モダン・デザインの展開:モリスからグロピウスまで ニコラス・ペヴスナー/ 1936
モダン・ムーブメントに歴史的正統性を与えた一冊。
当書は、ペヴスナーが1936年に描いたモダン・デザインの歴史であり、近代建築を歴史のなかに位置付けることに成功した名著である。この本が書かれた1936年において、近代建築をはじめとするモダン・ムーブメントは現われたばかりの前衛でしかなく、歴史的な正当性を欠いていた。そこに対して、ペヴスナーはモダン・デザインの成立に3つの歴史的な原因を与えた。「近代運動とは、モリスの運動と鋼鉄建築の発達とアール・ヌーヴォーとの結合された結果である、と理解することが肝要である」
(p94)と。ペヴスナーは通史を描いたのではなく、近代建築がいかにして成立したのかを問い、それに歴史をもって明快に答えたのである。では、要点を整理してみよう。
モリスからグロピウスまでをつなぐ線をひく。
これから後の章の主な目的は、この新様式、すなわち純粋な正統の今世紀の様式が、一九一四年までに成立したことを指摘することにある。モリスは、手工芸を復活せしめ、それを最も優れた人物の努力に価する芸術とすることによって、この運動を出発させ、一九〇〇年頃の先覚者たちは、機械芸術の巨大な未曾有の可能性を発見することによってさらに前進した。そして、理論においても、創作においても、以上の運動の綜合されたのが、ヴァルター・グロピウス(一八八三年生れ)の業績なのである(p28)
ニコラス・ペヴスナー『モダン・デザインの展開:モリスからグロピウスまで』
(強調筆者)
①ウィリアム・モリスを近代運動の父に据える
以上の引用が分かりやすいが、ペヴスナーは1914年を一区切りにする。推測すると、第一次世界大戦が開戦した印象的な年を一つの区切りにしたかったのである。さて、1941年に出版されたギーディオンの『空間・時間・建築』が技術的な視点で建築史を扱ったのに対して、ペヴスナーの本はウィリアム・モリスという近代の生産方式を嫌悪し、中世の手工業への回帰をもとめた人物を「近代運動の父」(p10)に据えたのが特徴的である。モリスは、産業革命以降の機械生産によって粗悪なものが溢れている事態を自覚し、芸術なるものをしかと見据えてその時代の産物に疑いの目を向け、装飾の正直さを復興しようとした。その倫理的な眼こそが、近代運動のはじまりだとされる。
②アール・ヌーヴォーの過去からの脱却
モリスは英国でアーツ・アンド・クラフツ運動を牽引した。他方で、大陸ではアール・ヌーヴォーが流行する。ペヴスナーは両者の共通する点と異なる点を明確に分析してゆく。「英国におけるアーツ・アンド・クラフツ運動の役目と、大陸におけるアール・ヌーヴォーの役目とが、大いに同じであったということは、全く注目すべきことなのだ。この二つは、共に歴史主義と近代運動の『過渡的現象』なのである
」(p72)。英国は伝統を重んじる国民性であったから、植物のような曲線の装飾を欲しいがままにしたアール・ヌーヴォーとは性格が少し異なる。ただ、アール・ヌーヴォーは鉄という新材料を使用しながら、過去のいかなる時代を模倣することも、あるいはいかなる過去の時代からインスピレーションを受けることも拒絶した点において、モリスの保守的な性格を飛び越えた近代運動の先駆けとなった。
③19世紀の工学技術の発展
アーツ・アンド・クラフツ運動、アール・ヌーヴォーのほかに、19世紀の工学技術も近代運動を展開させる原因となる。鉄や鉄筋コンクリートが大きく使われはじめるまでの歴史が描かれる。しかしながら、「技術者はみずからの身も心も震うような新発見に、あまりに夢中になり過ぎて、その身辺に積み重なりつつあった社会的不満に気づかず、モリスの警めの声にも耳をかそうとしなかった。この対立のために、19世紀の建築と芸術における二つの主な傾向は、力を合わせることができなかった。アーツ・アンド・クラフツは回顧的態度を保ち、技術者は技術者として芸術に無関心であった
」(p94)と判定される。工学技術と、アーツ・アンド・クラフツとアール・ヌーヴォーが合流したとき、近代建築が生まれる。
④グロピウスという最高到達地点
こうして、当書はクライマックスのグロピウスに向けて走り出す。英国ではC.F.A.ヴォイジーやチャールズ・レニー・マッキントッシュが活躍するものの、それは新様式には結びつかない。「大陸の建築家たちが、未来のための真の様式の要素を、英国の建築と英国の工芸に発見したその瞬間に、英国自身は、折衷的な新古典主義へと退いた
」(p111)と評価される。つまり、英国は近代運動に素材を提供したが、近代運動の震源地とはならなかったというのである。
近代運動の震源地となったのは、アメリカ、フランス、ドイツである。フランスではペレとガルニエ、アメリカではサリヴァンとライト、ドイツではベーレンスやミースに紙面が割かれる。ただ、最後のクライマックスは副題にあるとおり『ファグス靴工場』の設計で知られるヴァルター・グロピウスである。「彼は、その最初の建物から、すでに現世紀の様式を完全に示し、全く今日の精神を代表しているのである
」(p130)。その後、グロピウスの鉄とガラスに対する取り扱いが絶賛されて、本は閉じられる。
近代運動の福音書として。
ペヴスナーがこうした歴史を描くことによって、モリスからグロピウスが一本の線で紡がれ、近代運動に歴史的な土台が与えらえる。いまやグロピウスは、「ラスキンとモリスの後継者であり、ヴァン・デ・ヴェルデの後を追い、ヴェルクブントの後をおう後継者
」(p28)として輝いて見えてくる。英国からはじまりドイツにて完成する近代運動という一本の線はあまりに美しく、その美しさから当書は近代運動の福音書として扱われたことは、よくもわるくも建築史家の功績として着目されるべきだろう。掲載された図版も綺麗で、建築に限らず絵画への言及もあり、分かりやすい。近代運動を知るためには必読の一冊である。
歴史の演出家としての編集力
建築史をデザインするということ。
一八九〇年から第一次世界戦争までの芸術論の歴史は、それが、今日の作品の基礎をなす主張に外ならぬことを、証明する。いわば、モリスからグロピウスまでの期間は、歴史的には、一単位なのである。モリスが近代様式の基礎を置き、グロピウスに至って、その性格が終局的に決定されたのである(p28)。
ニコラス・ペヴスナー『モダン・デザインの展開:モリスからグロピウスまで』
あまりに美しい一本の線
モリスからグロピウスまでを一本の線でつなぐこと。 ペヴスナーの描いた線があまりに直線的であることを見逃してはならない。つまり、その線は極めて恣意的に結ばれ、上に引用した結論に向かって走るばかりである。ペヴスナーがもたらしたのは、混迷する近代デザインの世界に一つの決定的な秩序を与える、研ぎ澄まされた論理の道筋であった。なるほど、当書をひらくとモリスからグロピウスが滑らかに結ばれる。しかしながら、われわれが真に目をむけるべきは、記述された歴史の客観性ではない。そうではなく、膨大な過去の断片を、ある一つの目的に向けて強引なまでに再編・統合しようとする、冷徹で力強い編集の意志である。
デザイナーとしての建築史家
ペヴスナーは単に歴史を記述したのではなく、みずからが理想とするモダニズムの正統性を証明するために、歴史そのものをデザインした。ペヴスナーは、建築史を現実の社会問題と切り離された作品の集積として描きたくないというブルクハルトゆずりの気概を持ち合わせながらも、美術作品のみに着目した純粋な美術史を描くヴェルフリンゆずりの能力を持っていた。そこで、社会的な側面に真摯に向き合ったモリスを、敢えて近代運動の起源に据えてみせた。ペヴスナーはヴェルフリン式の方法でモリスとモリス以前の作品を比較してこう述べる。「モリスのデザインは真面目であり、一八五一年の肩掛は色々なモティーフをきたならしく絡ませただけである
」(p38)。しかしながら、一見するときたならしいバロックを、比較という手法によって救出したのがヴェルフリンではなかったか? モリス以前のデザインを悪くて下品だと断罪するのは歴史家の行き過ぎではないだろうか?
歴史を演出するモダニズム的態度
つまり、ペヴスナーはみずからが描く建築史のなかにデザインのよしあしを自覚的に忍ばせているのであり、ペヴスナーの建築史は彼の主観のまじった力強い解釈なのである。英国では1914年にジェフリー・スコットが『人間主義の建築』を著し、ラスキンやモリスを倫理的視点から評価する危険性を指摘したばかりにもかかわらず、ペヴスナーはその制止の柵を乗り越えて危険な場所にまで足を伸ばす。いわば、ヴェルフリンが教えた形式を分析するための冷徹な眼を、モリスから生まれたモダニズムという物語を演出するための道具へと転用したのである。
ペヴスナーはその力強い筆致を悪用し、バラバラに点在していた過去の事象の群れを、抗いようのない必然の歴史と言えるまでに、美しく連続する一本の線へと閉じこめる誘惑に身を委ねてしまった。この全体性への渇望こそが、まさにモダニズムに通底する態度そのものであり、このモダニズム的態度こそが、本書を単なる美術史の枠を超え、近代という時代を規定する強力なマニフェストへと押しあげた力の源泉なのである。歴史を一つの理想としてデザインするという点において、建築史家は建築家にも匹敵する力をもつ。しかも、それがあたかも客観的な必然として導かれたかのような格好で編集してみせる。だから、当書はモダニズムの福音書などではなく、モダニストの作品とすら言える危険な代物なのである。
三本の支流という補助線。
ペヴスナーの編集術の真髄は、互いに矛盾し、ときには反発し合う三つの異なる歴史的潮流を、ヴァルター・グロピウスという一点へと集約させたその手腕にある。たとえてみるならば、ウィリアム・モリスという「倫理」、アール・ヌーヴォーという「意思」、工学技術という「骨格」。この三つが統合されたときに、近代運動の強固な土台が完成するという物語が紡がれたのである。
ウィリアムモリスの「倫理」
第一の支流では、ウィリアム・モリスを「近代の父」と定義する奇妙な逆説において、ペヴスナーは、かつての中世の石工たちが抱いた無名の献身のなかに、大量生産時代が失った精神的な救いを見出していた。というのは、当書には中世とモダニズムを強引に重ね合わせる記述が散見されるからである。たとえば、少し長いが以下の引用がわかりやすい。
美術史家は、「初期ゴシック」が調和のとれた完成を示す前に、過渡期にあったという。ロマネスク建築が英国全土にぐずついていた間にも、センズのウィリアムやウェルズとリンカーンの棟梁たちは、来るべき様式の先駆としての不朽の価値ある作品を、生みだしていた。彼らが十二世紀末において、英国のためになし遂げたことが、二十世紀のはじめでは、モリスとその後継者―ヴォイジー、ヴァン・デ・ヴェルデ、マキントッシュ、ライト、ロース、ベーレンス、グロピウス、その他の建築家と芸術家たち―によってなし遂げられたのだ。(p28)。
ニコラス・ペヴスナー『モダン・デザインの展開:モリスからグロピウスまで』
(強調筆者)
この引用箇所は、改訂版のさいに変更が加えられるのだが、一旦そのことは棚にあげる。ここで持ち込まれたのは、建築史を個人の意志を超えた形式の発展、いわば人名なしの必然的な様式発展史として捉える客観的なフレームワークであった。重要なのは、各個人の功績ではなく、それらが全体として新しい様式を生み出す相貌である。ペヴスナーが十二世紀の棟梁とグロピウスを重ねるのは、両者が共に、個人の気紛れな署名(エゴ)よりも、必然的な歴史の要請に従っていると見たからである。
ペヴスナーは、1889年のパリ国際博覧会の機械館の設計者があまり知られていないことを取りあげてこう語る。「無名という健全な状態は、中世の建物ではもちろんのことであったのだが、建築においては、まずルネサンスのせいで失われ、次いでは、芸術家一般と芸術家個々の天才に対するロマンテックな概念のせいで失われた
」(p89)。ペヴスナーの歴史観においては「無名」こそが健全な状態であり、個人名を売り出そうとする行為は不健全であった。この意味においてモリスやグロピウスは「健全」な存在として演出される。彼らは個を歌い上げるよりも、中世の職人たちのごとく、全体の秩序のなかに自らを消去することに寛容であった。
ペヴスナーの編集術が残酷なのは、ヴェルフリン的な冷徹で中性的な分析を、モリス的な熱い倫理の正当化のために転用した点にある。近代運動の起源にモリスを置くという確信犯的な仕掛けによって、様式の変遷そのものに、現代社会を救済するための道徳という倫理的な意味付けを施した。さらに、モリスを起源に据えることで、中世という過去の形式を近代の機能主義にオーバーレイさせる構図を仕組んだのである。この緻密に計算された編集術によって、近代建築は個人の表現という不安定な地平から逃れ、正統な歴史の必然的な流れとして演出された。まるでロマネスクの後にゴシックがくるのが必然かのように…。
アール・ヌーヴォーの「意思」
モリスの次に持ち出されるのが、大陸のアール・ヌーヴォーである。過去の様式からの脱却を試みたその装飾的な曲線は、ペヴスナーの目には、新しい時代を希求するがゆえの過渡期の身悶えとして映った。ペヴスナーはアール・ヌーヴォーの装飾性そのものは否定しながらも、そこにある過去の様式を拒絶するという純粋な意志だけを鮮やかに抽出し、モリスの次の章に挟みこむ。これにより、モリスが与えた倫理的な方向をそのままに、過去を断ち切る強力な推進力を加えてみせたのである。この仕掛けの効果は絶大で、モリスの保守的な印象は払拭され、なにか新しいことが起きているという印象を読者に与える。紹介される新しい近代絵画たちも、新しいことが起きそうという期待感をモリスに吹きこむ効果をもつ。
技術という名の「骨格」
そして最後に、モリスの倫理とアール・ヌーヴォーの意志に物理的な肉体を与えるため、一九世紀のエンジニアたちがもたらした工学技術という名の骨格が提供される。『水晶宮』に代表される鉄とガラスの構造体。それらは当初、美学とは無縁な場所で生まれた非芸術であった。ペヴスナーはこの名もなきエンジニアたちの合理性を、中世の石工が持っていた無名の誠実さと重ね合わせ、それを近代建築がまとうべき骨として描きだした。ここでもやはり、個が消去された無名の合理性こそが、近代運動を支える健全な骨組みとして称揚されている。
グロピウスにおける合流
モリスの「倫理」、アール・ヌーヴォーの「意志」、エンジニアの「骨格」、これら三つの支流は、一九一四年にヴァルター・グロピウスという一点において、ついに結実する。ここにおけるグロピウスは個人の名前としてではなく、近代運動の象徴として論考の最後を飾ることになる。こうして、バラバラに存在していたはずの、社会に対する倫理、解放への欲求、そして技術的な解決、これらがグロピウスの具体的な建築のなかに美しく統合されたという物語が完結する。読者はこの鮮やかなエンディングを突きつけられたとき、そこに横たわる数々の矛盾や、あえて無視された他者の声に気づく余地を奪われてしまう。あまりに綺麗な一本の線は、その綺麗さゆえに正統な歴史、必然的な歴史のように振る舞いはじめる。デザイン史の古典として扱われるほど鮮やかな一本の線がここに生まれたのである。
歴史を編む暴力が排除する他者。
ペヴスナーvsコルビュジエ
溢れ落ちたコルビュジエ
ペヴスナーが描いたモリスからグロピウスへという流れるような一本の線。それは歴史の必然という呼べるほどに鮮やかであった。しかしながら、紡がれた一本の線を鮮やかに演出するため、その線から溢れ落ちるものは、歴史の正統性を汚す異物として丁寧に排除されていた。その最大の犠牲者こそ、ル・コルビュジエである。近代建築といえばコルビュジエというイメージが強いが、当書においてコルビュジエが徹底的に貶められている点は見逃すべきではない。たとえば以下のような記述をみてみよう。
彼は自著の中で、先覚者の一人であったかのごとく見せかけようと苦心しているが、彼は初代の先駆者たちの中には含まれない。(中略)何となれば、ル・コルビュジエは、一部は彼の立派な芸術的想像力にもよるが、一部はある種の自己宣伝にもよって、近代運動の創始者の一人かのごとく思われているからである(p119)。
ニコラス・ペヴスナー『モダン・デザインの展開:モリスからグロピウスまで』
(強調筆者)
コルビュジエへの感情の吐露
なぜ、ここまでコルビュジエが貶められているのか?当然、1914年までを描くというペヴスナーの歴史の限定性がコルビュジエを語りづらくしている部分はある。1914年において、コルビュジエは「ドミノ」住宅の研究を開始したばかりで、実作も小さな住宅程度しかなかった。とはいえ、わざわざコルビュジエが登場しないような年代を設定し、そのうえコルビュジエを詐欺師まがいの扱いをする必要がどこにあるのだろうか? この記述はその他の記述に比べて異様に感情的で不自然ではないだろうか? ここにこそ、冷静な歴史家としてのペヴスナーのうちなる感情が、意図せず漏れ出している部分なのではないだろうか?
歴史を編集する二人の演出家
ペヴスナーがコルビュジエを徹底的に黙殺した、あるいは歴史の主軸からはるか遠くへと追いやった理由は、単なる様式上の対立などではない。そうではなく、歴史をみずからの意図通りに再編しようとする演出家としての同族嫌悪があったからではないだろうか? 実のところ、歴史家としてのペヴスナーと、建築家としてのコルビュジエは、まったく同じ残酷な編集術を行使していたからである。
コルビュジエは『建築をめざして』において、パルテノン神殿や自動車の写真をみずからの理論を正当化するためにトリミングし、並びかえた。つまり、過去をみずからの作品を輝かせるための素材として編集したのである。このやり方は、ペヴスナーの編集術そのものである。ペヴスナーが膨大な過去の断片を人名なしの歴史へと編みあげたように、コルビュジエもまた、膨大な過去の断片をみずからのヒロイズムへと回収していった。両者は、歴史という素材をみずからの色に染め上げる確信犯的な共犯者であったのだ。ただ、歴史家と建築家という立場の違いを除いて…。
無名vs個人
歴史家であるペヴスナーにとって、歴史が必然的に流れているという客観的な態度はとても重要であった。歴史家であるという肩書きは、みずからの恣意的な編集を隠蔽し、客観性を装うための最大の演出用の小道具であった。ペヴスナーは「私はただ歴史の声を聞いているだけだ」というポーズをとりながら、その実、自分の無名の健全さという倫理観に合致しない要素を静かに検閲していた。他方で、建築家であるコルビュジエは、その編集の暴力を隠そうともせず、むしろみずからの署名(エゴ)として突きつけた。コルビュジエはゴシックを大胆に切り捨てる。ペヴスナーにとってのコルビュジエは、自身の構築したモリス的な道徳物語を粉砕しかねない脅威的なライバルであり、またそれと同時に、みずからと同じ編集という暴力を、より直感的に、より天才的に振るう鏡合わせの自分でもあったのだ。
演出家としての嫉妬
ペヴスナーによるコルビュジエの黙殺。それは、演出家としての席を争うものへの、根源的な嫉妬にほかならない。自分と同じ武器を手にしながら、自分とは正反対の不健全な個を謳歌し、歴史を軽やかに編集していくコルビュジエの姿は、あまりに疎ましく、そして何より自身に似すぎていた。しかも、建築家である彼は歴史家とは違って、客観的な冷静さをともなわずして、自由かつ詩的に歴史を編集することを許されていたのだ。そこで、ペヴスナーは、みずからが完成させた近代の理想像を守り抜くために、自分と鏡合わせの存在であるコルビュジエという憎き他者を排除し、歴史の暗部へと放逐する決断をとらざるを得なかった。憎しみはナルシシズムの裏返しなのだから…。
閉ざされた劇場の瓦解。
ワトキンの外側からの一撃
相反する共犯者
ペヴスナーとコルビュジエ。この二人の天才演出家が、歴史という広大な素材を奪い合い、みずからの物語を完成させようとした閉ざされた劇場がそこにはあった。彼らは、歴史を編集することによって正統な歴史を捏造し、みずからの主張を正統な歴史のなかに位置付けることに苦心した。ペヴスナーは歴史家として客観的に歴史を紡ぎ、コルビュジエは建築家として主観的に歴史を紡ぐ。ただ両者は、同様の編集術をもち、みずからの手で歴史をつくりあげ、みずからの主張に合わないものを排除するという点で共通のモダニスト的態度を持っている。いわば、二人は相反する共犯者なのである。
多様な暴力のかたち
ギーディオンはコルビジュエと共闘して同じビジョンを描いたが、ペヴスナーはコルビュジエは違うビジョンを描きながらも同じ手法をとっていた。ここに暴力的なモダニズムの態度というものが、いかに多様なかたちを持ちうるかが垣間みえる。モダニズムとは、みずからの文脈に合わないものを排除して一つの物語を描こうとする力なのであり、その力を行使するものは意図せずして共犯者となってしまう。当然、歴史をデザインするということにはそれ相応の危険がともなうことを忘れる訳にはいかない。というのは、純粋さを求めて他者を排除するという傲慢な暴力は、いずれ検挙されるのだから。
ワトキン『モラリティと建築』
こうしたモダニスト的な歴史の編集術に決定的な審判を下したのは、ワトキンが1977年に著した『モラリティと建築』である。ワトキンはこの著書のなかで建築史の方法そのものを徹底的に分析し、近代建築の歴史を紡いできた者たちの虚偽を白日のもとにさらした。とりわけ、ペヴスナーに対する分析は質と量ともに申しぶんなく、ペヴスナーの描く歴史が全体主義的な方法にのっとっていることを完全に証明し尽くし、ペヴスナーを再起不能にするには十分な一撃となった。
そして最後にはペヴスナーが、このような考え方を極端な形で表明する。それは彼が一七六〇年から一八六〇年に至るまでの、あらゆるヨーロッパ建築を攻撃する中に示されている。すなわち彼は、単なる表面的な流行を追っているにすぎず、「個人的な創意を基礎としていたために、真に普遍的な様式を生み出し得なかった」という理由をもって、攻撃したのである(p119)。
デーヴィド・ジョン・ワトキン『モラリティと建築』
(強調筆者)
要するに、歴史というものが一つの演出家による演出であり、ペヴスナーは個人的な創意という不健全なエゴの匂いがするものを徹底的に排除したということだ。ワトキンに言わせれば、ペヴスナーにとっての歴史とは、多様な可能性を普遍という名の檻に閉じ込めるための全体主義的な断罪にほかならなかった。こうして、歴史をいうものがプロパガンダでしかないという事実が明るみに出されたのである。
建築史家の力への意志
ただしワトキンは、1914年のジェフリー・スコットによる指摘を近代の歴史家に応用しただけであり、なにも新しいものを生み出している訳ではない。むしろ、建築史を編集する意志そのものを批判してしまったことも一つの問題である。ワトキンは、閉ざされた劇場に冷や水を浴びせただけである。その外側からの傲慢な態度は、建築史を描こうとするものの意志をくじくだけである。一体、建築史が力をもつことは絶対に許されないことなのだろうか? 建築史家が建築のもつ力を拾いあげて何かを主張することは許されないのだろうか? ここで思い出すべきは、モダニズム的な歴史を内側から引き裂いたペヴスナーのパンクな教え子、レイナー・バンハムである。
レイナー・バンハムによるポップな爆発。
建築史家の力と覚悟
ワトキンの批判は正しかった。確かにペヴスナーは、ブルクハルト的な全体性を慎重に守り、本来であれば多義的な歴史を普遍的な様式という檻に閉じ込めた。この暴力に無自覚であることはもはや時代錯誤である。われわれはペヴスナーと同じ轍を踏むことは許されない。とはいえ、ワトキンはこの暴力を背負ってまで新しい歴史を書くという覚悟を持ちあわせていただろうか? たとえ建築史が解釈学的な破壊をともなうにしても、建築史が持っていたはずの時代を動かし人々の想像力を沸騰させる力を奪いさることなど許されていいのだろうか。 ここで、バンハムを登場させよう。モダニズム的な閉ざされた劇場の外側にとどまったワトキンに対して、バンハムは閉ざされた劇場の内側から新しい建築史の描く方法を見つけた。それは、ポップな爆発とでも呼べる方法であった。
ポップな爆発
ペヴスナーの弟子であるバンハムがやったのは、師が定義した三本の支流を単に否定することではなかった。そうではなく、師がグロピウスという端正な器に収束させるために、あまりに慎重に濾過して不純物を取り除いたはずの「倫理・意志・骨格」に対して、濾過する以前のドロドロとした制御不能な熱量を再び注ぎこんでみせた。その結果、建築史は内側から爆発する。それも、ポップで軽やかな流血なしの爆発である。
大衆のポップな欲望
第一の支流、ペヴスナーが無名の健全さと呼んだモリスの倫理は、バンハムの手によって、混沌とした大衆の「ポップな欲望」へと読み替えられた。なるほど、無名な職人たちから無名な大衆へ。これにより、ペヴスナーが中世に夢みたモリス的な匿名性の倫理は保存されながら、その匿名性が別様なエネルギーを持ちはじめる。建築はエリートの手もとをはなれ、大衆の消費の快楽へと投げこまれ、匿名ながらに新しいエネルギーの渦に巻き込まれてゆく。
未来派の速度への陶酔
第二の支流、アール・ヌーヴォーの意志もまた、師の思惑を超えて一挙に加速させられる。ペヴスナーはそこに新しい時代への意志という方向の決められたエネルギーを夢みた。しかしながら、バンハムが引きずり出したのは、未来派が叫んだ、いっさいの目的を喪失したかのような純粋な「速度への陶酔」である。歴史の重力から解き放たれようとする意志は、もはや様式を確立することなど眼中に入れず、ただ変化し続けることそのものを目的とする、アナーキーな推進力へと変質したのである。
自己増殖するテクノロジーの狂気
そして第三の支流、エンジニアたちの合理的な骨格も生き物のように動き出す。ペヴスナーはそれを中世の石工の誠実さと重ねたが、バンハムはその無機質な合理性の裏側に、人間を置き去りにして自己増殖する「テクノロジーの狂気」を見出した。それは一周まわって、ヴォリンガーがゴシックを分析したときの狂気に親しい。かつての無名のエンジニアによる誠実な解決は、バンハムの手によって制御不能の機械の猛獣として暴走しはじめる。
建築史の再起動
ペヴスナーが一本の細い管に閉じ込め、収束させようとしたこれらの流れは、バンハムによって本来の濃度と圧力を取り戻し、ついに乾いた音を立てて内側から爆発した。その瞬間、グロピウスという目的地へと向かっていた線的な時間や、全体主義的な様式への収束という夢は粉々に粉砕された。ただ、爆発したからといってニヒリズムの砂漠が生まれたのではない。そうではなく、新しいエネルギーを見つける場所が生まれたのだ。バンハムは『巨匠たちの時代: 私説近代建築』のなかでこう語る。
まさに近代建築が最悪の混乱のなかに投げこまれたと思われた折しも、死んだという早まった報告が偽りであることを示すにたる創造力を、近代建築は勇気をもってなお発揮し得たのだ。近代建築は死んだというのなら、生きのいいところを見せてやればよい(p18)。
レイナー・バンハム『巨匠たちの時代: 私説近代建築』
(強調筆者)
バンハムの述べるように、近代建築は原因と結果が整然と連なる鎖ではない。普遍的な様式にとらわれるために生まれてきたのでもない。そうではなくて、フロイトがエスを見つけ出したかのように、欲動のままに蠢いている生きたものなのだ。歴史は生きていて、不死鳥のごとく何度でも再起動する。生きのいいところなど幾らでも見つけることができる。われわれは建築を分類し、記述し、批評するのではなく、「建物自身に自己を語らせる
」(『巨匠たちの時代』p85)地点に立たされている。
生きたノイズを取り戻せ!
建物自身に自己を語らせる。このとき、時間はもはや一点に収束することをやめ、爆心地からあらゆる未来、あらゆる可能性へと放射されるカオスへと繋がってゆくに違いない。予定調和の線的な時間から、いまここにしかない点的な時間へ。バンハムが見せてくれたのは、歴史の終焉ではない。デザインが再び生きたノイズとして呼吸を始めるための再起動であったのだ。
それでも歴史をデザインし続けること。
ペヴスナーの問いから始める
ペヴスナーが命懸けで編みあげた一本の線。それは混迷する時代に意味を与えようとした、残酷で美しいデザインであった。その線は踏みつけられ、引き裂かれ、もはや機能していないように思われる。ただ、だからといってペヴスナーの価値がなくなる訳ではない。ペヴスナーの残した真の遺産は、彼が語った物語の正しさにあるのではない。彼がみずからの生を賭して、我々に突きつけた「君ならこの歴史をどうデザインするか?」という、冷徹なまでに美しい問いそのもののなかにある。
物語を紡ごうとする意志を摘む暴力
当然、歴史を編むという行為の危険は忘れてならない。それは一つの暴力である。スコットもワトキンも、それを指摘している。モダニズムの傲慢や欺瞞もとうに暴かれている。ただ、だからといって物語を描いてはならない訳でもないし、物語を紡ごうとする意志を否定することなど許されてよいはずがない。ペヴスナーの建築史が一つのプロパガンダだったからといって、ペヴスナーを踏みにじり、死体を蹴るような真似は、ペヴスナーの暴力より残酷な暴力ではないだろうか? それこそ否定神学的な危険なプロパガンダそのものではないだろうか?
それでも物語を描けるか
われわれはモダニズムの暴力を受け入れなくてはならない。それでいて、その暴力や残酷さに目を向け、もがき苦しみながら、他者を排除することない新しい物語を演出するという覚悟が必要なのである。バンハムがなし遂げたように、ペヴスナーの編みあげた一本の線のなかの震えに目を背けてはならない。それは、普遍や様式に回収されるだけではない、憎しみや熱量に満ちているはずなのだ。その熱量こそが、壊されたうつわの破片を拾い上げ、また新しい歴史という幻影を編み上げるための、唯一の原動力になる。人間は物語を描く。それでいいのだ。ただ、その罪を背負う覚悟があればの話だが…。
メモはこのくらいにするとして、ペヴスナーの『モダン・デザインの展開:モリスからグロピウスまで』は、よくもわるくも近代建築を歴史のなかに位置付けることに成功したデザイン史の古典である。その主張を気をつけて読むならば、近代建築を知るうえで力になる一冊だろう。ぜひ弟子のバンハムの『第一機械時代の理論とデザイン』も併せて読むことをおすすめしたい。
