『キモノ・マインド』の表紙

キモノ・マインド バーナード・ルドフスキー / 1965

日本を冷めた目で描き出す手腕。

1965年にルドルフスキーは日本に関する書物を出版する。『キモノ・マインド』と題されたこの書物は日本へのラブレターであり、彼の愛する日本が分析されているのだが、その日本への好意とは裏腹に、一人の研究者としての冷めた目で日本を相対化しながら、皮肉とユーモアたっぷりで日本を描く手際は愉快である。たとえば、こんな調子である。「古典的な日本の手洗い場ほど、先をいそがない者にとってくつろげる場所は、まず考えられない。瞑想に老けるには絶好の場所、まるで哲学者の私室である(p36)。「何事につけても倹約家の日本人が、こと時間にかけては浪費家である」(p114)

キモノロジー。

便所について、宿について、礼儀作法について、家について、ご飯について、など日本の分析は多岐にわたるが、なかなか機知に富んでいて、読者を飽きさせない独特な視点が満載で楽しい。とりわけ、当書のタイトルとなっているキモノの分析は一級品である。ルドフスキーによれば、着物は非常識なほど窮屈なものであり、男性が女性のぎこちなさを眺めて大きな喜びを感じる側面があるという。なるほど、女性は帯で強く拘束されている。こうした感性は履物にも表現され、たとえば足台に関しては、「履く人を象徴的に高めると共に、肉体的なバランスをくずす(p57)と分析される。キモノを題材に日本らしさを引き出すルドフスキー解釈は興味深い。

鈴木春信の『井手の玉川』
井手の玉川 @The Metropolitan Museum鈴木春信が1768年に描いたもの。タイトルになっているように、ルドフスキーの着物の分析は本著作のハイライトである。着物は、女性の歩く自由を奪うものであり、その制約によって生じた歩き方が女性の魅力を産み出していると指摘される。上記の版画は女性独特の歩き方の魅力を伝えているが、グラディーヴァの脚を想起させる。

日本文化にとっぷりつかるからこそ感じること。

日本への批判

当書の文章の豊潤さとリアリティは、ルドフスキーが日本滞在していたという経験に由来する。ルドフスキーは約2年ほど日本に滞在していたこともあり、いわば、日本文化に「とっぷりつかる」(p114)ことを徹底していた。先入観を棄てて、ただ純粋に日本を見ようとする観察眼は見習わなくてはならない。ところで、実際に2年間も日本に滞在した彼だからこそ、日本の悪いところを批判する権利を持っている。日本にとっぷりつかったからこそ、日本をこよなく愛すと同時に、日本に不満を抱きはじめる。「東京の街はブルックリンの街と同じく、少しも東洋的なところがないことを発見する(p49)と。要するに、日本が伝統を捨て去っていることを嘆いて、その態度を糾弾しているのである。少し長いが、引用しよう。

一九五五年、私がついに日本の土を初めて踏んだとき、私の旅の準備はかなりよく整っていた。当時、私はこの国のほとんどあらゆる分野に関する(六カ国語に及ぶ)書物をすでに三〇〇冊以上も読み終えていた。言い換えるならば私には迷夢からの覚醒と幻滅に対する用意が十分できていたのである。それでもなお私は、過去の国民的遺産が現代日本人の間に軽い位置しか占めていないのを知ってショックを受けた。私が一番驚いたのはほとんどすべての日本人が伝統文化から遠ざかり、アメリカの使い捨て文化を安易に採り入れていることだった(p10)

バーナード・ルドフスキー『キモノ・マインド』(強調筆者)

過去の優れた生活様式から学ぶ

この指摘は日本人の耳を痛くするし、いまなお有効に機能するのは、日本にとっぷりつかったルドフスキーが日本を見ているからこその信頼性があるからである。ただし、この指摘は伝統を盲目的に信じる必要を謳ったものではない。そうではなくて、伝統をいかに位置付けるかを一人ひとりが考えることが重要なのである。「伝統的な建築、食生活、衣服への現代への適応を創り出すという論理的なステップ(p11)が求められている。伝統をどう現代に適応するのか、こうした過去の優れた生活様式に目を向けて現代を見直す態度こそ、ルドフスキーが1964年の『建築家なしの建築』においても主張したことであるし、1980年の『さあ横になって食べよう』にまで一貫して主張される態度である。

『THE KIMONO MIND』の表紙
『キモノ・マインド』の表紙 @amazon原著の表紙はルドフスキーがデザインしたものであるが、画像と文字とグラフィックの重層によって醸し出される雰囲気は、とても印象的である。ルドフスキーのデザイナーとしてのセンスが明らかになる。

日本を方便としてアメリカ人の生活様式を批判する。

ルドフスキーは、本著作の日本版の序文において、この本はアメリカ人の生活様式を批判したものだとも述べている。実のところ、日本は、アメリカの生活様式を批判するために持ち出された方便だったのである。この方法は、建築史の正当から外れていた建築の未知の世界を紹介することによって、建築芸術についての私たちの狭い概念を打ち破ることを目的とした、1964年の『建築家なしの建築』にも同様に見られる。西欧の合理主義や機能主義への偏りを批判するため、ヴァナキュラーや日本というマイノリティを持ち出すという方法である。ただし、当書を読んでいて感じるのは、現代の生活様式への批判手段として過去の生活様式を持ち出す厭らしさというよりも、過去の優れた生活様式への敬意と愛情である。蒐集家的な愛なくしては、誰の心にも響かないだろう。とりわけ、『キモノ・マインド』は日本に足を運んで冒険するルドフスキーの人間らしさが漏れ出している。それゆえ強い説得力があり、異彩の魅力を放ち続けている。日本を知りたい方は、ぜひ読んでみて欲しい。

note

西洋の目から日本的なものを建築すること

日本的なものを浮上させること。

この著作の訳者あとがきには、「それにしても、著者の観察する日本が、当の私たちにとって何やら異国風に見えるのはなんとしたことでしょうか(p292)と書かれているが、この指摘は印象的である。本書を読んでいて思うのは、ルドフスキーが描き出す日本が、日本に住んでいる私たちにとって異国にしか映らないことである。日本人はもはや、キモノを着て街を歩くことはないし、薄暗くて質素な家屋に住まうこともないし、米ばかりを食べることもない。ルドフスキーが描く日本は、個人の目に映った日本の印象や願望の断片を、断片のままに並べ立てたものである。そして断片を並べて一冊の本にすることで、全体としての「日本的なもの」を浮上させることを目的にしている。この考え方こそが建築的であり、ルドルフスキーの建築にも通底するものだと思われる。当然、西洋の目から建築された日本的なものは、現実の日本とは異なっている。

日本と日本的なものとのずれ。

取り集めた部分を構成することで、日本的なものを浮上させること、この方法が建築的である。かつてロラン・バルトが『表徴の帝国』で、書物から日本を浮上させたことに似ているが、彼らは日本そのものを分析しているのではなくて、日本を題材にしながら、その断片から各々の日本的なものを建築することによって、みずからの西洋的な感性がどれほど硬直しているかを暴露する試みの実践している。この試みにおいて、日本人にとってあまりに自明なため、それが日本的であるとは気づかない日本的なものが浮上する。そうして浮上する日本的なものは誇張されているため、現実の日本と差異を持っているのは当然であり、だからこそ、その差異に対して驚きや発見が満ち溢れている。この差異こそが、生活様式の硬直を防ぐ機能を担う。

日本的なものを建築すること。

そう考えてみると、ルドフスキーの描く日本的なもの、バルトの描く日本的なもの、と様々なかたちがあることに気が付く。彼らは、各々の日本的なものを建築しているのである。したがって、西洋の眼が描く日本的なものを一つの建築とするならば、その建築は複数あると考えられる。日本的なものの複数性を考えるならば、日本的なものは絶対的なものではないと言える。確固たる日本的なものなどないのである。日本的なものは、つくり出せるものであり、つくり出されたものである。重要なのは、浮上させられた日本的なものを盲目的に受容することではなく、現実の日本と日本的なものとの差異から、新しい日本を切り開こうとする意思である。この順序を間違えないためには、暫定的にでも、暴力的にでも、日本的なものをまずはじめに打ち建てる必要がある。それから、現実の日本と、打ち建てられた日本的なものとの差異を、批判的に検討しながら生活様式を考えなおさなくてはらないだろう。

メモはこの程度にしておくが、『キモノ・マインド』は一度は読んでおきたい日本論である。日本を相対化したい方、なんとなく毎日を退屈している方は、ぜひ手にとって見て欲しい。

info