信毎メディアガーデンの外観写真

信毎メディアガーデン 伊東豊雄 松本の建築

設計者は伊東豊雄。伊東は『せんだいメディアテーク』『台中国家歌劇院』『TOD’S表参道ビル』『ぎふメディアコスモス』などの作品で知られる世界の第一線で活躍する建築家である。『信毎メディアガーデン』は信濃毎日新聞の松本本社なのだが、4階と5階にオフィスが入っていて、1階から3階が地域に開かれているということが特徴である。2018年に竣工した建築で、非公共が手掛ける公共空間というのが面白い。より詳しく見てゆこう。

解説

信毎メディアガーデンの建築概要地域に開かれたオフィス

地域に開かれたオフィスの工夫

信毎メディアガーデンは、信濃毎日新聞の本社ビルなのだが、地域に開かれたオフィスが目指されたことが新しい。インターネットによって新聞販売の部数が減少したという背景があり、地域に開かれた場所をつくることによって、多くの市民に新聞をアピールするという狙いもある。それゆえ、市民との話し合いで設計が進められ、市民の要望にしたがって大きなコミュニケーション・ゾーンが下階に設けられている。訪れて分かるのは、市民が使う場所が大きく確保され、市民が使いやすいような工夫が幾つもなされているということである。

たとえば、市民と新聞社の交流を後押しする「まちなか情報局」、演奏会や演劇が可能な「ホール」、展示会や軽運動など多目的に使用できる「スタジオ」、料理教室や食事会が可能な「キッチン」、大きな屋外広場である「スクエア」など。とりわけ、一階に設けられた「ホール」は大型建具によって仕切られていて、催しがない日は建具を開けることで、開放的な空間が現われ、屋内公園として使用できるという工夫がなされている。二階には居心地のよい小さなテラスがあり、三階には松本が一望できる大きなテラスが広がっていいる。どちらも自由に入れるのが嬉しい。

3階のフリースペース
3階のフリースペース @Architecture Museum全体的に余裕のある設計のため、フリースペースが幾つもある。ここには幾つものパネルが置かれているが、信濃毎日新聞が設置したものだろうか。だとすれば、新聞という情報空間が現実の空間に飛び出したと考えられ、コンセプトとして面白い。これなら新聞を気軽に読んでしまう。

水平ルーバーのファサード

伊勢町通りと呼ばれる松本のメインストリートから歩いてゆくと、ちょうど信毎メディアガーデンがどっしりと構えているのだが、圧迫感が強いわけではない。三階より上がセットバックしてボリューム感が抑えられていること、三階より上の外観に木製格子でリズムが付けられていること、そして水平ルーバーによる軽やかなファサード表現など圧迫感を軽減している。とくに注目すべきは、西側全面を覆うGRC(ガラス繊維補強セメント)でつくられた水平ルーバーであり、西日を防ぐという機能的なものであると同時に建築を特徴づけることに成功している。

伊勢町通りから見た信毎メディアガーデン
伊勢町通りから見た信毎メディアガーデン @Architecture Museum伊勢町通りを歩いていると、そのまま入りこんでしまう設計となっている。「ホール」の建具を開放することで、東西に60mの通り抜け空間ができる。

信毎メディアガーデンという現代の櫓立てかけられた水平ルーバーの仮設的象徴性

伊東は、この建築を「市民の集いの場となる現代のやぐら」と表現しているのだが、一体どのあたりが櫓(やぐら)なのだろうか? 簡単に考察しておきたい。

櫓のような建築というイメージ

さてどうしようかと思い倦ねていた時に、「やぐら」のようなイメージが浮かんできたのです。「やぐら」の前に広場ができれば、年に数回開催されるお祭りだけでなく、様々なイベントの拠点になるだろうと。

伊東豊雄「市民の集いの場となる現代のやぐら」
「GA JAPAN153」所収

そもそも櫓とは、物見や倉庫などに使われる建物であり、周囲を見渡す必要があるために高さが必要とされるという特徴がある。伊東が思い描いた櫓がどのようなものかは推測するしかないのだが、櫓の下部をルーバーにした途端に「パタパタと立てかけたような仮説的なイメージ」が浮かんだと述べていること、そして、前面の広場でお祭りのような使い方が想定されたことから考えると、善光寺の盆踊り櫓のような、仮設的でありながらも象徴性を失わないなものをイメージしていたのではないかと考えられる。

祭りや盆踊りなどを行なう際に、人々がその周辺を踊りながらまわる仮設物。あくまで仮設物なのだが、街の中心としても十分に機能する象徴性を併せ持つ。そうした構築物は、建築そのものとしての強い象徴性ではなく、その街に生きる人々との関わり合いのなかで生まれる象徴性を持ち、強制的な息苦しいものではない。伊東が「櫓」という言葉にこめた想いは、こうした仮設的象徴性にあるのではないかと推測される。いずれにせよ、櫓という想像力をかき立てる鍵概念を発見したことは重要である。こうした鍵概念が一つ出てくると、イメージが統合されて提案がまとまりやすい。

両国回向院元柳橋と櫓太鼓
両国回向院元柳橋 @wikimedia歌川広重の「名所江戸百景」のなかの一枚で、櫓太鼓が描かれている。櫓太鼓とは、時刻等を知らせるために造られた櫓のことであり、上階に太鼓が描かれている。江戸時代は報道機関がなく、太鼓をたたき相撲興行を市中に知らせたという。信毎メディアガーデンも報道機関であるならば、櫓のイメージと合致する。奥行き15mの屋外広場「スクエア」をうまく引き立てている。

菊竹清訓の影

特に最近は、「モダンで軽い建築」に対する違和感が、益々強くなっています。近代主義がこれからの日本を席巻しようとしている時期に、「稲の穂掛」をモチーフに新しいRC建築を試行していた菊竹清訓さんが、ぼくの中で以前より大きな存在になってきていることを、改めて感じたプロジェクトでもありました。

伊東豊雄「市民の集いの場となる現代のやぐら」
「GA JAPAN153」所収

菊竹は1963年に『出雲大社庁の舎』という鉄筋コンクリートの水平ルーバーを立てかけた建築を設計しているのだが、伊東が菊竹事務所出身のこともあり、『信毎メディアガーデン』のイメージは明らかに菊竹を参考にしている。菊竹は「稲の穂掛」という農村風景を参考にしながら、門型フレームに水平ルーバーを仮設的に立てかけ、立てかけた部分はいつでも取り替え可能だと主張した。門型フレームという「主」に対して、水平ルーバーという「従」が寄り添い、建築のなかに主従関係が生まれている

ただし、「主」たるフレームだけが重要というわけではなく、「従」があるからこそ「主」が引き立つという相互関係が成立する、と菊竹は考えた。「何が中心であり、何がその従属関係にあるかという秩序を捜し出す操作に、わたくしは人間性が大きく介在すると考える」と述べている(代謝建築論-p98)。この理論を『信毎メディアガーデン』で考えるならば、立てかけられた水平ルーバーは仮設的な「従」であるのだが、仮設的だからこそ「主」である建築を引き立てることか可能で、それゆえに『信毎メディアガーデン』は不思議な中心性を持つと言えるかもしれない。

信毎メディアガーデンの寄りかかる横材
信毎メディアガーデンの寄りかかる横材 @Architecture Museum横材が寄りかかったようなデザインとなっている。櫓のように低層階は徐々に広がってゆく。立てかけられるという主従関係があり、象徴性は事後的に捜され、その操作にこそ人間性が宿る。
感想

信毎メディアガーデンを訪れた感想非公共による新たな公共空間

地域のための建築という戦略

この建築を訪れて感じたのは、市民によく使われているという印象である。この建築がオフィスであることを考えると驚くべきことである。オフィスというにはあまりに開かれていて、公共空間よりもよく使われているといってもよく、まず、そのこと自体が新しい。設計に関わった伊東事務所の矢吹は、「非公共による新たな公共空間」という題名の記事を書いているが、なるほど非公共が公共空間つくるという考え方は時代の潮流のようで、南青山の『SOLSO PARK』なども同様の戦略をとっている。

非公共が新たな公共空間をつくるという戦略は、情報空間においては常識的な戦略であり、各個人が書いた記事がそのまま公開されて公共的な情報となる点において同型である。企業が公共的なものを運営するのには時間と金がかかるのだが、そのコストを払ったとしても、結局のところ、企業のビジネスに参入する顧客の母数が増えるから、ビジネスチャンスも増大してコストを回収できるというウィンウィンの仕組みなのである。市民も嬉しいし、企業も嬉しい。新聞社ということもあり、そのあたりの戦略は得意なのだろう。これからは企業が市民のための場所をつくることが潮流になるに違いない。

公共空間への擬態の危険性

それはそうと、『信毎メディアガーデン』で興味深いことは、市民がこの建物をオフィスビルだと気づかずに使用しているという印象である。少なくとも、オフィスに遊びにいくような印象はなく、あたかも居心地のよい公共施設のように使用している。要するに、市民は建物が公共か非公共かということを問わず、安く自由に使える居心地がよい場所に流れてゆくのであり、それ以上でもそれ以下でもない。市民はなんと正直なことか。もし市民がこの建物をオフィスビルだと気づかずに使用しているならば、信毎メディアガーデンは市民の日常に驚くほど馴染みすぎている。

こうした現象を言い換えるならば、企業の空間が公共空間に擬態していると述べることもできる。『信毎メディアガーデン』は、その巨大さと時間をかけた丁寧な設計から、あたかも公共空間のように振る舞っている。ここで一つだけ危険性を指摘しておきたい。その危険というのは、企業による公共空間の擬態が行われると、市民に対して企業が情報操作を行なうことも可能になるという危険である。新聞が述べることが真実だと錯覚させるように、公共が言うことは正しいと錯覚させてしまうことが危険である。

企業によって擬態された公共空間は、公共施設よりも自由で親しみやすい空間だという利点がある一方で、公共では制約されていた内容が精査されずに展開されることは想像に難くない。もちろん、肯定的な面もとても多いのだが、もし安易なイベントや情報を多産るならば、それが正しさとなってしまう可能性もいなめない。たとえば、『信毎メディアガーデン』が「まつもとの〇〇」という新たな特産品のイベントを企てたら、その特産品がすぐに有名になってしまうだろう。これは、市民と企業の距離が近すぎるゆえの危険性である。

企業によって擬態された公共空間は、市民によく使われるほど権力を握るという側面がある。また、公共施設よりも居心地がよく、居心地がよいほど市民が流れこんでしまうから、歯止めが効かなくなる。こうなると、居心地のよい企業の公共空間が権力を握ることを止める術はなくなってしまう。これは怖いことでもある。危険を回避するためには、企業にいままで以上の倫理観が求められ、市民にいままで以上の鑑識眼が求められる。そして、公共はいままで以上に素晴らしい建築をつくる努力を怠ってはならないと考える。最後に訪れた感触を言葉にして添えておこう。

水平ルーバーの片隅にて― 街を見守る建築

秋葉原から乗りこんだ夜行バスに揺られて、ろくに睡眠も取れないままに松本で降ろされると、冬の寒さに叩かれて、足の底から冷たさが侵入してくる。時刻は午前五時半、人間のいない寂しい街を黒いカラスが占拠している。ごみが散乱した路地では、一人のだらしない男が一人のだらしない女を物憂げに介抱している。松本駅の待合室に滑りこみ、本を読んで六時になるのを待ってから、コーヒーとウァイファイ、そして机を求めてマクドナルドに向かう。自由に座ってよい椅子はそこら中に溢れているが、自由に使ってよい机は都市に一つもない。朝マックの濃い匂いを感じながら入店すると、スーツケースを持った外国人がレジに並びながら、外国人の店員を急かしている様子を見て、外国に来てしまったのではないかと不安になる。

温かいコーヒを手の平全体で持って二階に上がり、しばらく仕事をしてから、八時半頃に松本の街を散策することに決めた。右も左も分からぬままに大通りを歩いてゆくと、どっしりと構えた水平ルーバーの建物が見えてくる。重たい建物という印象であったが、一つの標準的なオフィスビルがあって、そこに水平ルーバーが寄りかかっているだけだという構造を理解した途端、仮設的な軽い建物だという印象に切り替わった。女性がスカートを履くと軽やかに見えるようなものだろうか。ルーバーに挟まれたガラスに、風景と地面が反射していて美しい。入口からなかに入ると、誰一人としておらず、ピアノがぽつりと置かれているだけだった。空っぽな空間だ、と強く感じた。空っぽであるという、ただ空っぽでなにもないという感じがなんとも魅力的で、まだ誰もいない朝早くの教室で一人ぼっちで勉強した高校時代の匂いが懐かし口なる。好きな子が一番最初にに入ってこないかと、ありもしない期待を抱いた甘い時間はもう永遠にこない。

二階にはまだ登れなかったので、外に出て、開放的な気分なまま、広場を行ったり来たりしているうちに、水平ルーバーの端っこの空間の居心地よさに気がつく。続いているものが途切れる時、その途切れた片隅に一人の空間を感じて安心感を覚えたのである。ルーバーの片隅が居心地よいとは未知なる発見である。ルーバーの片隅がとても好きだ、ずっとここに居たい。しばらくの間、ルーバーの片隅から松本の朝を眺めていたのだが、徐々に明るくなってきて、次第に人が増えてきて、街が動きはじめた感じがしたから、動きはじめた街に溶けこまなくてはならない気がして、片隅を離れて歩き出すことにした。街に向かって歩き出すと、水平ルーバーが後ろから優しく見守っていていると感じて安心する。君は街の一部だよ、行ってらっしゃいと呼びかけている。

季山時代
2022.12.10

写真

信毎メディアガーデンの建築写真

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信毎メディアガーデンの外観
信毎メディアガーデンの外観 @Architecture Museum
信毎メディアガーデンの外壁
信毎メディアガーデンの外壁 @Architecture Museum
木製格子の上階部分
木製格子の上階部分 @Architecture Museum
藤森泰司の家具
左にあるのは藤森泰司がデザインした家具 @Architecture Museum
1Fの内観
1Fの内観 @Architecture Museum
カフェに射す美しい光
カフェに射す美しい光 @Architecture Museum
水平ルーバーによる光の模様
水平ルーバーによる光の模様 @Architecture Museum
2Fの小テラスを見る
2Fの小テラスを見る @Architecture Museum
リズムのある小テラス
リズムのある小テラス @Architecture Museum
半屋外の小テラス
半屋外の小テラス @Architecture Museum
3Fのフリースペース
3Fのフリースペース @Architecture Museum
木製格子の外観
木製格子の外観 @Architecture Museum
立てかけられた水平ルーバー
立てかけられた水平ルーバー @Architecture Museum
上階の櫓のようなボリューム
上階の櫓のようなボリューム @Architecture Museum
信毎メディアガーデンの全景
信毎メディアガーデンの全景 @Architecture Museum
道路から外観を見る
道路から外観を見る @Architecture Museum
角度のついたファサード
角度のついたファサード @Architecture Museum
風景がファサードに映りこむ
風景がファサードに映りこむ @Architecture Museum
附記