まつもと市民芸術館 伊東豊雄 松本の建築
設計者は伊東豊雄。伊東は『せんだいメディアテーク』『台中国家歌劇院』『TOD’S表参道ビル』『ぎふメディアコスモス』などの作品で知られる世界の第一線で活躍する建築家である。『まつもと市民芸術館』は、客席数1800席の巨大ホール、客席数288の小ホール、360席の実験劇場などを備えた文化施設であり、2004年に竣工している。小さな不定形のガラスが嵌めこまれた外壁が、緩やかに流れるような空間を演出している。より詳しく見てゆこう。
まつもと市民芸術館の建築概要逆転した平面計画と外壁に沿うシークエンス
まつもと市民芸術館をコンセプトを3つにまとめてよいならば、①逆転した平面計画、②美しく幻想的な外壁に沿ったシークエンス、③エレガントな馬蹄形の劇場、となるだろう。ひとつずつ見てみよう。
①逆転した平面計画
実現した案のように舞台と客席の関係を逆転させると、来訪者はエントランスホールからゆったりとした階段を上り、2階レベルで敷地奥までホワイエ空間を歩いて回り込むように客席に入る。すなわち搬出入口はホワイエの下に設けられることになる。
伊東豊雄『自選作品集:身体で建築を考える』(強調筆者)
奥行は200mで間口40mという敷地に、大きなヴォリュームが要求される難しいもので、アルプスの水が流れているために地下を使えず、駐車場や機械を地下に置きづらいという、劇場を設計するには厳しい条件であった。また、敷地の奥には地域に親しまれた大きな樹木や、実際の生活が育まれる民家があり、それを邪魔する訳にはいかない。そこで伊東がとった計画は、舞台と客席の関係を逆転させるという計画である。
一般的な劇場の場合、エントランスホール→ホワイエ→客席→舞台の順に並べるのだが、伊東はエントランスホール→ホワイエ→舞台→客席という順番にした。だから、敷地の中央に大きな舞台があり、観客は曲線の壁に沿ってホワイエまでぐるりと回りんで、客席に向かわなくてはならない。この平面計画は効率的ではないかもしれないが、観客に軽快な旅をさせると同時に、周囲の民家や樹木を邪魔しなくてすむ。周辺環境への配慮は、伊東が当然のように大切にしていたものである。
舞台上部には、照明や道具をおさめるために天井の高い空間(フライタワー)が必要になるのだが、舞台が中央にあるよって、フライタワーも建築の中央に置かれる。その結果、周囲の民家の前にフライタワーがそびえ立って圧迫感を与えるようなこともなくなる。トラックが頻繁に出入りする搬出入口も、敷地側方にある深志神社を避けることができる。平面計画一つで敷地問題を解決させる手腕は流石である。ちなみに、『まつもと市民芸術館』は10社による指名コンペで選ばれた建築なのだが、伊東以外の案では、フライタワーは敷地の奥に配置していたというから、型破りな計画であることがよく分かる。
②美しく幻想的な外壁に沿うシークエンス
このホワイエ空間の流動性を高めるために、湾曲した外壁面は無数のガラスを象嵌したGRC(ガラス繊維入りセメント板)のサンドイッチパネルで囲い込んだ。このパネルは鉄骨でサンドイッチし、内部に断熱材を入れて内/外とも同じ仕上である。従って不定形のガラスは手作りであるが、それぞれ内外対称形にはめ込まれている。
伊東豊雄『自選作品集:身体で建築を考える』(強調筆者)
泡のように美しい外壁が内外を仕切る
建築のなかで魅力的なのは、水玉模様の装飾であろう。牡丹雪のようでもあり、木漏れ日のようでもあり、草間彌生の作品のようでもあり、藤森照信は地下から出た湧水の泡のようだと述べている。「象嵌」というのは、一つの素材に異質の素材を嵌め込む工芸技法である。かたどるを意味する象、はめるを意味する嵌、それを組み合わせて象嵌という熟語が完成する。日本では、京都の伝統工芸である「京象嵌」が有名だが、なるほど、伊東の建築にも象嵌の繊細さや柔らかさが見てとれる。
大小7種類のガラスが、ガラス繊維補強セメント(GRC)にランダムに象嵌されていて、象嵌部分のの密度が場所によって変化するため、空間にリズムが与えられて飽きない。ここで着目するべきは、内側から見た壁と外側から見た壁が同じ仕上げであるということ。通常の建築では内側と外側の仕上げが異なるのだが、同じ仕上げにする工夫によって、外側にいるのに内側にいるような、内側にいるのに外側にいるような、そんな不思議な感覚を覚える。要するに、湾曲した一枚の壁が立っているだけで偶然に場所が発生したというイメージである。
昼間は外側から光が入ってくるが、夜には夜には内側の明かりが漏れ出すため、昼夜によって内側と外側が逆転するような印象を与える。一枚の壁で内外を隔てるやり方は、1993年に伊東が手掛けた『諏訪湖博物館・赤彦記念館』からはじまり、2004年の『TOD'S 表参道ビル』や2005年の『MIKIMOTO Ginza 2』やといった伊東のその後の作品につながる外壁の遊び方である。そして、内側と外側を同じ仕上げで逆転させる方法は、伊東の代表作である『台中国家歌劇院』にまでつながってゆくことも理解できる。なんにせよ美しく見惚れてしまう外壁である。
緩やかなシークエンスも劇場である
なぜなら劇場は、舞台上だけが劇場ではないことを、この空間で実感してもらえたからです。町から劇場に向かって行く時に、これから観るものに対する期待感を高めるのに、その長いエントランスは効果的でした。そして終演後には高揚感を持続しながらエントランスの階段を下り、自然に町へと流れてゆく。そのシークエンスも劇場なのです。
伊東豊雄『日本語の建築』(強調筆者)
先述したように、逆転した平面計画によって、観客はホワイエまでぐるりと回りこまなくてはならず、一般的な劇場よりも長い距離を歩かされる。しかしながら、建築家の手腕によって、長すぎる距離はマイナス要素ではなく、劇場をひきたてるプラス要素なっている。外壁の美しいカーブと外壁の美しい水玉模様の効果によって、長い歩行距離は日常の世界と舞台の世界を緩やかに結ぶことに成功している。伊東は、劇場を観ることを、箱のなかで完結するようなものではなく、客席に到るシークエンスも含めた体験として捉えている。だから、日常と非日常が断絶されるのではなく、よりフラットな関係性を持つ劇場のあり方となっている。参照先は、コルビュジエの建築的プロムナードだろうか。
③エレガントな馬蹄形の大ホール
松本で馬蹄形にしたかったのは、観客の視線を無意識には考えたのでしょうが、エレガントにというのがまずありました。観客が揃って正面を向くようなホールでは、空間のエレガンスを感じられないのです。
伊東豊雄「ホールデザインのこれまで、これから」
『音楽空間への誘い』所収
大ホールは馬蹄形平面を持ち、赤い色彩で塗られている。舞台に近い下側は黒に近い赤色、舞台から離れた上側はピンクに近い赤と、グラデーショナルに変化する色彩は絶妙であり、舞台から客席を見渡すとエレガントと言うしかない。また、ガウディを思わせる波のようなバルコニーの曲線も独特である。観客が揃って正面を向くようなホールは必ずしもステージが見やすいとは言えないが、ステージを観ることだけがすべてではなく、観客や空間の一体感をも含めて観劇とするならば、クラシカルな馬蹄形平面には隠された魅力がある。この魅力を伊東はエレガンスと上品に表現したのだろう。エレガンスという付加価値が、モダニズムが見落とした価値なのかもしれない。
まつもと市民芸術館を訪れた感想地面から生えたような柱
この建築を訪れて感じたのは、柱が地面から生えているという不思議な印象である。細くて華奢な柱であるにもかかわらず、地面を突き破る樹木のように力強い。なぜ、こんなにも柱が気になるのかを考えてみると、柱以外の要素が天井から断絶されていることに気が付く。二階の柱以外のボリュームに着目すると、ボリュームと天井の境目に照明のための段差があり、ボリュームが軽快に表現されていることが分かる。ボリュームは横方向の力を受けとめ、柱は鉛直方向の力だけを受け止めている。
簡単に思いつくのは、伊東の師匠である菊竹清訓の「柱は空間に場を与え、床は空間を規定する」という言葉や、伊東の地元の諏訪における「御柱祭」であるが、やはり伊東にとって水平の床と垂直の柱は重要な要素なのだろう。また、半透明のガラスというのもこの建築の素晴らしさの一つである。1993年の『諏訪湖博物館・赤彦記念館』で、湖に対して壁一枚を立てる計画がなされていたように、『まつもと市民芸術館』でも壁が一枚立っているだけに見える。だから、内向的である。並大抵の建築家なら透明なガラスにして内外をつないでしまうだろう。
残念ながら、劇場の内部に入ることができなかったので、細かい感想は別の機会に書きたい。
まつもと市民芸術館の建築写真
写真を撮りました。サイトへのリンクを貼っていただければ、常識の範囲内に限って、無許可にて使用して構いません。なお、この写真を使用することで発生したいかなる損害に対しても、一切の責任を負いかねますので、あらかじめご了承ください。残念ながら、劇場の内部に入ることができなかったので、劇場の写真はありません。