『建築の多様性と対立性』の表紙

建築の多様性と対立性 ロバート・ヴェンチューリ / 1966

私は建築における多様性と対立性を好む。

私は建築における多様性と対立性を好む。私は、どうしようもないような建築の気ままさ、支離滅裂さを好まず、絵画風や表現主義の七面倒な複雑さを好まない。その代わりに私がここで取り上げようとするのは、芸術には欠くことのできない何かを含んだ、現代の豊穣で曖昧な経験的事象に基づいた、多様性と対立性を備えた建築である(p33)

ロバート・ヴェンチューリ『建築の多様性と対立性』(強調筆者)

この著作は、建築家であるロバート・ヴェンチューリによって書かれたものであり、1923年にル・コルビュジエの『建築をめざして』以降、建築について書かれた著作のうち最も重要な本と称賛されることもある。当書は、コルビュジエ的な高貴な純粋主義的な視点から、建築における多様性や対立性を重要視する視点への価値転換が企てられた。「私は建築における多様性と対立性を好む」という一文から始められることから分かる通り、「偏愛」を並べた本なのである。いまでこそ、各個人の好みの肯定は自明なことだろうが、画一的なモダニズム的な建築観が席巻し、ポストモダニズムという言葉すら定着していなかった当時、好みを全面的に打ち出した建築理論書などなかった。こうして偏愛を大胆に語ることにこそ、当書の斬新さがある。

『建築の多様性と対立性』の英語版表紙
『建築の多様性と対立性』英語版の表紙 @amazon

純粋性を希求するモダニズムへの批判。

ヴェンチューリは画一的なモダニズムを批判する。グリーンバーグが指摘したように、モダニズムは各固有のジャンルにおける純粋性を希求する動向を指していた。音楽には音楽固有の魅力があるように、建築には建築固有の魅力があるはずである。そこで、建築から建築以外の領域を排除することで純粋性を確保することが求められた。こうした文脈に限定していえば、コルビュジエは「建築とは〈比例〉であり、それは〈精神の純粋な創作物〉(『建築をめざして』p32)だと定義して、建築から建築以外のもの、たとえば比例や秩序を持たないものを徹底的に排除した。重要なことは、純粋性というのが、それ自体で自立したものではなく、不純なものを取り除くことによってのみ現れるということである。したがって、コルビュジエは過去の歴史的建築から、不純なものを切り捨てて、幾何学的な比例だけを抜き出してゆく。この過程で見落とされるのは「不純なもの」である。この不純なものをヴェンチューリは擁護する。

PSFSビル
PSFSビル @wikimedia1932年にジョージ・ハウとウィリアム・レスカーズが設計したビル。アメリカン・ボザールのモニュメンタルな造形と、ヨーロッパの機能的なモダニズムが融合したような名作なのだが、今回の争点は屋上の看板であり、真紅のネオン広告となっている。コルビジュエであれば不純と呼んだであろう広告板に対して、ヴェンチューリは、「屋上の巨大なサインを含め、さまざまな昨日とスケールが、ひとつのまとまりの中に統合されている(p67)と積極的に肯定している。

不純なものを排除せず受け容れる。

モダニズム的な純粋性は不純なものを排除することによって成立していたから、不純なものを受け容れることができない。しかしながら、不純なものを受け容れる建築があってもよいではないか、とヴェンチューリは主張する。「何かを排除するのではなく、受け入れようとする建築においては、断片、対立性、即興、またそれらの緊張状態などを取り込む余地がある(p38)。プログラムや構造の多様性を無理やり単純化しなくていいではないか、曖昧さや緊張を無理やり取り除かなくてはいいではないか。なぜなら、たとえ一見すると不純に見えるものであっても、状況を少し違った角度から見ると、好ましからぬと見えたものが好ましいものと見なしうることもある(p192)のだから。こうした可能性を見せるべく、ヴェンチューリは歴史的な建造物を分析しながら、多様性と対立性を記述してゆく。

PSFSビル
ピア門 ©Monticiano(modified)英語版の表紙に印刷されているのは、ミケランジェロの『ピア門』である。ヴェンチューリは正面の開口部を驚くほど詳細に記述しながら、構造的にも装飾的にも重ね合わされていることが指摘される。

「それとも」と「にもかかわらず」、レスイズボア。

それとも/にもかかわらず

簡単にまとめることが許されるならば、多様性とは《それとも》という接続詞で、対立性とは《にもかかわらず》という接続詞で語れるものである。コルビュジエのサヴォア邸の平面は正方形か、それとも…? コルビュジエのサヴォア邸は、外側は単純、にもかかわず内部は…? このような問いにおいて、ヴェンチューリは不純として切り捨てられたものを拾いあげてゆく。コルビュジエだけではなく、博物館のように並べられた数々の歴史的建造物から、多様性や対立性を引き出してゆく手際は圧巻である。とりわけ、マニエリスムやバロックの建築を、現代のデザインを語るために用いる方法は珍しいものであった。とはいえ、ここで注意しなくてはならないのは、多様性や対立性がよいからといって、無秩序が称賛される訳ではないということである。

Less is a bore

偶然性を考慮に入れることはよいけれども、全てを偶然性に委ねることは許されない。例外を認めない四角四面の秩序は形式主義に陥ってしまうが、一方、秩序なき場当たりでは混乱を招くばかりだ。後で壊されてしまうにせよ、秩序は存在すべきである(p80)

ロバート・ヴェンチューリ『建築の多様性と対立性』(強調筆者)

排除することで得られる安易な統一ではなく、受け容れることで得られる複雑な統一をヴェンチューリは主張する。凝り固まった秩序ではなく、無秩序でもなく、様々なものを受け容れる秩序が必要である。こうした受け容れることを兼ね備えた建築は、慣習的なもの、平凡なもの、日常的なもの、安っぽいもの、などを決して排除することはない。それらを排除して生まれる単調さなんて退屈であり、まさに《Less is a Bore》だと批判されるのである。こうした文脈において、ヴェンチューリは、慣習的なもの、平凡なもの、日常的なもの、安っぽいもの、などを批判的に肯定した結果、最終的にはポップアートと足並みを揃えるように、大衆的なものや通俗的なものへと向かってゆく。それこそが、次の著作である『ラスベガス』での主題となるだろう。

みずからの建築作品へ。

最後に、ヴェンチューリはみずからの作品を丁寧に解説している。『ギルド・ハウス』や『母の家』など、これまでの当書の理論がなくては理解できないような平凡すぎる建築なのだが、本文の効果と相まって不思議な魅惑を漂わせはじめる。理論によって作品が躍りだす。逆にいうと、理論なくしてはヴェンチューリの建築作品はよく分からないままに終わる危険もある。この不思議な地帯に足を踏みいれるためには、まず読まなくてはならない一冊である。純粋性を希求する立場にたつにせよ、不純なものを擁護する立場にたつにせよ、この一冊を読まないことには始まらない。『建築の多様性と対立性』は、ラウシェンバーグが『Pilgrim』において、絵画という自律した造形世界のなかに、椅子という日常世界のオブジェを投げ込んで絵画の在り方を問い直したように、建築の在り方を問い直させるだけのインパクトを持っている。

母の家
母の家 ©Carol M. Highsmith(modified)
note

建築におけるアイロニーの行方

建築におけるポップアートの受容。

バンハム派とヴェンチューリ派

ポップを標榜する画家たちは、スケールを増大したり文脈を変えたりして、普通のものに普通でない意味を付与する(p88)

ロバート・ヴェンチューリ『建築の多様性と対立性』

ヴェンチューリはポップアートから様々なことを学んでいるが、とりわけ上記の手法を学んだと考えられる。ただし、こうした手法だけが建築におけるポップの側面ではないことに注意しなくてはならない。ハル・フォスターは建築におけるポップなるもののはじまりを、二種類に分別してこう語る。「一方にはバンハムが急ぎ立てた近代建築の再編があり、また他方にはヴェンチューリたちの準備したポストモダン建築の創始がある(『アート建築複合態』p23)。すなわち、建築におけるポップの受容は、未来派などのテクノロジーへの傾倒しながら新しい表現を探求するバンハム派と、表現主義的な傾向やテクノロジー的な傾向を拒否したヴェンチューリ派に大別される。

ヴェンチューリ派のアイロニー

バンハム派はアーキグラムやハイテク建築への道を、ヴェンチューリ派は記号論的ポストモダンへの道を開拓することになるが、ここで重要なのはヴェンチューリ派の独特な態度である。ヴェンチューリ派の態度には、バンハム派の態度とはまったく異なるアイロニーの匂いが常に漂っている。このアイロニーの由来はどこにあるのか? なるほど、「矛盾し対立するスケールと文脈とを含んだポップ・アートの教訓として、純粋な秩序を求める堅苦しい夢から建築家を目ざめさせるということがあった」(p193)とヴェンチューリが指摘した点は正当であり、純粋な秩序を希求するという暴力から建築の複雑性や対立性を救い出した意義は大きい。しかしながら、純粋な秩序を希求する夢から覚めたあと、何をどうやって建築すればよいのかは各個人に自由に開かれている。ここでは、ヴェンチューリ派に漂うアイロニーの原因は、ヴェンチューリが徹底的に《反建築家的建築家》になろうとした点にあると考えてみたい。

反建築家的建築家。

英雄の否定

ヴェンチューリはモダニズムを完全に批判して、建築家のエリート主義を徹底的に拒絶した。従来の英雄的な建築家像を否定して、反英雄的な建築家に徹すること。いわば反英雄的建築家になることを自分自身に課した。この場所において、純粋な秩序という英雄的な指標を捨てたあと、建築家にできることは何かを問うことが要求される。しかしながら、この問いが自己矛盾に陥ってしまうのは、純粋な秩序を提供するというのが建築家の役割だったからである。ヴェンチューリがぶつかることになる恐ろしい事実は、そもそも建築家とは純粋な秩序を希求することによって成立していた職業だったということである。西洋において、建築家とは英雄の別名だった。

建築家の否定

純粋な秩序を希求しない建築家は建築家ではない。だから、純粋な秩序を捨てさることをヴェンチューリが決めたとき、ヴェンチューリは建築家であることを捨てたと言ってよい。ここにおいて、「私は建築家ではない」とでも開き直れば楽になれただろうが、誠実なヴェンチューリは建築家であることに固執した。建築家を捨てながらに、建築家に固執する誠実な態度。反建築家的建築家。こうした自己矛盾的な態度を自覚することは必ず必要であり、この態度が現代建築の前提であることは間違いない。作者の死あるいは建築家の死は、もはや現代建築の前提である。純粋秩序の挫折を苦悩のうちに生きるために、建築はみずから挫折であることを欲さなければならないのである。時代を見ても、ヴェンチューリが切り開いた道は正当なものであった。しかしながら、そのあと戦略の是非を問わなくてはならないだろう。

アイロニーの戦略。

否定というアイデンティティ

建築家でないものとして建築家という職業をまっとうすること。反建築家的建築家という自己矛盾的な態度は正当なものであったにも拘らず、ヴェンチューリは自己矛盾的な態度に向き合うことをせず、アイロニーという方法に逃げこんだ挙句、否定性を自己目的化してしまった。反建築家的建築家という像を徹底的に深掘りせずに、反建築家的建築家ということをみずからのアイデンティに据えてしまった。このあたりにヴェンチューリの問題があるだろう。ヴェンチューリは『ラスベガス』においてこう語る。重要な箇所なので、少し長いが引用する。

大衆文化ポピュラー・カルチュアから何かを学んだからといって、建築家がそれまでの高尚な文化ハイ・カルチュアの中にあった彼または彼女の地位を失ってしまうことはない。(中略)アイロニーは、複雑な社会における建築の多様な価値を調整、統合したり、建築家とクライアントの間の価値の相違を融合させる時に、有効な手段となる。社会の階級差を乗り越えることは難しい。しかし、もし価値の多元化した社会において、建築を設計し、建設するという点に関し、一時的な同調を得ようとするならば、逆説、機智、アイロニーなどを理解する感覚が必要とされるに違いない。(p212)

ロバート・ヴェンチューリ『ラスベガス』(強調筆者)

ポピュラー・カルチャーとハイ・カルチャー

この言葉が印象的なのは、ヴェンチューリがポピュラー・カルチャーとハイ・カルチャーの区別を依然として温存していることである。そして、ハイ・カルチャーにいる建築家とポピュラー・カルチャーにいる観衆を結び付ける手段として、逆説、機知、とりわけアイロニーを挙げている。誤解を恐れずに言うならば、建築家はハイ・カルチャーに立ちながら、敢えてポピュラー・カルチャーへと降りてゆき、アイロニーを用いてハイ・カルチャーに一撃を喰らわせようという戦略だということである。この戦略はポピュラー・カルチャーとハイ・カルチャーの階層の違いを押し進めることに貢献して、その結果、高度に知的で洗練された観衆にしかヴェンチューリの建築が理解できないような事態が生じてくる。

アイロニーという最終防衛ライン

アイロニーが分からない観衆にとって、ヴェンチューリの建築はあまりに普通であり、その辺の建物と区別ができない代物に見える。むしろ、アイロニーなくしては、ヴェンチューリの建築はその辺にある建物と変わらない。すなわち、こうしたアイロニーの部分こそが、反建築家的建築家であるヴェンチューリが、みずからを建築家たらしめているために用意した最終防衛ラインだったということである。当然、英雄的な建築家像を否定からはじめて、表現主義的な傾向やテクノロジー的な傾向を拒否した反建築家的建築家であるヴェンチューリにできることと言えば、アイロニカルなマニエリスム的な操作くらいしか残されていない。英雄的な建築家像を徹底的に拒否しながら建築家であろうとするならば、建築家はなにも制作できなくなるに違いない。唯一残されたのがアイロニーなのである。

いつしか皮肉の肯定へ

確かにアイロニーの戦略は時代をうまく捉えていたが、次第にアイロニーが形骸化して様式化される。建築の多様性や対立性を肯定することが、一つの強烈な秩序として硬直してしまう。《肯定という皮肉》というポップアートからの学びから、《皮肉の肯定》へと舵が切られて、アイロニーだけが一人歩きする。アイロニーが肯定されたとき、それはアイロニーではなくなる。アイロニーの寿命は短い。アイロニーだけを基盤に据えた建築がアイロニーを失ったならば、もはや建築とは言えなくなる。アイロニーだけを基盤に据えた反建築家的建築家の態度が硬直したとき、それはヴェンチューリが否定したはずの英雄的建築家になるだろう。もしアイロニーの戦略というものを用いるならば、反建築家的建築家をより徹底しなければならなかった。アイロニーのアイロニー、反・反建築家的建築家、ここまで徹底しなくてはならなかったに違いない。

普通のものに普通でない意味を付与すること。

普通のものから

ところで、反建築家的建築家であるヴェンチューリがとった手法は、ポップアートから持ってきたものである。「ポップを標榜する画家たちは、スケールを増大したり文脈を変えたりして、普通のものに普通でない意味を付与する(p88)。普通のものに普通でない意味を付与するという手法。こうした普通のものから出発する手法以外の方法を取るならば、否定したはずの英雄的な建築家になってしまうとヴェンチューリは考えたのである。《反建築家的建築》でなくてはならないという規則でみずからを縛りつけた結果、英雄的な建築家らしい創造行為は封印される。そこで、普通のものに対して新しいものを提示する創造行為ではなく、普通のものに普通でない意味を付与することができるかどうか、この操作が建築設計の肝になってくる。普通でないという付加部分をつくることで、ポピュラー・カルチャーをハイ・カルチャーにアイロニカルに接続しなくてはならないからである。

普通なものとは?

普通のものをそのまま提示するのは最高に皮肉であるが、もはやそれはハイ・カルチャーを捨て去ることにある。それは建築家も反建築家的建築家も辞めることである。しかしながら、反建築家的建築家とはいえ、あくまで建築家であろうとしたヴェンチューリは普通のものに普通でない意味を付与することによって、そのアイロニーによって両者を結び付けなくてはならなかった。普通のもの、あるいは、慣習的なもの、平凡なもの、日常的なもの、安っぽいもの。大衆的なもの、そして風俗的なもの。こうした普通のものを評価しながら、そこにハイ・カルチャーに通ずる普通でない意味を付加しなくてはならない。しかしながら、よくよく考えてみると、《普通なもの》という表現自体おかしいことに気が付く。普通なものは、みずからが普通であることに気がつかないのだから。《普通なもの》というのは、ハイ・カルチャー側からの分類なのであり、ポピュラー・カルチャーを冷めた目つきでみようとする態度から生じている。

階層の温存

ハイ・カルチャー側からポピュラー・カルチャーを眺めるの観察者としての態度、ここには距離がある。言うならば、ハイ・カルチャーからポピュラー・カルチャーを見降ろす態度が透けて見えてしまう。『ラスベガスから学ぶこと』という題名が明らかにするように、学ぶ者はラスベガスのなかにいない。ここにこそ、ハイ・カルチャーに立ちながら、敢えてポピュラー・カルチャーへと降りてゆく態度が現れている。やはり、依然としてポピュラー・カルチャーをハイ・カルチャーの階層が温存され、建築家はあくまでハイ・カルチャーの側にいる。結局のところ、ハイ・カルチャーの側から、ハイ・カルチャーの枠組みのなかでポピュラー・カルチャーを過剰評価しているのである。ここにこそ、アイロニーの原因があるし、ヴェンチューリの限界がある。

肯定という皮肉ではなく、皮肉の肯定。

ヴェンチューリ派は、反建築家的建築家であるがゆえに、身動きが取れなくなり、アイロニーを建築の基板においた。その結果、アイロニーの戦略をとるために《普通なもの》を産み出し、普通なものにハイ・カルチャーに結びつけるために普通でない意味を付与しなくてはならなかった。このとき、アイロニーを中心にすベてがまわりはじめてしまった。すなわち《肯定という皮肉》ではなく、《皮肉の肯定》へと走り出してしまったのである。そもそも《肯定という皮肉》という言葉は、リチャード・ハミルトンがデュシャンから借りてきたものだが、ハミルトンは、ポピュラー・カルチャーにもハイ・カルチャーにも中立であり、その両方に対して《肯定という皮肉》を実践していた。ヴェンチューリがハイ・カルチャーに批判的なり、ポップ・カルチャーに肩入れしすぎたのと対照的に思えてならない。反建築家的建築家はもっと中立的な立場でもよかったのではないだろうか。

アイロニーからユーモアへ。

アイロニーの究極と終焉

反建築家的建築家として、アイロニーの戦略を立てて中立的な立場で戦ったのは磯崎新だろう。磯崎は、ヴェンチューリを正しく評価したうえで、アイロニーのアイロニーという場所まで足を進めて、1983年『つくばセンタービル』というアイロニーの究極にまでたどり着いてしまった。この地点が、アイロニーの戦略の最終到達地点であり、アイロニーの戦略の限界でもある。これを見せられては、もうアイロニーの戦略で行こうという気にすらなれないだろう。もう、アイロニーの戦略は終焉を迎えている。ヴェンチューリを中心に、ザッと文脈をさらって見たところで、「じゃあ建築家はどうするの?」という点をあらためて問わなくてはならない。まず、ヴェンチューリが立てた《反建築家的建築家》という問いは前提として受け入れなくてはならない。モダニズム的な英雄的建築家を焼き直すことを時代錯誤である。

アイロニーからユーモアへ

とはいえ、アイロニーに向かうのも厳しくなっている。アイロニーはハイ・カルチャーとポピュラー・カルチャーの階層を依然として温存してしまうのだから。ここで、アイロニーの代替として着目すべきはユーモアの戦略である。ドゥルーズは『ザッヘル=マゾッホ紹介』のなかで、アイロニーとユーモアを、どちらも法の転倒をめざすものとして定義したうえでこう語る。「もはや法は、原理への遡行によって、アイロニーに満ちた仕方で転倒されるのではなく、帰結を深化させることによって、ユーモアに満ちたしかたで斜めから裏をかかれる(p135)と。すなわち、法をきまじめに適用することで法の転覆をめざす戦略である。《肯定という皮肉》とは、ある種のユーモアである。この戦略をとっているのは、消費の海に浸らずして新しい建築はないと述べた伊東豊雄や、資本主義社会に飛び込むコールハースらを挙げることができる。すなわち、階層を捨て去り、ポピュラー・カルチャーに浸かるという戦略である。

いつしかユーモアの肯定へ

とりわけ、コールハースにはヴェンチューリさながらのアイロニーが感じられる。コールハースは建築家というより脚本家に徹しているがゆえに、建築家なのである。ここにギリギリのラインで法を転覆させようとする批評性がある。BIGや隈研吾の建築にはアイロニーが感じられないのは、彼らがユーモアの戦略を履き違えているからである。ヴェンチューリが《肯定という皮肉》ではなく《皮肉の肯定》という形骸化に向かったように、《肯定というユーモア》ではなく《ユーモアの肯定》という形骸化がなされているからである。ミイラ取りがミイラになってしまう。《ユーモアの肯定》をしたならば、そこにユーモアはなくなるし、その辺の建物との区別がなくなってしまう。ユーモアに必要なのは法を転覆するというギリギリのマゾヒズム的な快感なのである。とはいえ、アイロニーもユーモアもほどほど飽和してきているのは間違いない。私はというと、普通なものから何かを学ぶというより、普通なものを膨張させることに興味を持っているが、それはまたの機会に話さなくてはならない。

メモはこのくらいにするとして、ヴェンチューリの『建築の多様性と対立性』は、建築家を純粋な秩序への夢から覚めさせる重要な一撃であった。これは、ポストモダンの始まりであり、いまなお読み継がれなくてはならない一冊である。ぜひ、手にとらなくてはならないだろう。補足だが、ヴェンチューリには『ラスベガス』という著作もあから、二冊を同時に読むことをお勧めする。『ラスベガス』の解説はこちらからどうぞ。

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