象の鼻テラスの外観写真

象の鼻テラス 小泉雅生 横浜の建築

設計者は小泉雅生。小泉は『象の鼻テラス』の他に『黄金町高架下新スタジオ site-D』『港南区総合庁舎』『アシタノイエ』などの作品で知られた建築家である。『象の鼻テラス』は、横浜市・開港150周年事業として、2009年に開館した建築である。「文化芸術創造都市クリエイティブシティ・ヨコハマ」を推進する文化観光交流拠点の1つであり、アートスペースとカフェが併設されていて、様々な文化プログラムが行われている。

この建築の特徴を一つあげるならば、めくれ上がった地盤のような形態である。めくれ上がった地盤の上部はテラスとして使われ、地盤の下部はカフェや休憩施設として使われる。なんともいえ不思議な魅力を持つ地盤は、まわりに広がる横浜の風景の魅力を引き出す役割に徹した裏方であり、建築というよりもランドスケープにちかい。「象の鼻」という名前こそつくものの、建築そのものに象らしさはない。より細かく追いかけてゆこう。

解説

象の鼻テラスの建築概要象の鼻に隠された三つのコンセプト

まず、設計者である小泉の言葉を引いてみよう。

復原された湾曲した波止場の形状を延伸し、サークル状に内水面を囲むように、壁柱状のスクリーンパネルを配置している。スクリーンパネルには照明が組み込まれており、港町である横浜の原点を可視化する印象的な夜景を作り出す。小さなオブジェを連続的に配することで、大きな風景を描きだそうという試みがなされている。

小泉雅生『環境建築私論』(強調筆者)

設計は建築そのものだけではなく、その周辺の風景にまで及んだことが分かる。とはいえ、大規模な再開発では決してなく、「小さなオブジェ」によって「大きな風景」をつくりだすという、細やかで大胆な試みである。新印象派の絵画が小さな絵具の粒によって風景を描いたように、蟻が行列をなした時に大群となるように、小さいものが連続することで大きな風景が立ち現われる。

こうした設計手法は、都市を破壊することなく、都市をよりよくする方法として有効である。考えてみれば、街並みというのは小さな建築が寄り添い合って描きだされたものであるから、小さなオブジェで大きな風景を描くのは想像しやすい。ところで、「象の鼻地区」の再整備の特徴を大雑把にまとめると3つである。①象の鼻のかたちの防波堤、②壁柱状のスクリーンパネル、③象の鼻テラスの軸線。ひとつひとつ追いかけていこう。

象の鼻テラスの夜景
象の鼻テラスの夜景 @Architecture Museum光り輝く小さいパネルの連続によって、街並みのような大きな風景が浮かび上がっている。

①象の鼻のかたちの防波堤

象の鼻のかたちの防波堤は今回の計画において復元されたのだが、歴史を追いかけてみるならば、1858年にまで遡らなくてはならない。1858年に日米修好通商条約が結ばれ、神奈川での開港が予定されたが、諸々の理由から神奈川から横浜に変更され、横浜港が開港が決定する。1859年には、東波止場と西波止場が建設され、以下のような2本の直線状の波止場であった。

再改横浜風景
再改横浜風景 @国立国会図書館 1862年頃に描かれた横浜港の風景。二本の波止場が直線状に伸びているのが分かる。東側は外国貨物、西側は国内貨物の荷卸しに使われていた。(五雲亭貞秀『再改横浜風景』、丸屋甚八、文久2、国立国会図書館デジタルコレクションより)

東側は外国貨物、西側は国内貨物の荷卸しに使われていたという。1866年の豚屋火事をきっかけに、1867年に東波止場が弓なりに折り曲げられ、「象の鼻」のようなかたちになる。その理由は、強風による高波を避けるためだとされる。すなわち、堤防をぐるっと曲げて波止場を囲みこむことで、高波を避けようという戦略である。機能的な理由でつくられた曲線は、なんとも柔らかく美しい。1890年に尾崎冨五郎が描いた図を確認して見ると、堤防が美しい弧を描いているのが分かる。

1894年、象の鼻の横には「鉄桟橋(現在の大さん橋に位置する)」も完成して順調に栄えてきたのだが、1923年に関東大震災に被災した結果、従来の「象の鼻」は失われ、すっかり伸びた「キリンの首」のように直線状に復旧されたまま放置されていた。とはいえ、やはり「象の鼻」を取り戻したい。そこで横浜市・開港150周年事業として、明治時代の「象の鼻」防波堤がほぼ忠実に復元された。

湾曲した波止場が見事に再現されている。緩やかなカーブを描きながら、母なる海へとスラリと伸びる「象の鼻」はもはや芸術の域である。パウル・クレーを彷彿とさせるが、必要から生み出された曲線ほど美しいものはない。『象の鼻テラス』に訪れたならば、復元された「象の鼻」を見て歴史を感じてみよう。その鼻を見たなら、スクリーン・パネルが並ぶ広場の真ん中へ歩みを進めてみよう。ガラス貼りの床から、明治時代の名残である転車台などが鑑賞できる。

復元された象の鼻
復元された象の鼻 @Architecture Museumすらりと滑らかな曲線を描きながら、象の鼻の形をした波止場が海へと伸びている。奥の方に見えるのは、FOAアーキテクツが設計した『横浜港大さん橋国際客船ターミナル』である。

②壁柱状のスクリーンパネル

壁柱状のパネルが、海をまわりこむように緩やかに配置されている。一定の間隔で配置されたスクリーンパネルは、ひとつひとつは小さいが、連続することで「大きな風景」となることが意図されている。夜に訪れると、美しい光の板がリズムよく広場に並んで、まるで横浜の街並みのようである。横幅と高さが緩やかに変化しながら海を囲んでいて美しい。スクリーンパネルの照明として採用されているのは、CCL(コールド・カソード・ランプ)である。

壁柱状のパネル
壁柱状のパネル @Architecture Museum壁柱状のパネルが海を取り囲むように並べられている。小さなのパネルが集まることで、一繋がりの大きな照明のように機能することが意図されている。光の色は時間によって変化していた。

③象の鼻テラスの軸線

象の鼻テラスは芝生の地面がめくれ上がったような建築である。ランドスケープと一体化され、2本の軸線が意識されて設計されているのが特徴である。建築家は軸線を使う生き物であり、ギリシア時代から変わらない性質である。2本の軸線とは、「象の鼻防波堤へ向かう軸線」と「横浜税関へと向かう軸線」である。それゆえ、テラスを歩いていると、自然と防波堤が目に入り、横浜税関に出会うことになる。重要なことは、「象の鼻」と「横浜税関」を単純な直線で結ぶのではなく、絶妙にずれた2本の軸線の交錯として描いていることで、軸線の絡み合いが場所に遊動性を与えている

横浜税関とは?

関東大震災で倒壊したため再建された「クイーンの塔」の愛称で親しまれている建築。イスラム風の塔や連続アーチなどの様々な様式が混在しているのだが、とりわけ美しいのは緑青色のドームの優雅なたたずまいである。設計者は吉武東里。

横浜税関
横浜税関 @Architecture Museum横浜税関本関は、1923年の関東大震災で倒壊して、復興事業の一環として1934年に再建された。イスラム風の塔や連続アーチなどの優雅なたたずまいから「クイーンの塔」の愛称で親しまれている。

象の鼻テラスに生まれる様々な場所外部環境から導かれるデザイン

設計者の意図をもう少し踏み込んで見てみよう。横浜地区は様々な歴史的建造物が立ち並ぶエリアであり、それらの歴史的な風景を邪魔しないように建築を設計するのは至難の技であるが、『象の鼻テラス』は建築家が丁寧に周辺環境を読み込んで設計しているのがよく分かる。周辺環境の読み方、街への真摯さが垣間見える。なんでもないような建物に感じるが、とても綿密に設計されていて、そのなんでもなさが居心地のよさを生んでいる。

外部環境から導かれるデザイン

設計者の小泉が書いた『環境建築私論』という著作では、「内部構造から展開したデザイン」から「外部環境から導かれるデザイン」へとシフトすることを考えたい、という意思表示が描かれている。ここでの「環境」という言葉は、広義な意味を持つもので、和辻哲郎のいう「風土」にちかいものだと私は理解している。要するに、街並み、その精神風土も含めて一つ環境であり、単に環境工学を指したものではない。

小泉は「外部環境から導かれるデザイン」についてこう語る。「デザイン展開の契機が、建築の内部の論理にあるのではなく外側にあること、結果として他律的にデザインが展開するということである。内部構造から展開するデザインが『箱の作り方』を意識していたとすれば、外部環境によって導かれるデザインでは『箱が作り出す環境、箱が結ぶ周辺との相互関係』に意識が向かう」と(p18)

近代建築において、どの地域にも同じ形の自動車が走るように、どの地域にも同じ形式の箱が建設されたことがあり、この批判としての文脈を念頭に置くと分かりやすい。近代建築の自己完結的な設計から、外部の環境を意識した他者に開かれた建築への転換が目指されるのだが、この外部環境から導かれるデザインの設計手法は、『象の鼻テラス』において具体的にどう適応されているのか。該当箇所を引用してみよう。

象の鼻パークでは、既存の高架の軌道が作り出す高低差を活かして、海を見渡すことのできる芝生の緩斜面が設けられている。斜面に掘り込まれた園路は、周囲へのランドマークの軸線に応答したものである。さらに、文化芸術発信の拠点となる休憩所は、周辺の歴史的建造物へのビスタや夜景をディスターブしないよう、緩斜面に半ば埋もれている。敷地内外の既存要素を活かしながら、さまざまな場所を作り出していくことが意図された。

小泉雅生『環境建築私論』(強調筆者)

外部環境の既存要素にヒントを得ながら、建築が設計されてゆく様子がよく分かる。たとえば、既存の高架の軌道が作り出す高低差を利用しながら、建築によって高低差が自然と解消されているし、斜面の園路は横浜税関などの歴史的建造物を邪魔せず、自然と周囲の建物に目がいくように設計されている。建築そのものが特徴的というよりも、周りの風景を読み解きながら様々な場所が生み出されている。既存建物や既存の風景のうえに、建築家の新たな意図や意思が展開してゆく様子を、「コンテクストのオーバーレイ」という言葉で小泉は説明している。

象の鼻テラスと外部の関係
象の鼻テラスと外部の関係 @Architecture Museum建築がそこに建っているというよりも、外部環境との関わり合いが生まれるように設計されている。半ば埋もれた建築は、周りの風景を取り込むと同時に、内部の風景を発信している。

コンテクストのオーバーレイ

コンテクストというのは、いわゆる文脈や背景である。『象の鼻テラス』の場合、既存の高架の高低差であったり、横浜の歴史的な風景であったり、単に物理的なものだけではなく、歴史や文化を含みこむものだと考えられる。建築をコンテクストから導き出すことは、極めて妥当な方法だと考えられるが、小泉はオーバーレイという言葉を用いることで、既存のコンテクストに対して、建築家の新たな意図や意思を積極的に上乗せしてゆくことを示している。

オーバーレイとは、層を重ねてゆくことであり、ここに小泉の歴史観が明らかになる。すなわち、既存のものを踏まえながら、建築家は建築を設計しなければならないという当然の価値観である。ただし、重要なことはコンテクストを読み解くだけではなく、建築家はオーバーレイをしなくてはならないということである。単にコンテクストを引っ張ってくるだけではなく、そこに新たな価値や意図を上乗せしなければらない。「箱が結ぶ周辺との相互関係」だけではなく、「箱が作り出す環境」にも敏感でなくてはならないのである(∗1)

『象の鼻テラス』において、周辺環境が細やかに読み解かれ、そこに一つの価値が上乗せされ、賑やかに使用されているのを見ると、成功しているように思われる。象の鼻テラスに訪れたら、是非テラスのうえに登って風景を一望して欲しい。きっと、想像以上の風景が見出せるはずである。さあ、あなたはこの建築をどう感じるだろうか?。

(∗1) 外部環境から導かれるデザインの危険性

「外部環境から導かれるデザイン」は、建物の周辺環境を丁寧に読みこむことからはじまる。建築家は、アーティストのように好き勝手かたちをつくるだけが仕事ではない。これが難しい問題であるのは、二つの点から考えられる。一つ目は、「外部環境」すらも建築家が恣意的に選んだ「環境」であるという点。すなわち、建築家によって切り捨てられた環境が少なからずある。二つ目は、建築家が建築をつくる時点で、「環境」に影響を受けているという点。環境の意味を、物理的なものから文化的なものにまで拡張するならば、建築家は文化的な環境に既に投げ込まれている。それゆえ、環境などわざわざ謳わなくても、環境は表現に介入せざるを得ない。

もっと強く言えば、そもそも建築というのが環境を否定することで産まれると言うことも忘れてはならない。環境の有効利用を謳うならば、建築をつくらないのが一番の解決である。こうした困難な問題を深く考えてゆくならば、環境をデザインの根拠にすることは簡単なことではなく、責任と意思が求められることが分かる。誰もがコンテクストに依拠した建築を設計するならば、あらゆる建築と街並みは均質化してしまうだろう。少なくとも、小泉はこうした問題に自覚的であるように思える。今回の計画において「外部環境」というのは、横浜税関の軸線や周囲へのランドマーク、既存の高架や海である考えられるが、少なくとも『象の鼻テラス』においてはコンテクストを恣意的に選んだ厭らしさなく、むしろ誠実さとして現われているという印象である。設計者の人柄や手腕によるものだろうか。

感想

象の鼻テラスを訪れた感想象の鼻には骨がないから豊かである

この建築を訪れて感じたのは、「象の鼻」という一つの言葉を軸にして、あらゆるものが「とり集められている」という印象である。象の鼻には骨がないのにもかかわらず、象の特徴は長い鼻であるというように、骨なくした象徴化が行われ、その鼻に様々な事柄が巻き込まれてゆく様は微笑ましい。食べ物を運んだり、水を吸い込んだり、挨拶をしたり、象の鼻は骨がないからこそ、柔軟な機能を受け持つことが可能である。

象の鼻地区には、骨がないという印象を受けた。従来、建築というのは、骨をつくることを使命としていて、柱であったり、梁であったり、骨格を持っていたのだが、この地区には象の鼻という曖昧なものしかなく、だからこそ豊かな場所が集められている。設計手法に関しても、象の既存の身体から鼻が独立して進化したように、既存の身体から様々な要素が、オーバーレイされて独立して進化したような印象を受ける。いずれせよ、象の鼻という絶妙な感触を持つ言葉、この言葉の選択が成功を決定づけたように感じる。最後に訪れた感触を言葉にして添えておこう。

Y字路からの逃亡― ミニチュア世界へ誘導する象

赤レンガ倉庫から大さん橋まで早歩きで歩いていると、奇妙なY字路に遭遇する(∗1)。片方の階段は地下へと向かい、片方の道路はテラスへと続いている。Y字路はどちらかに足を進めてもよいから自由だ、というのは大きな嘘である。前に進むためには、どちらかを選ばなければならず、選ばないことは許されない。Y字路は選択を迫ってくる。なんという強迫だ、選ぶしかない、どちらかを。

直感を信じて、地下へと向かう左側の階段を降りることにする。階段の幅は広く、一段一段を意識して降りなければ転んでしまう。そろり、そろり、降りている途中で不安が押し寄せる。漠然とした緊張感が身体に流れこんでいる。どうしたというのか。このまま降り続けてよいのだろうか。正しい選択をしたのだろうか。怖くなる。怖さが怖さを引き寄せて、いてもたってもいられなくなり、Y字路の分岐点まで戻って選択をやり直そうと、ぐるりと後ろを振り返る。

その瞬間、不安の正体が明らかになった。鋭く切り立つ横浜税関が、この身体を凝視していた。クイーンの塔、青銅のドーム。優美な女王の視線は、厳しく美しい。気がつかなかったのはなぜだろう。透明な視線、Y字路の審判、すべてを見通しているのは間違いない。どちらの路を選択しても彼女は許してくれないだろう、そんな気がした。Y字路から逃げたい、ここに居たくない、なにも選びたくない。すべてを放り出して消えてしまいたい。

気がつくと、Y字路に背を向けて走り出していた。足が勝手に動いている。Y字路の先端が鋭く襲いかかってくる。怖い、怖い、とにかく逃げるしかない。逃げてはいけないと頭では分かっている。ただ、Y字路のその先に歩み出す勇気がなかった。Y字路のその先を選び取る度胸がなかった。もう逃げ続けるしかない。身体にまとわりつくY字路に捕まらないように、ひた走る。走って、走って、何もわからない。分からなくても、走り続けなくてはならない。

いくら走っても彼女の視線が着いてくることだけは確からしく感じた。クイーンの塔は高く、視線を振りほどくことはできない。立ち止まるという発想など入る隙間はない。汗が滲む。息が荒れる。ただ、逃げないと壊れてしまう気がするから、Y字路の抱擁に押し潰されてしまうから、走り続けなくてはならない。階段を越え、公園を抜け、海が現れた。右も左もわからない。Y字路から逃げ出した罪が、この身体を処刑場へと導いたのだろうか。

Y字路逃亡罪。選択の自由があったのに、そこから逃亡した。自分のためだけに背を向けた。不安を振りほどくために、恐怖を追い出すために、逃げた。頭がふわふわしている。足はもう動かない。世界が白く霞んでゆく。白い世界のなか、足もとに青い物体があるのが分かった。空よりも少し濃い青色に、カンディンスキーの絵画のような白い線が鋭く伸びている。象だ、象だ。象という物体だ(∗2)。鋭く伸びる白い線は牙だった。

白い世界に象が置かれている。不思議な世界に迷い込んでしまったようだ。まわりを見ると、象がたくさん並んでいた。緩やかなカーブを描きながら、一列に伸びる象の行列。象、象、象。象は大きいと思っていたが、この世界のなか象は小さいようだ。象は地面に散らばった青い桜の花びらのようで、蟻の行列のような整然さも備えていた。世界がミニチュアと化している(∗3)。そうか、世界はミニチュアだったのか。ミニチュアのなかに投げこまれていたのか、ずっと。

象のおかげで冷静になれた。上を見るとクイーンの塔はミニチュアと化していた。彼女はもうこちらを見ていない、この眼が彼女を見ているのだ。立場は逆転した。もう怖くない、不安もない、逃亡する必要などない。彼女は支配下に置かれた乾いた奴隷である。Y字路に戻り、堂々と階段を降りてゆくことにした。今度の選択は正しい。正しいに決まっているのだ。一段一段ゆっくりと、自信を持って進んで行こう。長い鼻が指す方向へ。

季山時代
2023.03.10

(∗1) Y字路

建築家の山地大樹は「Y字路は主体的な選択を強要する場所であり、世界をそこに取り集める」と述べ、Y字路の重要性を主張している。その際、T字路ではないことを強調しているのが興味深い。T字路は受動的に選択しなければらないが、Y字路は主体的に選択しなければならないという。また、横尾忠則はY字路の絵画を描くことをライフワークとすることで知られている。さらに、坂牛卓+O.F.D.A.による住宅『坂牛邸』Y字路からはじまる。

(∗2) カンディンスキーの絵画

カンディンスキーは、純粋抽象絵画の理論の創始者とされ『コンポジション』シリーズが有名である。興味深いのはクロード・モネの『積みわら』を見て衝撃を受けたということ、そしてアルノルト・シェーンベルクという音楽家と交友があったということの二点である。モネは「筆触分割」を生み出し、アルノルト・シェーンベルクは「12音技法」を生み出す。世界は分割され、再統合される。ちなみに、シェーンベルクの音楽とアドルフ・ロースの建築の類似性はたびたび指摘されている。

(∗3) 世界のミニチュア化現象

窓を通すと世界はミニチュア化されるのだが、現代において、窓がなくても世界はミニチュア化されている。世界はミニチュア化され、手に届かない変化させられない物体となっている。建築家の山地大樹はこの現象一般にに「世界客体化問題」と名前を付け、一八六七年の第二回パリ万博覧会にその原因を見出している。ロラン・バルトがエミール・ゾラの『獣人』に対してこう述べたことを思い出そう。

小説冒頭の情景をごらんになればよい。一人の人物が(その人物とともにわれわれも)窓辺に肘を付いて眺めているのは、ミニチュア化されたサン=ラザール駅である。鉄の糸のように細いレール、小さな車両、轉轍手のいるいくつもの小庭―まるで模型のようだ」と。仮に世界が模型だとしても、僕らはその模型に飛び込まなくてはならない。その接点は、生きられた体験にしか残されていない。

写真

象の鼻テラスの建築写真

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象の鼻テラスの外観
象の鼻テラスの外観 @Architecture Museum
象の鼻テラスから見るクイーンの塔
象の鼻テラスから見るクイーンの塔 @Architecture Museum
壁柱状のスクリーンパネル
壁柱状のスクリーンパネル @Architecture Museum
象の鼻テラスの夜景
象の鼻テラスの夜景 @Architecture Museum
テラスと地面の関係
テラスと地面の関係 @Architecture Museum
弧を描くスクリーンパネル
弧を描くスクリーンパネル @Architecture Museum
テラスから見える横浜税関
テラスから見える横浜税関 @Architecture Museum
象の鼻へ向かうスクリーンパネル
象の鼻へ向かうスクリーンパネル @Architecture Museum
海へと伸びる象の鼻
海へと伸びる象の鼻 @Architecture Museum
地下とテラスに向かうY字路
地下とテラスに向かうY字路 @Architecture Museum
象の鼻と横浜港大さん橋ターミナル
象の鼻と横浜港大さん橋ターミナル @Architecture Museum
大きさが変わりゆくスクリーンパネル
大きさが変わりゆくスクリーンパネル @Architecture Museum
附記