いが漂う庭を横目にエントランスに入り、靴を脱いで階段を登ると、赤い空間が立ち現われて、岡本太郎の作品が所狭しと並んでいた。ギョロリとした眼が描かれた作品群なのだが、すべて眼がこちらを睨んでいるように感じて身震いした。

赤い空間の絵画を鑑賞し終わり、ブリッジを渡ろうと後ろに振り向くと、別の目玉が空に浮かんでいるのが見えた。凸状の白い天井を這う一本のダクトの黒い穴であり、その黒い眼球がこちらを覗いていたのである。これは明らかに目玉であり、ギョロリとこちらを見ている。そこで気がついたのは、この建築が目玉を意識して設計されているということである。これはと思い、ブリッジの向こう側にある展示室に渡って後ろを振り向くと、今度はダクトの断面がこちらを見つめている。まるで、二枚貝から顔を覗かせる真珠のように、凸形の開口部のなかに一つの眼球が浮かんでいたのである。このダクトは眼球に間違いない。ということは、凸レンズを重ねたような形状は、まぶたの表現に違いない。新館のダクトを見るまで目玉のメタファーに気づかなかったなんて、なんと情けない。

階段を降りて旧館のアトリエを見学した後、外の庭から旧館の屋根をもう一度だけ眺めてみる。膨らみを持った屋根が横並びに二つ並んでいるのだが、明らかに両眼の比喩だと感じられた。岡本太郎の写真のなかに、左右の手のひらに目を書いたものがあるが、まさにそれである。しかしながら、この屋根という両眼には眼球がなく、眼球のない瞼の輪郭だけが提示されている。眼球なき両眼としての屋根の不思議な魅力はどこに由来するのか。バタイユの『眼球譚』では、眼球は抉り出され、滑り落ちて、転がされ、そして遊ばれていた。「いっぽうエドモンド卿はもつれ合った二つの肉体のあいだで、腹や胸の皮膚の上に目を転がして楽しむのだった(河出文庫-生田訳-p128)。ここでは、眼球は、見るという機能を失って滑り落ちてゆくのだが、その時、えぐられた方の眼窩はどうなるというのかは分からない。

バタイユの紡ぐ物語の主題は眼球に置かれているが、眼球が滑り落ちた後の二つの眼窩は何を意味しているのか。そもそも、視るという機能を持った眼球が前提として存在していて、それが滑り落ちるという順序は正しいものだろうか。盲目になったオイディプスにわれわれは何を視るのか?そこで思い出すのは達磨である。達磨は眼球が失われた状態ではじまり、目入れの儀式を行わなくてはならなず、目入れによって主体の手元に意味が引き寄せられる。達磨は、その眼球の不在ゆえに、各々の願いを個別的に表現することを可能にする。岡本太郎の彫刻は眼球が不在の物が多いのだが、それは鑑賞者が自分の眼球をそこに挿れることを願っているように思えてくる。要するに、眼球は滑り落ちるような代物ではなく、一人ひとりの主体が滑り挿れる代物なのである。

一人ひとりが眼窩のなかに眼球を挿れたとき、今度はその眼球にじっと見られることになる。これは、各々のが描いた個別的な眼球だから、鮮明に生きて見えると同時に、生々しく、そして身近に寄り添ったものとなる。統合失調症における監視妄想のような不気味さを持ち、なによりも自分を詳細に見つめて離さない個別的な眼球。岡本太郎における眼球不在の彫刻作品の魅力とは、鑑賞者が自分で目入れの儀式をすることをうながすという点にあるのではないか。鑑賞者は自分自身が挿れた見つめられるのであり、だから、一人ひとりに強い印象を与える。眼球は個々人が描くものである。

岡本太郎の絵画に黒い眼球が既に描かれていることもあるが、これは多分、抽象化された眼球などでは決してなく、岡本太郎自身の眼球そのものであり、具体的かつ個別的な眼球なのだろう。それゆえ、岡本の力強さがそこにはある。さて、ここまできて、この建築の魅力が明らかになる。この建築は眼球なき両眼としての屋根を抱えていて、そこに眼球が滑り挿れられるのを待っている。すなわち、建築全体として眼球不在を表現している。だから、訪れた人は各々の眼球を屋根に滑り挿れることとなり、今度は、自分自身という建築に見られることになる。この住宅には「なにか」が住んでいるという直観があったが、その正体は自分自身だったのである。

建築という自分自身と眼があったとき、その眼球にどう立ち向かうかは自分次第であるのだが、自分自身から逃げることなく殺してしまえ、と岡本は言うだろう。自分自身に見つめられながらも、自分自身を何度も乗り越えてゆかねばならない。そうした自己との向き合いを絶えず可能とするのが、眼球のない両眼としての屋根を持つ建築である。言うなれば、この建築は自己を映し出す鏡なのである。だからこそ、自由の可能性に満ち溢れ、想像力を喚起させることができ、岡本の創造の背中を押し続けたのだろう。

季山時代
2023.04.19

写真

岡本太郎記念館の建築写真

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岡本太郎記念館の建築の外観
岡本太郎記念館の外観 @Architecture Museum
岡本太郎記念館の入口
岡本太郎記念館の入口 @Architecture Museum
内部の展示空間
内部の展示空間 @Architecture Museum
凸型の天井とブリッジ
凸型の天井とブリッジ @Architecture Museum
ブリッジが浮かんでいる
ブリッジが浮かんでいる @Architecture Museum
美しい光のグラデーション
美しい光のグラデーション @Architecture Museum
建築のダクトの黒い眼球
ダクトの黒い眼球 @Architecture Museum
赤い展示空間
赤い展示空間 @Architecture Museum
空間を覗いている眼球
空間を覗いている眼球 @Architecture Museum
浮かぶ眼球の正体
浮かぶ眼球の正体 @Architecture Museum
不思議な入口が見える
不思議な入口が見える @Architecture Museum
入りにくい不思議な入口
入りにくい不思議な入口 @Architecture Museum
旧館のコンクリートブロックに囲まれたサロン
旧館のコンクリートブロックに囲まれたサロン @Architecture Museum
サロンからアトリエへの動線
サロンからアトリエへの動線 @Architecture Museum
岡本太郎のアトリエ
岡本太郎のアトリエ @Architecture Museum
入口の美しい模様
入口の美しい模様 @Architecture Museum
反射する庭と幾何学的なガラス
反射する庭と幾何学的なガラス @Architecture Museum
彫刻が散りばめられた庭
彫刻が散りばめられた庭 @Architecture Museum
ガラスに反射する屋根
ガラスに反射する屋根 @Architecture Museum
こちらを覗く太陽の塔
こちらを覗く太陽の塔 @Architecture Museum
岡本太郎記念館の建築の裏側
岡本太郎記念館の建築の裏側 @Architecture Museum
屋根と壁の接合部
屋根と壁の接合部 @Architecture Museum
太陽の塔
太陽の塔 @Architecture Museum
乙女
乙女 @Architecture Museum
庭の彫刻たち
庭の彫刻たち @Architecture Museum
アトリエの開口部
アトリエの開口部 @Architecture Museum
附記