アーバニズムのいま 槇文彦 / 2020
槇文彦とアーバニズム。
アバーニズムの季節
1938年にルイス・ワースによって提唱されアーバニズムは、1950-60年代頃に大きく関心が寄せられた後、1968年の五月革命、そしてベトナム戦争や大学紛争などを境にして、徐々に力を失ってゆく。言い換えるならば、1950-60年代頃は「アバーニズムの季節」であった。そして、1954年にハーバード大学大学院(GSD)に入学に渡った槇は、おのずから「アバーニズムの季節」のなかへと巻き込まれてゆく。当書は、アバーニズムの目撃者であり、当事者でもあった槇文彦が、「建築家、アーバンデザイナーとしての自己史的な経験を踏まえながら、アーバニズムの過去、現在を振り返ってみようとした
」(p4)ものである。4章構成で散文的な文章が並ぶが、第4章「ヒューマニズムの建築」は素晴らしいので必ず読んで欲しい。
アーバニズムの流れ
第1章では、アーバニズムが隆盛してゆく様子が、槇自身の経験を通して描かれる。槇にとってのメンターは、ホセ・ルイ・セルトである。東京大学で丹下健三研究室で学び、ハーバード大学大学院(GSD)を卒業した槇は、SOMで1年近く働いたのち、セルトの事務所へと入所するのだが、この頃からアーバニズムの機運が高まってくる。1956年にはセルトが主導した第一回のアーバンデザイン会議がアメリカのGSDで開かれ、また同時期のヨーロッパではCIAMをの乗り越えるようなアーバニズムの可能性が《Team X》から提示され、1960年にはメタボリズムが提唱された世界デザイン会議が日本で開かれる等々、アーバニズムの流れが端的に整理されている。
現代の都市的課題とは何か。
1956年のアーバンデザイン会議から
第2章では、1956年にGSDで開かれたアーバンデザイン会議の意義が問い直され、そこから現在のアーバニズムの状況が俯瞰されてゆく。1956年のアーバンデザイン会議は、アーバンデザインという言葉がはじめて使用され、様々な意見を持ったひとが一同に介して、新しく生じてきた都市問題を考える基盤をつくったことで知られる。ルイス・マンフォード、エドマンド・ベーコン、ケヴィン・リンチ、ジョージ・ケペス、ヴィクター・グルーエン、ジェーン・ジェイコブズなど、顔触れを見るだけでも多様な議論が行われたことが容易に想像できる。とりわけ、「アーバンデザインの中心には人間がある」(p73)
というセルト主張が、槇の考え方に大きな影響を与えたことは明らかである。
都市は流体である
さて、第一回アーバンデザイン会議から約60年が経過した2020年の現代において、アーバンデザインの今日的課題を問い直さなくてはならない、と槇は述べる。槇は、東京の都市を「密実な葡萄状都市」(p69)、「星雲都市」(p71)、「細粒都市」(p78)などの様々な言葉で表現しながら、その光と闇を暴いてゆく。かつては、一つの中心持った単一の秩序を持った都市が批判され、多焦点な都市をめざす動きもあった。しかしながら、いまや東京は多焦点どころか、微分化され、流体化されている。その結果、東京は貧富の差こそ少ないものの、全体としての都市美はなく、人口減少による空家や地方都市の空洞化などが進んでいる。こうした今日的課題に対して、なんらかの答えを用意しなければならない。
私の都市は自分でつくるものである
第3章では、都市が流体化してゆくなかで、一人ひとりが主体的に都市と関わりあうことによって、「私の都市」をつくる時代になっていることが語られる。「私の都市。それは誰もがもたなければならない、自己と都市との関係のつくりだす風景にほかならない。私の都市は自分でつくるものであり、誰かが与えてくれるものではない
」(p113)。要するに、微分化して、流体化してゆく都市においても、歓びに満ち溢れた安定した景観を保持することは不可能ではないはずだから、その方法を模索しなくてはならないということ。その方法の一つとして、日常生活圏のなかにおける歓びから都市をつくりあげることがあり、事例の一つとして『ヒルサイドテラス』が挙げられる。
New Humanism。
第4章は当書のクライマックスである、槇の人生の総決算とも取れる言葉が並べられる。この言葉の持つ熱量に心を打たれないものはいないだろう。槇が主張するのは《New Humanism》というもので、その主張の核心は以下のように定義されている。
すなわち対象となる建築の生態、空間に秘められている人間をどう考えたのかの思考の形式が、時を経ても消費されずに社会性を獲得したものなのだ。またイズムである以上、我々が住むグローバルな世界において、異なった時代、地域、プログラム、あるいは規模をもつ建築に対して成立するものでありたい。(p176)。
槇文彦『アーバニズムのいま』
とても単純でとても奥深い。上記を分かりやすく整理すると、①対象となる建築の生態をどう考えたか、②空間に秘められている人間をどう考えたか、この2つの思考の形式が時を経ても消費されないとき、どこにでも通用する一つの運動になる、ということにあるだろう。重要になるのは、建築や人間を、無機質で顔のない匿名のものとして扱うのではなく、そこで息をしている生きている個として考えること。そうしてはじめて、人間とは何か、建築とは何か、さらには都市とは何かを考える必要が出てくる。この章をこれ以上要約するのは野暮なので、ここから先は当書を手にとって、槇の言葉を直接感じていただきたい。
さて、簡単に要約してみたが、当書は槇の思考の歩みがコンパクトにまとまっている。ここでは取り上げていないが、コンペに対する異議申し立て、新国立競技場問題に対する想いなど、槇がかなりの覚悟を持って書いていることが、ひしひしと伝わってくる。都市をつくることに関わるひとは、読まなくてはならないだろう。
都市における他者の問題
我々の都市はいかに現象するか。
やがて対話を通じて一人ひとりの〈私の都市〉はたがいにわずかであるが、共通の部分をもつことを発見していく機会があるだろう。そのとき人々は〈私の都市〉は、実は〈我々の都市〉への最も確かな基盤であることをおたがいに確かめあうのだ(p113)。
槇文彦『アーバニズムのいま』
↑上記の引用は、現象学の間主観性の論理につながる話であり、とても興味深い文である。すなわち、都市というものが、一人ひとりの〈私の都市〉へと還元され、その後、〈私の都市〉を基盤にして〈我々の都市〉が構成されるという順番なのである。当然、〈我々の都市〉という意識は都市をつくるうえで重要になってくるのだが、果たして槇のいうように、〈我々の都市〉は共通の部分によって浮上するのだろうか? 逆にいうならば、共通の部分なくして、都市は〈我々の都市〉にならないのだろうか? 槇は、現象学への関心を示しているが(p214)、《New Humanism》を考えるうえで、他者の問題に踏み込まなくてはならないだろう。
都市と他者。
親密な都市
現象学において、クリティカルな問題としてフッサールに立ち現われたのは他者論であった。フッサールは他者の身体を鍵にして、間主観性への道を切り開いていった。 すなわち、自己の身体と他者の身体という共通の部分の類比によって、間主観性が切り開かれる。この文脈に無理やり置き換えるならば、〈私の都市〉と他者における〈私の都市〉の共通の部分によって〈我々の都市〉が現象する。上記が槇の主張であるし、ケヴィン・リンチの『都市のイメージ』などにも通底する思想である。だから、『都市のイメージ』では、都市のイメージにおける人々に共通の部分が洗い出されたのである。
無気味な都市
しかしながら、フッサールが他者を自己が構成できる範囲の「他我」へと矮小化してしまった、とサルトルが批判したのは有名である。サルトルにおいて、他者は決して構成されるものではなく、自己にまなざしを向ける存在であり、自己と他者はまなざしの相克の関係になる。自己と他者が相克の関係にしかならないというサルトルは言い過ぎかもしれないが、サルトルの批判は一理ある。というのは、この文脈に無理やり置き換えるならば、〈私の都市〉と他者における〈私の都市〉の共通の部分などなく、だからこそ〈私の都市〉を取り戻さなくてはならない、とでも言えるからである。
共通の部分の欠如
ここでサルトルを持ち出して指摘したかったのは、〈私の都市〉と、他者における〈私の都市〉の共通の部分によって、〈我々の都市〉が現象するという見立てが、あまりに楽観的すぎるということであり、それ以上のものではない。もし〈我々の都市〉が共通の部分によって提示されるならば、共通の部分を持たない人々は排除されてしまうだろう。だから、むしろ、こう考えるべきではないかだろうか。〈我々の都市〉というのは、共通の部分を持たないことを前提にして、その共通の部分の欠如に思いを馳せることで成立する、と。
我々の都市はいかに現象するか。
都市における他者への尊厳
共通の部分の欠如。他者の未知性を、未知のままに受け入れることができる場所が都市でないならば、そんな都市は必要だろうか? 他者の未知性を、未知なるものとして思いを馳せることが〈我々の都市〉への第一歩ではないだろうか? 槇が言うように、建築や人間を、無機質で顔のない匿名のものとして扱うのではなく、そこで息をしている生きている個として考えることは、今後かならず重要になってくる。だが、まさにこのとき、他者の問題が大きく浮上するに違いない。
建築における倫理
たとえば、 故郷喪失者 を〈我々の都市〉へと向かい入れることができるだろうか。それも、ホームレスという類としての人間ではなく、一人の顔を持った個の人間としてである。ホームレスの顔が現前するとき、果たして〈私の都市〉と自信を持って言えるだろうか、果たして〈我々の都市〉と自信を持って言えるだろうか。こうした他者に対して本来的な尊厳を失うことなく、建築家は設計を続けることができるのだろうか? ここで問われているのは、建築における倫理である。
先に建築家は医師、そして弁護士とともに世界の三大自由業の一つであると述べた。自由であるということは当然、何をしてもよいということではない。当然許される自由であることは、それ相当の倫理が存在しなければならない。(p100)。
槇文彦『アーバニズムのいま』
重要なのは、こうした建築の倫理を問いつづけることである。そして、槇はこうしたことを問い続けた一人の建築家であった。そうした試みを終焉させる訳にはいかない。われわれは、槇が残した遺産を引き継いで行かなくてはならない。繰り返すが、重要なのは建築の倫理を問いつづけることである。メモはこの程度にしておくが、『アーバニズムのいま』は一度は読んでおきたい著作である。槇文彦を知りたい方、都市デザインをやりたい方、ぜひ手にとって見て欲しい。
