戦間期の国際建築 ケン・タダシ・オオシマ / 2025
日本のモダニズムを牽引した3人の建築家。
模倣ではない翻訳作業
当書は、2009年にワシントン大学プレスから出版された『International Architecture in Interwar Japan』というケン・タダシ・オオシマの本を、田中厚子が邦訳したものであり、第一次世界大戦の終結から第二次世界大戦の開始まで、いわゆる《戦間期》の日本建築にスポットライトを当てた一冊である。とりわけ当書の主人公は、山田守、堀口捨己、アントニン・レーモンドの3人である。1920年頃から頭角をあらわしはじめる3人の建築家は、当時の欧米の建築に影響を受けつつも、単なる模倣にとどまることなく、各々のやり方で欧米の建築を日本へと翻訳して持ち込み、新しい表現を模索した。
翻訳作業の創造性
山田守、堀口捨己、レーモンドの3人を並べることで浮上してくるのは、西洋の建築を翻訳する作業のなかで「国際的なもの」が立ちのぼってゆく様子である。著者は翻訳の意味をこう述べる。「翻訳とは芸術性と主体性の両方を伴う作業であり、異なる文化的文脈と言語構造の中で伝達することを意図した創造的な行為である
」(p18)。なるほど、この3人の建築家は、アメリカやヨーロッパのインターナショナル・スタイルの建築に学びながら、日本においてそれを自分なりの創造行為へと転換した人物として読み替えられている。だからこそ、彼らの建築はインターナショナルな普遍性と特殊性の両面を備えている。この両面を切り捨てることなく分析して見せることが当書の狙いであり、どちらか一方の項がが過度に強調され、天秤が大きく傾くことがないのが魅力である。
アントニン・レーモンド、山田守、堀口捨己を並べること。
三者三様の建築
3人の建築家は三者三様の作風を持っている。チェコに生まれ、ライトの影響下の中で日本にわたり、日本に即したコンクリートや木の使い方を試作したアントニン・レーモンド。日本の地方都市に生まれ、1920年に分離派建築会を創設した山田守と堀口捨己。山田はメンデルゾーンに影響を受けながら、有機的な曲線の表現を捨てることなく、生活に応じた合理性を探究し、堀口はオランダやバウハウスやの建築に影響を受け、構成という視点を持って茶室などの日本建築の分析に向かう。彼らの建築の表現は似ても似つかない。ただ、それでいて彼らを並べることで浮かび上がる国際的なものがある。それは、個々の表現の差異を超えた、より広い意味で普遍的な「インターナショナルなもの」である。
ニュー・インターナショナルスタイル
3人の建築を並べることで見えてくる「インターナショナルなもの」は、1932年にヒッチコックとジョンソンが述べた「インターナショナル・スタイル」では掴み取れないものである。ヒッチコックらの分析は、単なる美学的な形態の分析に過ぎず、事例の寄せ集めに過ぎなかった。確かに、そうしたフォルマリズムが一つの美学様式であり、強い影響を与えたことは間違いないだろう。ただ、そのインターナショナル・スタイルが日本あるいはその他の場所へ散種されるとき、そして各個人に散種されるとき、見たことのない国際的なものが生まれてくる。いわば、インターナショナル・スタイル以後のインターナショナル・スタイル。その浮かび上がる全体を、「ニュー・インターナショナルスタイル」とでも勝手に呼ぶならば、当書はその勘所を確かに押さえている。
浮上してくる日本のモダニズム
たとえば、レーモンドの濱尾邸、山田の鶴見邸、堀口の双鐘居を並べることで見えてくる和洋折衷のあり方。霊南坂の自邸、鶴見亭、吉川邸を並べることで見えてくるコンクリートのあり方。赤星鉄馬邸、山田の自邸、岡田邸を並べることで見えてくるメディアのあり方。東京女子大学、東京中央電信局、平和記念東京博覧会パビリオンを並べることで見えてくる都市のあり方。東京ゴルフ倶楽部、東京逓信病院、大島測候所を並べることで見えてくる近代のあり方…。それらのあり方は、西洋の建築に影響を受けながらも、それを自分ごととして翻訳しようとする三人の建築家の意志によって生まれる、地域性や個性を打ち捨てることのない、それでいて普遍的なニュー・インターナショナルな表現なのである。
このような日本のモダニズムの整理はなかなか興味深い。インターナショナルであることと、ローカルであること、この二層が分離している現在、その両者を切り捨てないままに結びつける方法を学ぶ方法を身につけるために、日本のモダニズムを再考することは意味があるだろう。図版も豊富で魅力的であるため、ぜひお勧めしたい一冊である。
建築における翻訳者の使命
翻訳という表現形式。
国際建築は、単に文章を翻訳しただけではなく、アイデアやイメージ、建築家自身の体験、そして建物の構造やデザインがどのように特定の土地や地域と関わるかということまで含めて、さまざまな『翻訳』を通じて生まれた(p3)。
ケン・タダシ・オオシマ『戦間期の国際建築』
(強調筆者)
翻訳とは表現である
当書を読んでいて感じるのは、「翻訳」という言葉が多用されていることである。先ほども引用したが、「翻訳とは芸術性と主体性の両方を伴う作業であり、異なる文化的文脈と言語構造の中で伝達することを意図した創造的な行為である
」(p18)という箇所が特に重要である。なぜなら、オオシマは、翻訳を単なる原文の転写ではなく、多文化のぶつかり合いによる主体的な表現として見ているからである。
完璧な翻訳は不可能である
表現である以上、翻訳はうまくいくばかりではない。「この『翻訳』という作業は、時にうまくいくこともあるが、多くの場合は選択が必要であり、誤認、奇妙な適用、共感に基づく創造的な応用などの問題を含んでいた
」(p14)。完全な翻訳の不可能性。だからこそ、翻訳者は完全な翻訳を狙うという、ある種の純粋さをめざすのが興味深い。
翻訳は模倣や創作ではない
さて、日本のモダニズムがはじまるとき、西洋の建築をありのままを表現するのではなく、西洋の建築の翻訳が必要であった。その翻訳の中で日本のモダニズムが花開く。それは、擬洋風建築のような模倣とは異なるし、未知なる建築の樹立といった創作とも異なる代物である。では一体、翻訳とはなにか? 翻訳としての建築論など可能なのか?
ベンヤミンにおける翻訳者の使命。
参考になるのは、ベンヤミンが1923年に発表した『翻訳者の使命』というテクストである。そこでは、翻訳が単にある原作を別の言語に訳すものではなく、むしろ、翻訳者がいくら厳密に原作を翻訳したとしても翻訳できないもの、すなわち原作における《翻訳不可能なもの》こそが本質だと述べられている。そもそも翻訳とは、原作と別の言語で原作を扱うことであり、原作とまったく同じものを提示することなど不可能である。それでいて、その決して届かない原作の《翻訳不可能なもの》に到達しようと目指すとき、ある種の言語への憧れが見出される。ある原作が、たとえどの言語に翻訳されようとも、ある一つの《翻訳不可能なもの》がない地点が志向されているのだ。その志向される言語領域こそが、ベンヤミンが《純粋言語》と呼ぶものである。この純粋言語を志向することにおいて、翻訳者の翻訳と詩人の創作は区別される。
翻訳者の使命は、翻訳の言語への志向、翻訳の言語のなかに原作の谺を呼び覚ますあの思考を見出すことにある。この点に、創作とはまったく異なる翻訳の特徴がある。(中略)しかし翻訳は、創作とは違っていわば言語そのものの奥深い森のなかにあるのではない。翻訳はこの森の外部にあって、この森に対峙し、そしてこの森に足を踏み入れることなしに、そのつど翻訳の言語自身のなかの谺が他言語で書かれた作品の反響を響かせうる唯一無二の場所に立って、原作を呼び込むのだ。(p401)。
ヴァルター・ベンヤミン「翻訳者の使命」
『ベンヤミン・コレクション2』所収
(強調筆者)
詩人の創作が、ある言語の森へと踏み込んでゆくことを思考するならば、翻訳者の翻訳は、ある言語の森の外側に立ちながら、その森のなかの《翻訳不可能なもの》のない地点をめざすものである。翻訳者によって志向される地点、すなわち《純粋言語》は、たとえある一つの原作が複数の言語へと翻訳されようとも同じものである。このような意味において、翻訳者の仕事は特殊であり、「多数の言語をあの一つの真なる言語へと統合するという壮大のモティーフが、彼の仕事を満たしている
」(p402)。それを踏まえたうえで、ベンヤミンは翻訳者の使命をこうまとめる。「異質な言語の内部に呪縛されているあの純粋言語をみずからの言語のなかで救済すること、作品のなかに囚われている物を言語置換のなかで解放することが、翻訳者の使命にほかならない
」(p402)。さて、私の読みが正しければ、ベンヤミンは以上のようなことを論じている。さて、このベンヤミンの翻訳理論を建築に応用してみよう。
ニュー・インターナショナルスタイルと翻訳の関連性。
純粋建築をめざす国際様式
先ほど、西洋の建築を翻訳した日本のモダニズムの動向において、どこか新しい国際的なものが生まれていることを指摘し、それに「ニュー・インターナショナルスタイル」と名前を付けた。いま、ベンヤミンの翻訳理論の流れを確認し、ニュー・インターナショナルスタイルの性格が明らかになりつつある。それは、インターナショナルスタイルの建築を他言語へと厳密に翻訳しようとするとき、その翻訳の不可能性に目を背けることのなかった者によって、《翻訳不可能なもの》なもののない地点、すなわち《純粋建築》なるものが目指されるということである。ここにこそ、新しい国際様式がある。
建築に内在する純粋性と建築に外在する純粋性
それは、詩人であるコルビュジエのめざした建築という言語の森を踏み込んでゆくような純粋性とは異なり、多数の言語にまたがることのできる、翻訳者だけに固有な事後的な純粋性なのである。前者は建築に内在する純粋性、後者は建築に外在する純粋性である。そして、ジャッドが賞賛し、ヴェンチューリが批判したモダニズムの純粋性は、建築に内在する純粋性だけだと言うことに注意しよう。ヴェンチューリが批判したように、建築に内在する純粋性は他者を排除してしまう。しかしながら、建築に外在する純粋性は他者を排除しない。なぜなら、その純粋性をめざすことは、翻訳不可能な他者性に向き合うことだから。我々は、建築家を一人の詩人のように見ることに慣れている。しかしながら、もし建築家を一人の翻訳者として見るならば、そこにだけ志向される普遍性を語れるはずである。それは、地域性などに回収されるものではない国際的なものである。
《純粋建築》をめざして。
ベンヤミンに従えば、翻訳者としての建築家は、みずからの固有な言語のなかで、《純粋建築》が救済することをめざす使命を抱えていると言える。そのためには、原作に対して忠実かつ自由でなくてはならない。ここでいう忠実と自由とは、原作をそのままに自らの言語へと置き換えることではない。そうではなく、原作にある《翻訳不可能なもの》を認めながら、その《翻訳不可能なもの》をどうにかしたいと粘り強く戦うことで、みずからの言語の自由のなかで、《純粋建築》の尻尾を掴もうとすることである。これこそ、ニュー・インターナショナルスタイルの性格なのであり、模倣との決定的な違いである。とりわけ、もともと建築という概念がなかった日本という島国において、建築は西洋から輸入されるしかなかった。《architcture》の訳語などなく、みずからの言語に翻訳するしかなかった。しかも、西洋とは地理的に海で切り離され、ラテン語の伝統すらない。だからこそ、日本は翻訳の問題規制が鋭く立ち現われる場所なのである。日本において、建築家とは翻訳者であった。だからこそ新しい表現が生まれているのだ。当書は、戦間期の国際建築の分析を通して、それを見事に実証している。
翻訳者としての建築家の歴史。
そう考えてみると、日本の建築はいつも一歩遅れをとっていて、だからこその新しい国際様式が浮上してくる場所となっている。たとえば、戦間期の国際建築に限らず、安藤忠雄がコルビュジエを徹底的に翻訳したことは有名だろう。その結果、安藤は《純粋建築》への足がかりを掴んでいるのは間違いない。この翻訳理論をもっとラディカルに徹底するならば、日本に限らず、翻訳者としての建築家像の歴史を描けるかもしれない。たとえば、ルネサンス期の建築家は古典古代時代の建築の翻訳者であった。エコール・デ・ボザールの建築家は古典古代の翻訳者であった。そして、ル・コルビジュジエは工学機械を建築へと翻訳したとさえいえないだろうか? それも忠実かつ自由に!!翻訳はまた翻訳され、《純粋建築》だけが幽霊のように浮かびあがっては消えてゆく。ニュー・インターナショナルスタイルは翻訳が行われるたびに歌われる。
最後に、忠実かつ自由な翻訳作業によって浮上するニュー・インターナショナルスタイルが他者性を排除しないことを強く強調しておきたい。当然、ベンヤミンの翻訳論を展開したデリダにまで話を繋げることで深みを増すだろう。ここでは詳細は省くが、デリダの『他者の単一言使用』に書かれた印象的な言葉を添えておくことにしよう。「私はしたがって、あまり純粋ではない純粋性を打ち明けていることになる。問題になっているのは、純正語法主義などではまったくない。少なくともそれは唯一の不純なる『純粋性』であり、それへの嗜好を私は敢えて告白しているのだ
」(p108)。些細な箇所だが、純粋性を希求したモダニズム、純粋性を否定したポストモダニズム以後の道標となるだろう。
さて、メモはこのくらいにしよう。『戦間期の国際建築』を題材に、散種されたモダニズムがたどる道筋を、ベンヤミンの翻訳論と簡単に絡めて考察してみた。もし建築を翻訳論と結びつけるならば、翻訳論の持つ芳醇な他者性の問題を建築に持ち込むことが出来るだろう。ともかく、ケン・タダシ・オオシマの『戦間期の国際建築』はこのような問題提起を実証的に研究してみせた一冊である。図版も多くて楽しい。ぜひ、一読して欲しい。
