都市のイメージ ケヴィン・リンチ / 1960
都市は人々にイメージされるものである。
都市は人々にイメージされるものである
1960年、ケヴィン・リンチの『都市のイメージ』が出版は都市計画の分野に大きな影響を及ぼした。その根幹にある思想は、都市は人々にイメージされるものであるというもので、リンチは「都市のイメージ」を分析対象に据えた点が画期的だった。都市の全体像を把握するためにはイメージに頼らざるを得ないのだが、そのイメージはどのように構造化されているのか、これが問われている。かつてサルトルは『イマジネール』のなかで、「一挙に全体として与えられる
」ことをイメージの特性として挙げていた(講談社学術-p47)。なるほど、建築を想像するときはイメージは一挙に与えられる。たとえば、パルテノン神殿を想像すると、ある一枚のパルテノン神殿のイメージが全体として一挙に浮かび上がる。
都市のイメージと建築のイメージの差異
では、都市の場合はどうだろうか? 都市のイメージは一挙に全体として与えられるのだろうか? 否、一挙には与えられないはずだ。たとえば、フィレンツェという都市を想像してみるならば、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラが想い浮かぶかもしれない。ただし、それはフィレンツェという都市の一断面にすぎない。たとえば、大阪という都市を想像してみるならば、グリコのマークが想い浮かぶかもしれない。ただし、それは大阪という都市の一断面にすぎない。都市というのは、様々な断片を集合させた全体像であるから、一挙に全体として与えられるというよりも、様々な断片を頭のなかで組み合わせながら構成しなければならない。都市というものは建築よりも大きいがために、一挙に全体として与えられることはなく、たとえ無意識にせよ構成されているのだ。
都市のイメージを分析する方法
都市の全体像は、一人ひとりが様々な断片を頭のなかで組み合わせながら構成するものだから、一人ひとりによって異なるのは当然である。「私の東京のイメージ」は、「あなたの東京のイメージ」と一致することはない。かといって、「私の東京のイメージ」と「あなたの東京のイメージ」がまったく異なるかといえば、そんなこともなく、ある程度は一致している。なぜなら、一人ひとりがどのような断片を選択するのか、そして一人ひとりがどのように都市を構成するのか、その選択と構成の仕方は、ある程度、似かよっているからである。当書の狙いは、どのような都市の断片が選択されやすく、どのような都市の全体像が構成の仕方が取られやすいのかを暴き出すことである。それにより、全体像を構成しやすい都市というものが明らかにされてゆく。
都市の現象学的還元
絶対に見落としてはならないのは、都市そのものの形態を分析するのではなく、一人ひとりの主体の頭のなかに浮かぶ都市のイメージを分析していることである。現象学が、眼前にある世界を括弧に入れて、あらゆるものを現象学的還元したように、眼前の都市は括弧のなかに入れられて、一人ひとりの都市のイメージへと還元されなくてはならない。分析対象は、都市そのものではなく、都市のイメージなのである。そして都市のイメージをもってして、現実の都市が理解されるという順番である。この順番を間違えるとリンチの試みを履き違えることになる。リンチは、徹頭徹尾、都市のイメージに焦点を当てているのだ。
都市の5つの要素(エレメント)。
イメージアビリティ
リンチは、都市は明瞭で分かりやすい方がいいと大胆に断言する。そのほうが、都市の全体像をイメージしやすくなり、人々は迷うという不安や恐怖から解放され、安定した情緒のなかで生き生きとした生活を送れるからである。当然、明瞭で分かりやすいだけでは駄目であり、都市のなかにも未知性が必要である。とはいえ、それは安定した都市のイメージを描けることを前提としてのことである。ところで、リンチは、そうしたイメージの引き起こしやすさのことを「イメージアビリティ」と呼ぶ。イメージアビリティが高ければ高いほど都市の全体像がイメージしやすくなるからよいとされる。美しさやプロポーションなどではなく、明瞭で分かりやすいことを評価軸に据えた点が新しかった。
都市の5つのエレメント
リンチは、ボストン、ジャージー・シティ、ロサンゼルスの3都市を対象に、住人が都市をどのように捉えているかをスケッチしてもらったり、住人が都市をどのように感じているかのアンケート調査を行ったりしながら、都市における5つのエレメントを抽出する。すなわち、都市のイメージを描く際に、選択されやすい断片を抽出したのである。パス(paths)、エッジ(edges)、ディストリクト(districts)、ノード(nodes)、ランドマーク(landmarks)。これら5つのエレメントが都市のイメージのなかには現われやすく、多くの人はこれらを構成することで都市の全体像をつくりあげている。
エレメントのタイプを中心としてデザインを論じていると、部分と全体の相互関係をおろそかにしてしまいがちである」(p137)。これは都市のイメージの全体像から抽出されたものであり、これらが都市の全体像をつくっている訳ではない。
リンチの功罪
さて、リンチの都市論は、都市の美しさやプロポーションを問う従来の方法とは異なり、都市のイメージを対象として、イメージアビリティを高めることに焦点あてた点で重要であった。しかしながら、都市におけるエレメントの抽出の鮮やかさから、都市を記号論的に解釈する方法の先駆けともなってしまう。繰り返すが、リンチは都市そのものを記号的に解釈したのではく、都市のイメージを記号的に解釈したのである。ここを履き違えてはならない。
都市そのものを分析するときには、都市に住まう一人ひとりの人間を考える必要がないが、都市のイメージを分析するときには、一度、都市に住まう一人ひとりの人間を介さなくてはならない。だから、リンチの研究には人間への愛が溢れているのだ。いずれにせよ、都市を学ぶものは避けて通れない名著である。ぜひ手にとっていただきたい。
グーグルマップの都市論
都市の航海術の変化。
アイデンティティ/ストラクチャー/ミーニング
リンチは、イメージを3つの成分に分解している。アイデンティティ(そのものであること)、ストラクチャー(構造)、ミーニング(意味)である。アイデンティティとは、対象物を他のものから見分けること、ストラクチャーとは空間の関係などを把握すること、ミーニングとはなんらかの意味付けが行われていることであり、ドアの例をあげて説明される。
したがって、ある場所から退場するさいに有益なイメージとは、ドアをはっきりした実体として認め、それと観察者との空間関係を認め、そしてそれが出るための穴であることを認めているものなのである(p10)。
ケヴィン・リンチ『都市のイメージ』
(一部省略)
なるほど、都市のイメージにおいては、都市のエレメントを認識して、それから都市の構造を把握して、それから都市に意味付けを行なう。リンチは、アイデンティティとストラクチャーに関しては、物理的な形態や明瞭さなどに関わりやすく、ミーニングに関しては、社会的、歴史的、個人的にかなりバラバラであるから、当書においてはアイデンティティとストラクチャーに焦点をあてると宣言している。当時の1950年代のアメリカにおいて、都市の社会的な意味づけは階層によって異なっており、ミーニングは人々によって点でバラバラであったから、アイデンティティとストラクチャーに焦点をあてたリンチの判断は賢明であった。そうでなければ、この研究はまとまらなかったに違いない。
ミーニングとしてのグーグルマップ
とはいえ、現在の状況は当時とまったく異なっていることに注意したい。人々は、都市のアイデンティティとストラクチャーなどには左右されず、ミーニングという象徴的な意味の世界に住まっているからである。都市のアイデンティティとストラクチャーからミーニングへの転回、この転回の原因の一つとして、2005年に開発されたグーグルマップが挙げられる。人々はスマートフォンに格納されたグーグルマップを片手に都市を練り歩く遊歩者であり、もはやアイデンティティとストラクチャーのイメージアビリティなどに頼ることなく、目的地にたどり着くことができるようになった。このあたりの情報空間との絡みを考えたとき、リンチの研究は別様に輝きだすだろう。
都市の航海術の変遷
リンチはこう語る。「すぐれた環境のイメージは、その所有者に情緒の安定という大切な感覚をもたらす。彼は自分と外界との間に調和のとれた関係を確立することができる。これは道に迷った時に感じる恐怖感とは反対のものである
」(p5)。リンチの述べる優れたイメージとは、迷うと反対のものである。逆に考えると、人々が迷ったときに、なにに頼ってきたかを知ることによって、都市の航海術の変遷をたどることができる。都市のないところの先人たちは、星の位置や、太陽の位置、山の位置などに頼って航海をしていた。人々が都市に住まうようになると、都市のエレメントなどに頼って航海をしていた。そしてグーグルマップが開発された現在、人々はグーグルマップを頼りに都市を航海する。すなわち現在のすぐれた環境のイメージはグーグルマップだと言える。
グーグルマップという都市のイメージの特性。
①空白地帯がないこと
ここではグーグルマップを現在のすぐれた環境のイメージ、すなわち「都市のイメージ」として扱ってみたい。グーグルマップの興味深い特徴は3つある。特徴1つ目は、全世界の地図が完全に再現されていることである。リンチが住人へのアンケート調査などを踏まえて描き出したイメージを図式化した地図には、様々な空白地帯があった。人々の印象に残りづらい場所はイメージから省略され、人々が訪れたことのない場所は描かれることはなかった。これによって、脳の容量が節約されていたのである。
しかしながら、グーグルマップにおいて、都市の空白地帯はほとんどなく、訪れたことのない海の向こう側の世界まですべてが精緻に描かれている。リンチの描いた地図を、都市の抽象的な縮図だとするならば、グーグルマップは全世界のミニチュアである。人々は、この全世界のミニチュアを、必要に応じてトリミングしたりフィルタリングたりして活用する。重要なのは、都市のイメージを頭のなかで構成することではなく、グーグルマップというすでに存在している情報を縮減する能力なのである。もはや、都市のイメージを頭のなかに構成したり保存しておく必要はなく、スマートフォンのなかの膨大なデータベースから必要な情報を取り出すだけで済む。情緒の安定という大切な感覚を得るために必要なものは、都市のイメージではなくて、スマートフォンの充電器である。
②現実世界は地点へと還元される
特徴2つ目は、グーグルマップにおいて、あらゆる場所は地点として記述されることである。グーグルマップの登録は地点単位であり、これを地点(Points)と名付けるならば、グーグルマップにおける都市のエレメントは地点以外を持たない。たとえば、「多摩川」と検索すると一つの地点が表示され、「スクランブル交差点」と検索すると一つの地点が表示される。グーグルマップにおいて、パスも、エッジもディストリクトも、ノードも、ランドマークも、すべて地点へと還元されているのであり、リンチの述べるような都市のエレメントは無効化されている。
③口コミと集合的無意識
特徴3つ目は、これがもっとも重要なのだが、グーグルマップに登録された地点に、あらゆる人々の口コミが書き込まれてゆくことである。リンチは「都市についての個人的な意味は、その形態がわかりやすい場合でさえ非常にばらばら
」(p11)だと述べている。要するに、都市に対する意味付けは、ひとによって異なるのでパブリック・イメージは描きづらい、と。しかしながら、グーグルマップでは、人々がみずから感じた意味をマップの登録された地点へと書き込むことによって、パブリックイメージが集合的無意識として浮かび上がってくる。
そこでは、人々がよいと思っているものが、多数決的な方法で評価され、星の数として可視化されてくる。リンチの研究で留保されていたミーニングが明確に浮上してくるのである。いまや、一人ひとりの「都市のイメージ」は口コミというかたちでグーグルマップへと反映され、他者の「都市のイメージ」に影響を与える。その反対も然りで、他者の「都市のイメージ」が一人ひとりの「都市のイメージ」に影響を与える。こうした一人ひとり都市のイメージの相互関係がリアルタイムに影響を及ぼし合うことは、情報時代の特色である。これにより、画一的な価値観、グーグル帝国主義へと向かってしまうことは、よい面もわるい面もあるだろう。
グーグルマップにおける迷えなさ。
現在地点と最終目的地点
グールグルマップの特徴を記述したところで、グールグルマップの使い方を考えてみる。グーグルマップにおいて、あらゆる場所は地点へと還元され、空白地帯なく保存され、一人ひとりからミーニングを書き込まれている。こうした無限の地点のなかで、特権的な位置を与えられるのは、現在地点と最終目的地点である。現在自分がどこにいるのか、現在自分がどの方向を向いているのか、がリアルタイムで表示されると同時に、現在地から目的地までの最短経路が正確に表示され、人々はもはや迷うことを許されなくなった。
失われた迂回路
そればかりではなく、どの電車に乗ればよいか、どのバスに乗ればよいか、どの経路なら渋滞を避けれるか、等々までもが正確に表示される。その結果、現在地と目的地以外の場所へと迂回することは難しくなる。最終目的地点に行くまでの経路(パス)に重要な意味が与えられることはないのは、現在地点と最終目的地点をつなぐ最短経路が自動的に割り当てられるからである。人々が迷うことができず、最短経路を歩くことしかできなくなったことは、都市を考えるうえで重要な特徴であろう。
迷えないことは退屈である。
迷う不安があった時代
グーグルマップの発明によって、スマートフォンの充電がある限り、人々はもはや迷うという不安から解放されている。ここで、リンチはこう語っていることに注意してみたい。「環境の中の神秘とか迷路とか意外さにも、かなりの価値があることは認められなければならない
」(p7)。リンチの時代においては迷うという不安が身近にあった。そこで、都市の分かりやすさ、都市の明瞭さなどを高めることによって、イメージ・アビリティを高め、イメージしやすい都市をつくることが喫緊の課題であった。
迷う不安のない時代
しかしながら、グーグルマップが発明された現在、人々は迷うことができなくなった。ボストンの曲がりくねった街路の魅力、日本の路地裏の雑多な街路の魅力、こうした魅力に迷いこむ経験が失われゆくのは明らかである。それらは、グーグルマップのなかで単なる経路としての意味しか与えられず、芳醇な意味を与えられることはないのだから。もし意味を与えられるとするならば、その場所が地点として登録された時だけである。現代において、都市は地点の集まりとしてイメージされているのであり、地点と地点のあいだは存在しないに等しいのである。一体全体、都市の芳醇な魅力をどうやって取り戻せばよいのだろうか?
迂回路と迷路を取り戻す方法
当然、グーグルマップを使用する主体のマインドセットを変化させるという方法ある。筆者は、その方法として「ウカイメンド」という漫画を描いたこともある。そこでは、AIを用いて人々が迂回路を取り戻すための仕組みを提案した。また、東浩紀が『動物化するポストモダン』で述べたように、人々は都市の二次創作を楽しむ方法もあるだろうし、『Pokémon GO』のように別レイヤーを重ねて意味を重層させてゆくような方法もあるだろうし、GPSアートのように最短経路とは異なる道を強制的に選択する方法もあるだろう。
しかしながら、グーグルマップを使用する主体のマインドセットを変化させる提案は、それは建築家や都市デザイナーの仕事とは結びつきづらい。一体、建築家や都市デザイナーに何が可能か? 建築家や都市デザイナーが考えるべきは、この一点に尽きる。建築家や都市デザイナーがミーニングの議論ばかりするのは卑怯である。重要なのは、ミーニングの議論を用いて物理的に何をつくるかである。
ノン・イメージアビリティ。
イメージアビリティの逆転
ここで提案してみたいのは、「ノン・イメージアビリティ」という概念である。これは、グーグルマップによって、人々が迷うことなない時代だからこそ可能になるものである。リンチのイメージアビリティの定義は以下のものであった。
これは物体にそなわる特質であって、これがあるためにその物体があらゆる観察者に強烈なイメージを呼び起こされる可能性が高くなる、というものである。それは、あざやかなアイデンティティと強力なストラクチャーをそなえた非常に有益な環境のイメージをつくるのに役立つ、色や形や配置などである(p10)。
ケヴィン・リンチ『都市のイメージ』
リンチは、強烈なイメージを呼び起こすものとして「あざやかなアイデンティティと強力なストラクチャーをそなえた」ものを考えている。しかしながら、あざやかなアイデンティティと強力なストラクチャーをそなえていないものにも拘らず、強烈なイメージを呼び起こすものが世の中には溢れている。もっと言えば、強烈なイメージを呼び起こさないからこそ、強烈なイメージを呼び起こすのである。ここではリンチの提案を逆転させて、分りにくさ、見えにくさ、明瞭ではないのにも拘らず、強烈なイメージを呼び起こすものを、「ノン・イメージアビリティ」と名前をつけてみる。
ノン・イメージアビリティを高める戦略
いまや、都市はグーグルマップの地点へと還元されている。逆にいうならば、地点にさえ登録されていれば、建物それ自体があざやかなアイデンティティと強力なストラクチャーを備えている必要はない。これを逆手にとって「ノン・イメージアビリティ」を高めてゆく戦略には可能性はないだろうか。ノン・イメージアビリティを高めることによって、逆説的に、強烈なイメージを呼び起こすことは可能だろうか? このとき何が起こるのだろうか? その事例の一つとして、伊東豊雄の『座・高円寺』を挙げてみたい。
座・高円寺の驚き
『座・高円寺』の特色は、敢えて閉じるという公共建築であることである。外から見ると倉庫の搬入口のようで、まったく何も想像することのできない貧しいものである。リンチの述べるような「イメージアビリティ」など欠けらもなく、人々の頭に焼き付けられるような外観などを持たず、グーグルマップなしでは誰も見向きもしないだろう。しかしながら、グーグルマップを頼りにたどり着いて見ると、内部には驚くほど芳醇な空間が広がっていることに驚く。この驚きこそが、グーグルマップ時代における。都市を豊かにする新しい可能性だと思えてならない。
都市は驚きからはじまる
『座・高円寺』の貧しい外見が何も引き起こさないゆえに、内部の豊かさが強烈なイメージを持って頭に焼き付くことは興味深い。『座・高円寺』を訪れたあと、一見すると何もイメージを呼び起こさないものの、内部に驚くほど芳醇なイメージを孕んだものが都市には溢れているかもしれない、と都市を歩くのが楽しくなった記憶がある。そして、こうした驚きの体験は凡ゆるひとにも共通するのではないだろうか。「驚異はつねに美しい」とシュルレアリストが述べていたように…。グーグルマップ時代において、都市は驚きから始まるのではないだろうか。「ノン・イメージアビリティ」を高めて、この驚きをつくることが建築家や都市デザイナーに可能なことの一つかもしれない。
さて、メモはこの程度にしておくが、『都市のイメージ』は一度は読んでおかなければならない著作である。都市デザインをやりたい方、ぜひ手にとって見て欲しい。
