『アテネ憲章』の表紙

アテネ憲章 ル・コルビュジエ / 1943

CIAMの第4回会議の成果として。

アテネ憲章は、1933年の7月から8月にかけて開かれたCIAM(近代建築国際会議)の第4回会議の成果を、1943年にコルビュジエが独自にまとめあげ、フランスで刊行したものである。コルビュジエがまとめ上げたという点において、実際の第4回会議の成果とは少しばかり性格が異なり、「輝ける都市」など市計画構想の内容等が盛り込まれ、雄弁で挑発的な文章が並ぶという特徴がある。ちなみに、1933年の第4回会議は、モスクワで行われる予定であったが、スターリンのロシアにおいてアヴァンギャルドが受け入れられることはなかったため、マルセイユとアテネを結ぶ「パトリⅡ世号」のなかで行われたという点でも特殊であった。地中海に浮かぶ船に揺られながら、未来の都市に向けて会議するという若き建築家の集まりには、現在にはないような建築や都市への情熱が感じられる。

CIAM(近代建築国際会議)とは何か。

CIAM結成の簡単な背景

アテネ憲章の内容に立ち入る前に、CIAMについて簡単に補足しておきたい。CIAMは、現況の建築の問題を明確にし、新しい建築の理念を創作し、そうした理念を社会に浸透させ、実現に尽力することを目的として、コルビュジエやギーディオンらによって1928年に結成された組織である。その記念すべき第1回会議は「ラ・サラ宣言」として知られている。CIAMの結成の背景にあるのは、1927年のジュネーヴにおける国際連盟会館の設計競技である。この設計競技において、コルビュジエの案が明らかに最優秀であったにも拘らず、委員会の陰謀によって拒否される事態が発生した。そうしたアカデミーという敵から身を守り、建築の正当な権利を主張するためにも、CIAMの結成は必須であった。

CIAM崩壊までの簡単な流れ

CIAMは、1959年に崩壊を迎えるまで、合計11回にわたる会議を開催したのだが、建築や都市に関する様々な議論を、国をまたいで執り行った点において重要な運動である。1929年の第2回会議は「最小限住宅」、1930年の第3回会議は「合理的建設方法」、1933年の第4回会議は「機能的都市」、1937年の第5回会議は「住居とレクリエーション」を議題にした。その後も、CIAMの会議は途切れながらも続けられ他のだが、1956年のドゥブロヴニクで行われた第10回会議において「チームX」がCIAMの解体を提唱したことで綻びが生じ、1959年のオッテルローで行われた第11回会議においてCIAMは完全に解体される。こうした四半世紀にわたる歴史のなかでも、とりわけ重要な意義を持ったのが1933年の第4回会議と「アテネ憲章」である。というのは、CIAMの方向性が明確に提示されたからである。

アテネ憲章の概要。

アテネ憲章の構成

肝心なアテネ憲章の構成を確認してゆこう。まず、アテネ憲章は95条の条文から成立している。それらの条文は、「総則」「都市の現状─危機と対策」「結論」の3つの大見出しに振り分けられる。本文である「都市の現状─危機と対策」は、「住居」「余暇」「勤労」「交通」「都市の歴史的遺産」の5つの小見出しが付けられ、それぞれの小見出しのなかで、都市の現況の考察と、都市に対してどのような修正が必要になるかが提案される。たとえば、「工場地域は、独立して離して置かれ、住宅地区との境界に緑地帯を設けるべきこと(p93)等々…。コルビュジエ特有の筆致は妙に説得力に溢れていて楽しい。ところで、もっともよく知られている条文は第77条だろう

都市の4つの機能

都市計画の鍵は以下の四つの機能の中にある。住む、働く、楽しむ(余暇に)、往来する。(p115)

ル・コルビュジエ『アテネ憲章』
(強調筆者)

第77条において、都市は「住む」「働く」「楽しむ(余暇)」「往来する(交通)」という4つの機能に分類される。それに続く条文では、これらの4つ機能を明確に分離しながら、「住むこと」を中心とした配置にすべきことが提案されている。「地域性は鍵としての機能、住む、働く、楽しむを念頭に置くことで都市内を秩序立てる。第四の機能である交通は、他の三つの機能を効果的に連絡するという一つの目的だけであるべきだ(p119)。その他、太陽、広がり、緑を都市に導入する必要があること、妥当な人口密度を決定すること、緑地帯によってゾーニングをすること、適切な道路幅員を検討すること、歴史的建造物を保護すること等々、示唆に富んだ提案がなされている。

内容は徐々に古めかしくなり、現代の状況に応じて更新される必要があるものの、近代的な都市を考えるうえの古典であり、必読の一冊と言えるだろう。

note

機能的ゾーニング崩壊以後の都市の可能性

アテネ憲章の問題点。

アテネ憲章の問題点とその後

周知のとおり、アテネ憲章は2つの基本的な認識を含みこんでいた。1つは都市のプランニングを機能別に分離されるべきだという点、もう1つが都市の形式が高層ビルへと結実するという点である。アテネ憲章以後、これらの認識がCIAMが誕生した際の熱気と切り離され、もはや教条的なモーゼの戒律のように扱われてゆく。この形態の形式化こそが、アテネ憲章の問題点である。なぜなら形式化は、地域性を見落としてしまうし、都市に住まうひととの対話を忘却させるからである。アテネ憲章の理念に基づいて実現されたブラジリアは、自動車による移動を前提にした都市構造であり、住民には使いづらいと批判されることが多かったことで知られている。

アテネ憲章の問題点とその後

アテネ憲章が提唱された後、アテネ憲章が見落とした場所の具体性への関心が高まってゆくと、機能的都市という形式に疑惑がかけられる。最終的には「チームX」が誕生し、機能的とは異なる原理を探し始め、CIAMは内部から解体されてしまう。とはいえ、「チームX」の試みも虚しく終焉を迎えてしまう。なぜなら、人々は以下の事実に気がつきはじめたからである。都市計画とは、貧困な人々に対して押し付けられた虐待行為であり、既存の都市のレイプするイデオロギーなのではないか、と。それは1968年のミラノトリエンナーレの学生運動として明確に表現される。都市計画というユートピアは、所詮ユートピアに過ぎず、それが実現された時点でディストピアになってしまうのだ。

都市計画とは都市のレイプである

都市計画とは、既存都市のレイプである。都市デザイナーがユートピアを描けば描くほど、そのユートピアは既存都市と乖離してゆき、いざユートピアの実現しようとすれば、既存都市のうえに覆い被さることになる。当然、衛生環境がままならない時代や場所にあっては、都市デザイナーの仕事は必要となるだろう。しかしながら、衛生環境などの基本的条件が整備された現在の都市において、都市デザイナーに何ができるというのか? 都市デザイナーが、都市デザイナーであるというだけで人々を虐待してしまうという問題。ユートピアが実現されたとき、それが暴力になってしまう問題。CIAMが突きつけた根本的な問題はここに帰着する。この問いから逃げることは許されない。このことは、CIAMの試みを踏まえたうえで、あらゆる都市デザイナーが向き合わなくてはならない問題であり、答えは一人ひとりが見つけてゆかなくてはならないだろう。

機能的ゾーニングを再考する。

住むこと、働くこと

ところで、アテネ憲章の具体的な提案を現代に合わせて考え直すことも重要でだろう。アテネ憲章は、現況の都市の分析とその改善案という構成になっていたのであり、現況の都市を見つめ直す姿勢は学ぶべきである。アテネ憲章が明らかにした4つの機能は「住む」「働く」「楽しむ(余暇)」「往来する(交通)」であった。ただし、インターネットが普及した現在において、これらの機能的な分離はもはや必然ではない。では、現況の都市において、どのような機能配置が成立しているのだろうか? コロナウイルスが明らかにしたように、テレワークの普及によって「住む」と「働く」という2つの機能は統一される傾向にある。必要になるのは、対面せざるを得ない際に用いる会議室や、息抜き的に作業ができるカフェなどの点的な利用である。これらは補足的な役割であり、従来のオフィスほど重い比重は必要ない。要するに「住む」のなかに「働く」が入り込んでいる。

楽しむこと

また、物価高の上昇に苦しむ世代にとって、「楽しむ(余暇)」は月に数回の贅沢であり、基本的には、自宅での映画鑑賞やユーチューブ鑑賞という安価で得られる快楽に身を任せるようになる。すなわち、「住む」と「楽しむ(余暇)」という2つの機能は統一される傾向にある。コルビュジエが危惧していた運動に関しても、遠くの大規模スポーツ施設というよりも、近場のチョコザップと手軽なものの点的な利用となっている。もはや緑地帯をまたいで、公共施設に足を運ぶものなど少なく、たまに美術館や映画館、ディズニーランドやレストランに足を運ぶ程度である。映画館よりプロジェクターが、レストランよりウーバーイーツがを求められるのである。要するに「住む」のなかに「楽しむ」が入り込んでいる。

往来すること

「往来する(交通)」という機能に関しても、LUUPやシェアサイクルというが小回りの利く仕組みが構築され、場所の点的な利用を後押しすることになる。駐車場や駐輪場を契約する必要はなく、近場で乗り捨てが可能になるならば、自動車や自転車の所有は必須ではなくなる。その結果、人々は自宅周辺という徒歩圏内を超えることは少なくなり、それ以上の外側へは電車を用いて出向くことになる。こう考えてみると、現代の都市は「住む」という住居機能を中心としながら、「働く」「楽しむ(余暇)」という機能に点的にアプローチするような機能構成になっているのではないだろうか? そうした住居を起点とした点群の集まりによって、アテネ憲章が提唱したような近代的な機能的ゾーニングは無効化されているのではないだろうか? これらを図にしてみると以下のようになるだろう。

現代の都市の機能構成
現代の都市の機能構成 @Architecture Museum現代の都市において、「労働」と「余暇」は住居内に侵入している。その結果、「労働」と「余暇」が住居の外側に占める割合は大きく減り、住居の外側に占める「労働」と「余暇」を点的に使用する。

機能的ゾーニングの崩壊後の「交通」の可能性。

小回りの利く交通

こうした図式が実態に即しているのかは分からないが、さらに思弁を続けてみよう。先ほど、「余暇」と「労働」が住居を起点とした点群となることによって、近代的な機能的ゾーニングが崩壊していると述べたが、その結果として生まれた新しい可能性に目を向けなくてはならない。まず「交通」から考えてみよう。近年、LUUPやシェアサイクルといった小回りの利く仕組みが整備されたことにより、近傍の都市をシームレスに移動しやすくなったことに着目すべきである。たとえば10分程度の乗車によって、2~3km程度の近傍へと気軽に足を運ぶことができる。これは、徒歩で30~40分程度と少し厳しかった距離であると同時に、自動車で行くには5分程度と駐車するのが面倒な距離である。2~3km程度がシームレスに結ばれることは、都市計画に大きな影響を与えるに違いない。

LUUPやシェアサイクルと都市計画

アテネ憲章において、「他の三つの機能を効果的に連絡するという一つの目的だけであるべきだ」とされた(p119)。それゆえ、交通は直線的に始点と終点を結ぶのみであり、それ以上の意味を持つことはなかった。いわば、近代的な都市において、出発地点目的地点は交通に先立って固定化されていた。それに対して、LUUPやシェアサイクルは、乗車の際にサイクルポートを選択するのであり、出発地点と目的地点があらかじめ定められている訳ではない。すなわち、交通が出発地点と目的地点に先立つ。だから、半径2~3km程度の点的に散らばった機能は、交通によって事後的に再編成される。また、シェアという仕組みは、駐輪台数を抑えることを可能にする。サイクルポートはマンション横やコンビニ横の空きスペースに点的に散りばめられ、面的に場所を占めることはない。

移動地域

LUUPやシェアサイクルによって、みずからのいる現在地点から半径2~3km程度が手中に収められる新しい都市領域になる。しかも、それは主体の現在地点が変わるにつれて、カタツムリの殻ようについてくる独自の領域であり、駅や公共施設といった既存の施設の周辺に依存することはない。これを「移動地域」とでも名付けるならば、少し遠い場所にあるカフェに訪れたり、少し遠い場所に小さなギャラリーに訪れることも簡単になり、今までにない出来事に遭遇への遭遇が生じるだろう。大規模施設という目的地に向かうのではなく、「余暇」と「労働」を補足する小さな施設にその都度に出遭うこと。リゾーム状に広がりながら、主体の位置によってずるずると移動する「移動地域」は、器官なき身体のごとく都市をその都度に包み込み、散りばめられた点群を移動しながら再編成してゆく。それを図にすると以下のようになるだろう。

移動地域のイメージ図
移動地域のイメージ図 @Architecture Museum青色に塗った部分が「移動地域」である。大きさはその都度変化するが、乗車時間を10分程度とするならば2~3kmの範囲が射程距離となる。点的に散りばめられた機能たちは「移動地域」によって再編成されてゆく。

サブスクリクションが都市に与える影響。

サブスクリクションが都市計画に与える影響

移動地域が、半径2~3km程度の点的に散りばめられた雑多な機能を再編成してゆくゾーニングであるのに対して、全国各地の施設を定額で使用可能にするサブスクリクションの仕組みは、全国に点的に散らばった同一な機能を再編成するゾーニングとして着目すべきである。たとえば、近年店舗数を増やしているチョコザップを考えてみよう。チョコザップは、定額で「24時間365日全店使い放題」のコンビニエンスジムであり、2024年の5月時点で会員数が120万人程度と恐ろしい成長を遂げている。チョコザップが都市計画において重要なのは、これが公共のスポーツ施設の代わりとして機能していることである

散りばめられた小さな民間施設

アテネ憲章において、スポーツ施設は住居から簡単に行けるように要求されていたが、住居から自動車や電車という交通機関に頼って運動をしに行くことは本末転倒だと人々が感じていたことは、チョコザップの会員数の増加を見れば明らかである。すなわち、自動車で10分の公共の大きなスポーツ施設よりも、徒歩で5分の民間の小さなコンビニエンスジムの方が、たとえお金を支払ってでも行きたいほど魅力的なのである。コンビニエンスジムは24時間営業であるがゆえに、好きな時間に訪れて混雑を避けることが可能だし、ホワイトニングや脱毛、ランドリーやカラオケ機能すら付加されることもあり、大きなスポーツ施設よりも細やかなニーズに答えてくれる。それらの「余暇」のスケールは大きくないが、その小ささゆえに都市の至るところに点在可能であり、細やかなサービスを提供可能である。

サブスクリクションというゾーニング

近代都市のゾーニングが「住居」と「余暇」を分離して結びつけたのとは異なり、炭酸の泡のように、小さな「余暇」が都市のなかに散りばめられていることを確認したのだが、重要なのは、そうした小さな「余暇」の点達が、サブスクリクションという仕組みによって再編成されることである。「24時間365日全店使い放題」という売り文句が明らかにするように、一度契約したならば、全国各地の全店が一瞬にして手中に収められる都市領域になる。これは、いままでの都市計画では考えられたことのない広がりのゾーニング手法である。チョコザップに限って言えば、いかなる時間、いかなる街に訪れても、小さなスポーツ施設が誰にでも保証されるのだ。

サブスクリクション・ゾーニング

こうしたゾーニング手法に「サブスクリクション・ゾーニング」と名前を付けてみる。「サブスクリクション・ゾーニング」の特徴は、基本的に同一な機能を再編成するに過ぎないという点である。全国各地を一瞬にして結びつけることが可能にする利点は素晴らしいもの、事業者のコストメリットの観点から提供されるサービスは画一化されざるを得ないし、利用者のコストメリットの観点から、余計な機能を付加して金額をあげる訳にはゆかない。したがって、ある機能に絞って画一化された空間を創るのがもっとも効率的なのである。これは「余暇」に限らず、「労働」も同様である。シェアオフィスのサブスク、ホテルのサブスク、カフェのサブスク、ジムのサブスク、《X》のサブスク…。こうして、機能ごとの分断が強められてゆくのは興味深い。こうした状況を図にすると以下のようになるだろう。

サブスクリクション・ゾーニングのイメージ図
サブスクリクション・ゾーニングのイメージ図 @Architecture Museum黄色に塗った部分が「サブスクリクション・ゾーニング」である。全国各地、点的に散らばった同一機能の施設を再編成する。「移動地域」が半径2~3kmを射程距離とする一方で、契約によって、全国各地が一瞬にして射程距離となる。ただ、「余暇」は余暇としてまとめられるのだ。

サブスクリクション・ゾーニングの展望

現在、「サブスクリクション・ゾーニング」は同一事業者が、効率的に店舗を展開してゆく仕組みが多く、画一化したサービスが提供される、いわば「チェーン店タイプ」が多い。しかしながら、近年新しい動きが出ている。たとえば、他拠点型のホテルのサブスクリクションは、新しい店舗をつくって展開するというよりも、既存のホテルと提携することで、全国各地のホテルへのの宿泊が安くなるシステムが構築されている。この「提携タイプ」のサブスクリクションは、既存の施設の多様性をそのままに、サブスクリクションという軸で結び直すことによって、使用者を各地に飛び回らせることを可能にする。それだけではなく、既存の施設の運営者は、サブスクリクションサービスに登録することによって、従来より多くの宿泊者を獲得できるという旨みがある。「提携タイプ」のサブスクリクション・ゾーニングは、既存施設を結びつける新しい「交通」のかたちと言えるだろう。

これからの都市のユートピアを描けるか…?

移動地域とサブスクリクション・ゾーニングの融合

いま、「移動地域」と「サブスクリクション・ゾーニング」という2つの可能性を提示した。一方の「移動地域」は、徒歩圏内よりもちよっと遠くへ足を伸ばすことを可能にし、雑多な機能を結びつけることができ、他方の「サブスクリクション・ゾーニング」は、全国各地の同一の機能を一瞬にして結びつけることができる。そして、この2つの可能性は多層的に重なり合っている。この両者を組み合わせることで新しい都市計画の可能性を素描することができないだろうか。「サブスクリクション・ゾーニング」によって全国各地の点群へと結び付け、その点の周辺を「移動地域」によって結び付けるのだ。それは以下の図のようになるだろう。

都市ゾーニングのイメージ図
両者の重なり合い@Architecture Museum青色に塗った部分が「移動地域」、黄色に塗った部分が「サブスクリクション・ゾーニング」であり、両者は多層的に重なり合う。

これからの都市計画に向けて

これからの都市で考えるべきは、これ以上の大開発を繰り返すことではなく、小回りの利く交通の整備によって雑多な機能を結び、既存施設を提携型のサブスクリクション的なサービスによって同一の機能を結びつけるゾーニングだと考える。これによって、人々は全国各地へと足を運びながら、様々な出来事に遭遇することになるだろう。こうしてわかるのは、もうこれ以上の住居まわりを大開発する必要はなく、今あるものをいかに結びつけるのかに目を向ける時期に来ていることである。そのためには、都市デザイナーはユートピアを根本から再考しなくてはならない。とはいえ、「移動地域」と「サブスクリクション・ゾーニング」を実現することによって、何が豊かになるのか? もう少し具体的な状況を考えてみよう。

これは、ユートピア…?

例えば、ある珈琲好きのKという男がいるとする。Kの平日の楽しみは、朝に自宅での珈琲を淹れることであり、テレワークが終わると、本を読んだり、自宅のプロジェクターで映画を観たりして楽しんだり、近所のコンビニエンスジムで身体を動かしたり、友人とたまに飲みに行ったりする。この場合、「労働」「余暇」「住居」はある程度、住居付近で完結している。基本的に、現在の若者は貧困であり、大胆に遊ぶ機会はそこまで多くないことを忘れてはならない。重要なのは、大きな遊びを大開発によってつくるのではなく、小さな楽しみを都市に導入することである。それだけで、機嫌がよい人が増え、街の雰囲気がよくなるはずだ。

休日になると、Kの楽しみは少しだけ膨張する。というのは、彼は珈琲のサブスクリクションサービスに登録しているからである。このサービスに登録すると、登録された全国各地のカフェで珈琲が200円引きになる。その結果、Kは地元のチェーンカフェに行くのを辞めて、サービスに登録された昔ながらカフェ喫茶などに行くことが増え、少しだけ足を伸ばして外出するようになった。200円引きというのは外に出るための口実であり、それ以上のものではない。「サブスクリクション・ゾーニング」は、目的ではなく外出の口実を提供する。人々を外出させるには、一欠片の口実が必要なのである。

サブスクリクションを口実にしたKの狙いは、あまり人混みがなさそうな街外れのカフェの珈琲である。評判がよいか、美味しいかも知らない。ただ、200円引きなのだ! 200円引きなら、チェーンカフェと同じ値段で珈琲が飲める。Kは自宅からLUUPで15分程度移動してカフェに向かう。これは、普段だったら絶対に行かない絶妙な距離である。サイクルポートにキックボードを止めてから、カフェへと向かい、昔ながらの赤いソファで珈琲を飲んでゆっくりしたら、せっかく15分もかけて来たからと少し歩いてみる。しばらく散歩していると、小さな雑貨屋を見つけて、ふらりと入ってみる。変なカエルのアクセサリーがこっちを見ていて、そのカエルの変顔に笑みが溢れる。偶然の出来事への遭遇、その小さな出来事が日々を豊かにする

Kは、せっかくだからもう少し遠くへ行こうと考える。珈琲のサブスクリクションサービスのマップを見てみると、少しだけ近くに作家のギャラリーがあるらしい。LUUPで10分程、「移動地域」の圏内だ。評判がよいか、どんな作家かも知らない。ただ、LUUPで10分なのだ! 徒歩だったら絶対に行かないだろうが、LUUPならすぐだし、何より顔を撫でる風が心地よい。Kは、珈琲のついでに作家のギャラリーを見にいく。展示されている彫刻作品は思ったより心に響かず、変なカエルのアクセサリーの方がよっぽど芸術じゃないかと呟いてみる。そのままの流れでギャラリーの横の公園のベンチに腰掛けると、にんにくの良い香りが隣家から漂ってくる。そうだ、夕食はペペロンチーノにしよう。ここから住居まではLUUPで25分、少し面倒だから、帰りは電車にしようかな…。

迂回、行き過ぎ、よろめき

簡単に物語をつけてみたが、「移動地域」と「サブスクリクション・ゾーニング」が都市に及ぼす豊かさは、このような豊かさである。これはコルビュジエが描いたような上空飛行的なユートピアとは異なり、地に足をつけたユートピアである。もはや、ユートピアと呼ぶべきかも分からない。ただ、都市デザイナーは、今より少し生活が豊かになるための後押しをするだけに過ぎない。「サブスクリクション・ゾーニング」は、珈琲が好きというKの幼心を少しだけくすぐり、その喜びを膨張させるだけである。それは、チェーンカフェから既存の地元カフェにする程度の力しかもたない。ただ、「サブスクリクション・ゾーニング」によって連れ出されたKは、「移動地域」内を何となく動き回り、偶然の出来事に遭遇してゆく。

これらは、アテネ憲章が描いた「機能的都市」とは異なり、目的より口実をもとにした、「迂回、行き過ぎ、よろめき」を生じさせる。また、変化するのは主体の体験だけではない。既存の潰れかけていたカフェは、サブスクリクションサービスに登録するだけで、珈琲好きの顧客を獲得することができる。「サブスクリクション・ゾーニング」は同一機能をまとめ上げる《オタク的飛び回り》を可能にし、そのついでとして「移動地域」は活性化してゆく。そんなユートピア的なものは、生活世界からかけ離れることなく、生活世界の地平を少しだけ膨らませる豊かさを提供するに違いない。

さて、メモはこのくらいにするとして、ル・コルビュジエの『アテネ憲章』は、都市デザインの骨格をつくり、多くの問題提起をした点で、いまなお読み継がれなくてはならない一冊である。都市を学ぶ者は、ぜひ手にとらなくてはならない。

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