ロバート・ヴェンチューリ

ロバート・ヴェンチューリ 建築家 作品・生涯・思想・著作

ロバート・ヴェンチューリはアメリカの建築家である。ロバート・ヴェンチューリとは誰か? 作品、生涯と思想、著作の順番に簡単に追いかけてみたい。少しでも建築に興味を持ってもらえたら嬉しい。

作品

ロバート・ヴェンチューリの作品代表作品や建築の特徴

ロバート・ヴェンチューリの代表作、15選

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はじめに

まず、ロバート・ヴェンチューリの代表的な作品を追いかけてみよう。ここでは、重要だと思われる作品を独断と偏見でピックアップして、年代順にまとめている。興味がある方は、自分なりに調べて見るとよいだろう。

01

ギルド・ハウス

1961年の作品。あまりに醜くて平凡な作品であるが、その醜くい平凡さを当然のごとく主張した作品である。なんてことない普通のレンガ、なんてことない普通の窓、それらの当たり前のものを用いながら、窓を少しだけ大きくしたり、1Fの白い入口を大きくみせたり、正面のファサード上部に切り込みを入れるような小さな操作によって、複雑さが演出されている。正面の『GUILD HOUSE』という装飾も俗っぽさ満載であるが、こうした装飾を建築家が行うことが従来になかったのである。堂々として独創的な見せかけをしながら、実は平凡で醜いモダニズムの建築を批判して、平凡で醜いことは悪いことではないと堂々と主張した点が新しかった。

ギルド・ハウス
ギルド・ハウス 1961©Michael Cramer(modified)
02

母の家(ヴァナ=ヴェンチューリ邸)

1963年の作品。この建物は、多様かつ単純、開放的かつ閉鎖的、大きいかつ小さい、と幾つもの対立する要素が複雑に統一されている。この住宅の新しさは、モダニズムが多様性を排除して単調な建築になりゆくなか、モダニズムに反旗を翻して、複雑な建築を表現しようとしたことにある。モダニストならば左右対称につくるであろう正面も、大きすぎる力強い入口、割れ目から飛び出した煙突など、絶妙な加減でバラバラで非対称に崩されている。内部空間も暖炉や階段などの要素がせめぎ合う。こうした多様性と対立性によって、長年にわたって徐々につくられたような、生き生きとした馴染み深さが感じられる。(外部の画像サイト↗︎)

母の家
母の家 1963@Carol M. Highsmith
母の家
母の家 1963@wikimedia
03

第4消防署

1968年の作品。やはり驚くほど特徴のない、あり来たりで簡素な建物である。絶妙に左右非対称の構成によって、秩序を崩すことに成功している。正面のホースタワーには金色の文字で《4》と書かれて、サインが全面的に押し出されているのも印象的である。白いレンガの部分と、赤いレンガの部分が重層するようにも感じられて、奥行きがある。平凡かつ普通、それでいて、少しだけ平凡ではなく普通ではないと感じる。こうした平凡でない平凡さを、ヴェンチューリはポップアートの手法から学んでいる。

第4消防署
第4消防署 1968@Carol M. Highsmith
04

コネチカットの家(House in Greenwich)

1970年の作品。色の異なる二種類のレンガで彩られた住宅。ポップ・アートやアール・デコの彫刻などを展示することもできる住宅なのだが、内部空間がなかなかに豊かである。(外部の画像サイト↗︎)

05

トルーベック・ウイスロスキー住宅(Trubek-Wislocki Houses)

1971年の作品。ナンチカット海沿いの2棟の別荘。大きい方の家は多様性と対立性が盛り込まれ、小さい方の家はあり来たりなものとなっている。古きよき漁師の住居や、19世紀のニューイングランドの別荘を感じさせる。(外部の画像サイト↗︎)

06

タッカー邸(Carl Tucker III House)

1975年の作品。アメリカのシングル茸の住宅とマニエリスム的な手法が融合した名作住宅。大きな丸窓が開けられた造形的なデザインは、いままでのヴェンチューリらしくない魅力的なものとなっている。窓は完全な円ではなく、上下に引き伸ばされ、2階と3階を緩やかに繋ぐ。暖炉の入った絶妙な家形など、ポストモダンで一括りにできないほどに抽象的で美しい。(外部の画像サイト↗︎)

07

フランクリン・コート

1976年の作品。ベンジャミン=フランクリンの業績を記念した美術館である。主となる展示空間を地下に埋め込んで、地上にフランクリンの実家がスチールによって再現された。地面には建物の平面図が記されていて、なかを覗き込むことができる。これが建築なのかというと怪しいだろうが、機知に富んだ独特なアプローチであることは間違いない。この軽快さはなかなか新しく、温室のフレームのようでさえある。古澤大輔の『コミュニティステーション東小金井』などにも影響を与えているだろう。

フランクリン・コート
フランクリン・コート 1976@wikimedia
08

アレン記念美術館

1976年の作品。カス・ギルバート設計の建築への増築。新しいボリュームを付加しながら、調和を崩さないような素材、遊び心のあるファサードなどが絶妙である。

09

ゴードン=ウー記念館(プリンストン大学)

1983年の作品。二棟の古い寮に囲まれているという周辺の環境を読みながら、全体を統合させようと試みている。レンガ造りはプリンストン大学のゴシックを引用しながら、表層のパネルデザインによって入口を識別させている。建物端部の出窓は、明るい光を内部に落とすと同時に、広場と流動的な関係を築いていている。内部の階段の工夫など、建築家が設計したとは思えないほど居心地がよさそうである。コンテクスチュアリズムを感じられる。

ゴードン=ウー記念館
ゴードン=ウー記念館 1983©jpmm(modified)
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ルイス=トーマス分子生物学研究所(プリンストン大学)

1986年の作品。ヴェンチューリは、外装デザイン、出入口の設計、敷地計画、造園計画を行っている。著作権の関係で正面側の写真がないのだが、その正面のファサードが美しいので是非見て欲しい。レンガで模様を付けられた帯とリズミカルに並ぶ窓が建物を一周している。上部のデザインが切り替わるところは機械室だという。周辺環境を読みながら、平凡で小さな操作によって美しい表情を生み出している。

ルイス=トーマス分子生物学研究所
ルイス=トーマス分子生物学研究所 1986@wikimedia(modified)
11

シアトル市立美術館

1991年の作品。シアトルに位置する美術館である。ファースト・アベニューとセカンド・アベニューを緩やかに結ぶ湾曲した外壁面が特徴である。石灰岩の外壁には《SEATLE・ART・MUSEUM》の大きな文字が掘り込まれている。下部には遊び心のあるアーチが並べられ、都市のスケール感に馴染んでいるのが印象的。前面の広場には、ジョナサン・ボロフスキーのハンマリング・マンという彫刻が飾られているが、建築と馴染んでいるように見える。内部にはアーケードがあり、記号化された不思議な形態のアーチが天井に取り付けられている。

シアトル市立美術館
シアトル市立美術館 1991©Cliff from Arlington(modified)
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ナショナル・ギャラリー・セインズベリー館

1991年の作品。話題を呼んだナショナル・ギャラリー・セインズベリー館。既存の建物の様式を偽装しながら、マニエリスム的に延長している。トラファルガー広場に向かうファサードだけが歴史的であり、建物に無関係に貼り付けられている。旧館と同じポーランド産の石灰岩が使用され、コーニスの高さも本館の尺度を用いている。旧館に向かって階段状に折り畳まれてゆくファサードはテクニカルであり、装飾された小屋の概念を明確に示している。とりわけ、ファサード中央付近に一本だけ飛び出したコリント式の柱は、周辺環境から丁寧に導かれたデザインとなっていて、周辺環境に呼応すると同時に、周辺環境を新しく書き換えることも可能にしている。

ナショナル・ギャラリー・セインズベリー館
ナショナル・ギャラリー・セインズベリー館 1991©Richard George(modified)
13

メルパルク日光霧降

1996年の作品。ヴェンチューリは日本にも作品を残している。現在は大江戸温泉物語として使われているが、象徴的要素が散りばめられているのが印象的な建物である。全体として日本を思わせる形態がつくられ、その内部には折り紙のような平面装飾が貼り付けられている。内部の、花や葉の装飾パネルが無機質に連続する様子は、もはや嫌らしさはなく清々しいほどである。装飾と小屋がまったく分離していることが重要なのだろう。

14

エピスコパル・アカデミー礼拝堂

2004年の作品。クライアントである牧師からの要望は、生徒同志の連帯感を育む建物とすること、そして畏敬の念を感じさせる建物とすることの2点である。ヴェンチューリは、キリスト教の教会堂の伝統を踏襲しながら、生徒が祭壇に顔を向けれる構成によって生徒同志の連帯感をつくり、天に向かってそそり立つ壁によって畏敬の念をつくり出した。様々な宗派のひとが集う施設ということもあり、露骨なイコノグラフィが使われることはなく、かなり抽象的なものになっている。

エピスコパル・アカデミー礼拝堂の外観
エピスコパル・アカデミー礼拝堂 2004©Ali Eminov(modified)
エピスコパル・アカデミー礼拝堂の内観
エピスコパル・アカデミー礼拝堂 2004@wikimedia
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ベス・エル・シナゴーグ

2004年の作品。街路に沿って記号論的なファサードが伸びて、その後ろに外壁が隠されている。外壁とファサードのあいだのアーケードに影が落ちて、ファサード越しにいろいろな要素が顔を覗かせる。いかにもヴェンチューリらしい建築。(外部の解説↗︎)

生涯と思想

ロバート・ヴェンチューリの生涯と思想キーワードや経歴など

ロバート・ヴェンチューリの軌跡

はじめに

ロバート・ヴェンチューリの生涯と思想を追いかけてみよう。ここでは、重要だと思われる出来事やキーワードを独断と偏見でピックアップして、年代順にまとめている。簡単に分かりやすくまとめたものなので、時間軸などを前後させている場合もあるし、勝手な解釈している部分も多々ある。参考程度のものだと考えてください。

1941 - 1965プリンストンとローマに学ぶ

プリンストンで学ぶ

1925年にフィラデルフィアで生まれ、1947年にプリンストン大学を主席で卒業し、1950年に同大学で修士号を取得する。その後、エーロ・サーリネンの事務所で働いたあと、ローマ賞を受賞したことをきっかけに1954年から1956年までローマで遊学。その後、ペンシルベニア大学で教鞭をとりながら、ルイス・カーンに師事。1957年にみずからの設計事務所を開設する。1960年代初頭、同じくペンシルベニア大学で教鞭を執ったデニス・スコット・ブラウンに出会い、1967年に結婚。その後は互いにインスピレーションを与え合う関係になっている。若きヴェンチューリにとって、サーリネンやカーンという特定の個人というより、みずから心に響いたものを大切にすることの方が重要であった。

むしろデニス・スコット・ブラウンやプリンストン大学での経験に、また先述したように歴史の道へ進ませてくれたプリンストンの恩師たちに多くを学びました。が、やはり、旅にでかけたり、本を読んだり、歴史を勉強したことが─特定の個人以上に─自分を大きく変えることになりました(p13)

ヴェンチューリ『ロバート・ヴェンチューリとデニス・スコット・ブラウンから学ぶもの』

ローマに感銘を受ける

とりわけ、ローマに訪れたことがヴェンチューリに大きな影響を与えたようである。ヴェンチューリは1948年の8月にローマを初めて訪れたとき、その素晴らしさに感動したことを繰り返し述べている。ローマに感動したことが、ヴェンチューリが歴史の扉を開いたきっかけである。歴史を否定するのではなく、歴史に素直に感動すること。その感動を素直に受け容れることを起点とする点が、ヴェンチューリの建築の誠実さにつながってゆく。とりわけ、街路が歩行者に開かれていることや、囲まれた広場があることに感銘を受けたヴェンチューリは、歴史的なものを偏愛するようになる。こうした偏愛は、みずからの体験に依拠しているがゆえに身体に血肉化され、ヴェンチューリを形づくってゆく。要するに、目に見えるものや肌で感じたものを大切にするという現象学的視点がヴェンチューリのはじまりなのである。偏愛はいつも自分ごとである。

一九四八年の八月の日曜日、私は初めてその地を踏み、かの「ローマの金色の光」を浴びて立つ建築形態の豊かさや、予想だにしなかった歩行者空間を目にして天にものぼる気持ちでした(p90)

ヴェンチューリ『建築のイコノグラフィーとエレクトロニクス』

自らが好きだと思うもの、魅入られやすいもの、そうしたものから、私たちは自らのありようを教えられることが多いのだ(p28)

ヴェンチューリ『建築の多様性と対立性』
1966 - 1979建築の多様性と対立性、そしてラスベガスへ

建築の多様性と対立性、レス・イズ・ボア

ヴェンチューリは細々と設計をしながら、1966年に『建築の多様性と対立性』を書きあげる。そこでは、モダニズムの高貴な純粋主義的な視点に対して、建築における多様性と対立性を重視する視点への価値変換が謳われた。歴史を切り捨てるばかりのモダニズムは《Less is a Bore》であるから、歴史からきちんと学ばなくてはならない。モダニズムは純粋で単純な秩序を希求するあまり、そうでないものを排除することで成立していた。そうした夢から覚めて、多様性や対立性を受け入れることが可能な秩序を考えることができないか。こうした主張を、歴史への偏愛と、歴史への鋭い分析によって記した意義は大きい。重要なのは、当書の巻末にみずからの作品を並べたことである。そこには、あの有名な『母の家』や『ギルド・ハウス』など新しい建築の姿があった。

つまり、何かを排除するのではなく、受け入れようとする建築においては、断片、対立性、即興、またそれらの緊張状態などを取り込む余地があるのである(p38)

ヴェンチューリ『建築の多様性と対立性』

母の家

1963年の『母の家』では、モダニズムでは考えられないような多様性と対立性が実現されている。左右非対称構成、正面ファサードの亀裂、取り付けられたような正面ファサード等。これらのバラバラな要素が組み合わされて、一つの複雑な全体として浮上してくる。『建築の多様性と対立性』における思想の一つの模範としての住宅なのである。そうした複雑性と対立性を形態によって表現してゆくと同時に、ヴェンチューリは建築における象徴主義シンボリズムの可能性に足を踏み入れる。モダニズムが排除したのは形態における複雑性と対立性だけではなく、象徴主義的な視点をも排除したのである。

母の家
母の家 1963@Carol M. Highsmith

しかし、今となって考えてみると、本書はあくまで建築の形態を扱い、それを補うものとして、数年後に出版された『ラスベガスから学ぶこと』は建築の象徴性を扱っている(p31)

ヴェンチューリ『建築の多様性と対立性』
「再版に際してのノート」

ラスベガスの分析

とりわけ、1960年初頭にデニス・スコット・ブラウンと出会ったことはヴェンチューリにとって事件であった。彼女は都市の記号に関する研究をしていたからであり、その視点がヴェンチューリを都市の象徴主義への関心に向かわせる。そして1968年、イェール大学のスタジオでラスベガスの研究を開始。その記録は1972年に『ラスベガス』としてまとめられる。そこでは、ラスベガスのストリップという正統な建築史が俗悪と切り捨てていた風景が、高速道路と自動車からの視点として分析される。重要なのは、当書の第二部において、近代建築が《あひる》に化していることを指摘して、《装飾された小屋》という思想を展開したことである。

ラスベガスの風景
1970年代のラスベガス ©Roadsidepictures

ラスベガスを訪れることは、一九四〇年代末にローマを訪れるのと似たようなことであった(p43)

ヴェンチューリ『ラスベガス』

あひると装飾された小屋

『ラスベガス』の第二部における有名な定義が登場する。「あひるとは、それ自体が象徴である特別な建物である。装飾された小屋は、象徴で装飾された普通の建物である」(p119)ヴェンチューリは、近代建築が《あひる》と化していることを指摘して、《装飾された小屋》の支持を表明する。このとき、みずからが設計した『ギルド・ハウス』が擁護される。堂々として独創的な建築ではなくて、醜くて平凡な建築でよいのではないか。醜くて平凡な建築を反語的な方法を用いて、あるいはアイロニーの戦略を用いて、堂々として独創的な建築に転覆させることも可能である。

ギルド・ハウス
ギルド・ハウス 1961©Michael Cramer(modified)
あひると装飾された小屋
あひると装飾された小屋 ©Robert Venturi et al.©Robert Venturi et al.(1972), LEARNING FROM LAS VEGAS , The MIT Press

ラスベガスを訪れることは、一九四〇年代末にローマを訪れるのと似たようなことであった(p43)

ヴェンチューリ『ラスベガス』

板挟みの思想

1966年の『建築の多様性と対立性』と1972年に『ラスベガス』の思想が次第に交錯してゆく。『建築の多様性と対立性』では、「外と内とが異なるものだとしたならば、その接点である壁こそは何かが起こるべきところであろう。外部と内部の空間や用途上の要求が衝突するところに建築が生ずる」(p162)という視点に立っていた。すなわち、外と内、あるいは装飾と小屋は切り離さずに衝突していた。その一方、『ラスベガス』では装飾と小屋のあいだに空間が挿し込まれ、完全に切り離されて衝突が起きない。そこでは、外部と内部が衝突することなく、内部に無関係な表層が貼り付けられるだけなのだから。これは《装飾された小屋》における、b案とa案にそれぞれ対応している。

『建築の多様性と対立性』で主張されているような衝突が起きているもの、たとえば『母の家』『コネチカットの家』『トルーベック・ウイスロスキー住宅』『タッカー邸』などは建築的に魅力的な内部空間が演出されているように見える。その一方、衝突が起きてないもの、たとえば『ギルド・ハウス』『第4消防署』『バスコー・ショールーム』などは建築的に魅力的とは言い難い。無関係な表層が貼り付けられているだけに過ぎないからである。確かに低予算で成立するのとはいえ、そこに建築はなく、アイロニーという反語的な意味でしか建築として成立していない。ヴェンチューリはみずからの書いた二冊の著作に挟まれながら、建築家としてできることを探さなくてはならかっただろう。

装飾された小屋
a案とb案 ©Robert Venturi et al.©Robert Venturi et al.(1972), LEARNING FROM LAS VEGAS , The MIT Press
1980年以降コンテクスチュアリズムとアーケードの思想

コンテクスチュアリズム

ヴェンチューリが苦しんだのはラスベガスという都市のせいかもしれない。ラスベガスにおいて、建物と建物のあいだには距離があるため、各々の建物が独立して自己を主張しなくてはならないし、砂漠に一日にしてつくられた都市という性格から、歴史性がまるで抜け落ちているからである。それゆえ《装飾された小屋》における装飾は、広告板などの露骨なサインとなってしまう。また『母の家』などのプロジェクトも広い空間にポツリと家があるだけで、歴史との関係は希薄である。それに比べて、ヴェンチューリが真価を発揮するのは、建物同士の距離が近く、コンテクストが重要になってくるときである。もっと言えば、歴史をつみ重ねてきた建物を設計する時である。たとえば、プリンストン大学の一連のプロジェクトである。

表層を調和させること

プリンストン大学でヴェンチューリは幾つかのプロジェクトを手掛けている。1983年の『ゴードン=ウー記念館』、1986年の『ルイス=トーマス分子生物学研究所』、1990年の『フィッシャー・ホール』。そのどれもが、周辺環境に丁寧に呼応した素晴らしいデザインになっている。建物それ自体がみずからを主張するというより、昔からそこに馴染んでいたようなデザイン。ヴェンチューリの装飾された小屋という主題が、コンテクスチュアライズされたファサードと小屋という主題に変奏されているのが分かる。プリンストン大学の一連のプロジェクトは、ヴェンチューリのアイロニカルなイメージとは裏腹、優しい魅惑に満ちているのが感じられる。とりわけ『ゴードン=ウー記念館』の明るい出窓部分の空間に着目すべきである。ここは小屋と装飾のあいだなのだが、小さな椅子が備え付けられたり、アプローチとしたり機能していて、居心地のよい空間が実現されているのが分かる。小屋と装飾のあいだとは一体…?

ゴードン=ウー記念館
ゴードン=ウー記念館 1983©jpmm(modified)

周辺の環境からヒントを得ながら、この建物には独自のアイデンティティを抱かせた。2棟の寮に挾まれる形で横長に位置するこの記念館は、全体の配置の中でハイフンのごとくに各棟を連結し、統合を印象づけている。

ヴェンチューリ『建築とデコラティブア-ツ:ナイーブな建築家の二人旅』「ゴードン=ウー記念館の解説」(強調筆者)

装飾と小屋のあいだ

装飾という表層と小屋という建物。両者を切り分けることによって、小屋と装飾のあいだに新しい空間が生じる。この空間を有効活用することによって、ヴェンチューリは『建築の多様性と対立性』と『ラスベガス』の両者を交錯させることが可能になる。『建築の多様性と対立性』において重要視されていた衝突が、『ラスベガス』において一度は失われるが、小屋と装飾のあいだの空間として回帰してくる。その空間はアーケードのように用いられる場合が多い。1967年の『ナショナル・フットボール記念館』では、アーケードは建物の内部にあったが、1980年代において、アーケードが小屋と装飾のあいだに入りこむことになる

こうして、ヴェンチューリは居心地のよいアーケードというデザイン言語を手に入れて進み続ける。1989年の『万国博覧会・アメリカ館』、1990年の『シアトル市立美術館』、1991年の『ナショナル・ギャラリー・セインズベリー館』、1996年の『メルパルク日光霧降』等々。小屋と装飾のあいだの空間の可能性というのが、2004年の『エピスコパル・アカデミー礼拝堂』や『ベス・エル・シナゴーグ』にまで一貫してゆく主題となる。そして小屋と装飾の分離という思想は、コールハースやゲーリーにまで受け継がれてゆくことになると考えてよい。粗雑な整理になってしまったが、ヴェンチューリをポストモダニズムとして切り捨てるのではなく、コンテクスチュアリズムに接続しながら、建築が建築たりうる条件を策定しようと尽力した人物として見直さなくてはならないだろう。

シアトル市立美術館の内観
シアトル市立美術館 1991©Joe Mabel, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

mess is more / more is a bore

最後に、ヴェンチューリの至極の名言を幾つか紹介したい。彼は、《less is a bore》以外にもいくつも警句を並べている。まず第一に、《mess is more》。純粋なものではなく、様々なものが混じり合った乱雑さをよしとする言葉である。第二に《more is a bore》。こちらはあまり知られていないが、競い合うように互い誇張する現代の時代を批判したものである。ヴェンチューリにおける《more is a bore》の側面をきちんと見直さなくてはならない。

私たちを取り巻く環境は、混じりけのない純粋なものではなく、日常性と非日常性の双方を育み、豊かなものとなりうるのです。それは、統一性第一の普遍的な環境となるべきではなく、敢えて言うなら、乱雑さをも良しとする(mess is more)多様性あふれる環境とすることなのです(p52)

ヴェンチューリ『建築のイコノグラフィーとエレクトロニクス』

六〇年代に、「少ないことはつまらない(less is a bore)」といったのは他ならぬこの私であり、それが今や「多すぎるもの退屈(moer is a bore)」かもしれぬと訝っているとは。恐らく、私は誇大なものを作るのが嫌いではあるまい、だがそうであるのは、それが仕事として適正であるときのみだ(p228)

ヴェンチューリ『建築のイコノグラフィーとエレクトロニクス』
著作

ロバート・ヴェンチューリの著作おすすめの書籍や作品集など

ロバート・ヴェンチューリを知りたいひとへ。ヴェンチューリの建築の場合、作品より先に理論を見た方がよい。『建築の多様性と対立性』、『ラスベガス』が必読だろう。ヴェンチューリの作品集としては『建築とデコラティブアーツ:ナイーブな建築家の二人旅』がお勧めである。作品と解説がまとまったものとして、磯崎新の『建築の解体』をお勧めする。

おすすめの作品集

01

『建築とデコラティブアーツ:ナイーブな建築家の二人旅』

日本で開催されたヴェンチューリ展を記念して企画出版されたもの。1990年にヴェンチューリとスコット・ブラウンは1990年に初めて日本に訪れるが、日本の印象を語ったエッセイは必読である。「東京のカオスをもたらしているのは、スケール、形態、シンボル、そしてリズムの洪水なのだ(p16)。作品集としても網羅的であり、主要な作品が所収されているのでお勧めである。

02

『GA No.39 〈ヴェンチューリ&ローチ〉』

『母の家(ヴァナ・ヴェンチューリ邸)』『ブラント邸(コネチカットの家)』『タッカー邸』の三作品が豊富な写真と共に解説されている。ヴェンチューリの初期の住宅作品は居心地のよさそうなものが多く感心する。とりわけ『タッカー邸』の内部空間の豊潤さから学ぶべきものは多い。また、ポール・ゴールドバーガーの解説は綺麗にまとまっているので、機会があれば手に取りたい一冊である。

03

『a+u (エーアンドユー) 建築と都市 1992年05月号』

ここでは、ヴェンチューリの『ナショナル・ギャラリー・セインズベリー館』が細かく特集されている。マーク・リンダーの論考では、ヴェンチューリとスコット・ブラウン態度と哲学者リチャード・ローティーの態度が類似していることが指摘されていて興味深いし、建築そのものの分析も鋭い。ヴェンチューリの建築が単なるコンテクスチュアリズムに陥るのではなく、「逆に周辺の状況も、ヴェンチューリの柱が置かれたことで重要な変化をきたしている(p19)という指摘は、建築と環境の解釈学的循環を考えるうえで重要になるに違いない。『ナショナル・ギャラリー・セインズベリー館』に絞って知りたい方にはお勧めの一冊。

04

『母の家:ヴェンチュ-リのデザインの進化を追跡する』

フレデリック・シュワルツの著作。入手困難で未読のため、読んだら追記する。

05

『a+u 1981年12月臨時増刊 ロバート・ヴェンチューリ作品集』

入手困難で未読のため、読んだら追記する。

ヴェンチューリ本人のおすすめの著書3選

01

『建築の多様性と対立性』

まず読まなくてはならないのは、1966年の『建築の多様性と対立性』である。「私は建築における多様性と対立性を好む(p33)という一文からはじめられる当書では、モダニズムの高貴な純粋主義的に対して、建築における多様性と対立性を重視する視点への価値変換を企てられた。多岐にわたる歴史的な建築の事例から、多様性と対立性を切り出してゆく手際は圧巻であり、建築を学ぶ者は必ず読まなくてはならない。ミースを批判した《Less is a Bore》という言葉はあまりに有名である。(詳細な解説はこちら↗︎

02

『ラスベガス』

1972年の『Learning From Las Vega』をもとにしてコンパクトにまとめられた改訂版。既存のランドスケープから学ぶことが主張され、従来において俗悪と退けられていたラスベガスを分析することで、建築における象徴主義を救出した著作。当書の後半では、近代建築をあひると批判しながら、装飾された小屋の可能性を主張される。堂々として独創的な建築ではなくて、醜くて平凡な建築を賞賛するアイロニーは知性に裏付けされている。「アイロニーは、複雑な社会における建築の多様な価値を調整、統合したり、建築家とクライアントの間の価値の相違を融合させる時に、有効な手段となる」(p213)という一文は印象的である。前作の『建築の多様性と対立性』と併せて読むべき一冊。(詳細な解説はこちら↗︎

03

『建築のイコノグラフィーとエレクトロニクス』

ヴェンチューリの三作目の著作である。1980年代から90年代にわたる講演や雑誌の原稿などを一冊にまとめた者であり、前二作に比べてヴェンチューリの実務的な側面や、人間らしい葛藤が垣間見える。アアルトやカーンに対する感情、ローマを訪れたときの素直な感動、日本の風景への鋭い批評、自作についての解説、など多岐にわたって綴られる文章は魅力的であり、時代に翻弄されながらも常に批判的なスタンスを取り続けようとするヴェンチューリの態度には気づかされることが多い。題名にそぐわず、イコノグラフィーとエレクトロニクスが主題の著作とは言い難く、随筆集のようなものだということに注意されたい。

その他おすすめの書籍、2選

01

『ロバート・ヴェンチューリとデニス・スコット・ブラウンから学ぶもの』

OMAの重松象平がヴェンチューリとスコット・ブラウンにインタビューをしている。二人の生い立ちや影響を受けたもの、指導と設計と執筆という三本の柱から成立する「トロイカ」と呼ばれる体制を取っていたこと、コールハースやモーフォシスへの評価、そして『エピスコパル・アカデミー礼拝堂』や『ベス・エル・シナゴーグ』などの最新プロジェクト、若い建築家へのメッセージまで。ヴェンチューリの息遣いが感じられるインタビューは一読の価値あり。

02

『建築の解体:一九六八年の建築情況』

言わずと知れた磯崎新の著作。1960年代の建築の多様化してゆく建築の情況が整理されている。7組の建築家が紹介されてゆくが、そのなかにヴェンチューリの姿も見られる。磯崎は「作品をデザインするということが、彼に取ってはひとつの批評的行為となっている」(p208)と評価しながら、ヴェンチューリのアイロニーの側面に光をあてる。同時代の建築家と並べることによって、ヴェンチューリの作家性なき作家性が浮上する。是非一読されたい。